本調査は、「都市原住民」と呼ばれる都市に移住した台湾の先住民族が圧倒的マイノリティとして生活を送る都市において、彼(女)らのアイデンティティを支えてきたキリスト教がいかなる宗教実践を行い、彼(女)らと関わり続けているかを明らかにするためにおこなわれた。
本研究は、台湾人口の約2%を占める「原住民(族)」(以下、原住民)と呼ばれる先住民族の80%から90%がキリスト者であるなか、経済活動のため都市部に移住した「都市原住民」にとって、都市における「教会」がいかなる存在として捉えられ、いかなる機能と役割をもつ場であるかについて分析することだ。本研究は都市部への移住がより早期であったアミ族について、台北縣でのカトリック教会の活動に焦点をあてる。
本調査は、具体的に以下の点について調査を行った:
1. 台北縣内の8つのアミ族カトリック共同体での参与観察を行うことを通して、都市部と出身村落の教会活動を比較し、都市部における「教会」の機能と役割を明らかにする。
2. 都市原住民を輩出する出身村落でのインタビューを通して、都市部から帰還したアミ族の都市生活の実態と「教会」との関わりを明らかにする。
3. 8つの共同体の司牧にあたる神父たちへのインタビューを通して、原住民信徒を過半数として抱える組織としての「教会」が都市原住民をいかに捉え、いかなる神学的解釈をもって現代的な福音宣教(以下、宣教)を展開しているのかを明らかにする。
今回の調査では、調査地である台湾到着直後の8月8日に巨大台風が台湾を襲ったため、大幅な調査スケジュールの変更をおこなった。特に8月は、インフォーマントの故郷への帰省や被災地への訪問が度重なり共同体活動の中止が続いたため、文献調査と資料収集、また学会へ参加する結果となった。9月は、共同体関係者、台北から故郷に帰還した原住民信徒、また活動に消極的な教会関係者へのインタビューに専念した。以下は、インタビューと参与観察から得た主な調査成果だ。
台北縣内のアミ族カトリック共同体
2009年10月現在、台北縣には新莊、蘆洲、海山、成コ、中和、汐止、樹林、瑞芳の8つのアミ族カトリック共同体がある。この「共同体」とは、台北縣内にあるアミ族の集住地区である「社区」とは異なり、信仰をもとに定期的に集い宗教実践をおこなうアミ族のカトリック信徒集団を示す。共同体は、台北縣内の東西南北に分布し、2〜3の地方自治体(鎮、市)をまたいで形成されることから「区会」と呼ばれ、それぞれ付近の小教区の教会を活動拠点として利用している。共同体の形成は、1968年から始まり、信徒団体である「旅北原住民教友傳教協進會」(以下、協進會)が統括的に管理・運営してきた。
共同体の活動は、年1度の豊年祭(収穫祭)、年1度の歌唱コンテスト、月1度のアミ語ミサ、そして週1度の信徒の家でおこなわれるロザリオの集いだが、月1のアミ語ミサが協進會の中心的活動だ(1つの共同体では、小教区司祭の援助を借りて、週1度信徒の家でミサがおこなわれる)。毎度の共同体活動の終了時には、アミ族の食べ物と酒が振舞われ、アミ語とアミ族の民謡が飛び交うこともたびたびだ。活動は多いとはいえないが、それには理由がある。それは、実質的に活動に参加する協進會メンバーは合計300人を超え、共同体が8つ存在するにも関わらず、その運営を担うのはチリ人とインド人の司祭二人と足りないためだ。そのため、二人の司祭が共同体を訪れおこなわれる月1のミサ以外で司祭不在が場合は、「義務使徒」と呼ばれる、通常、ミサにおいて司祭の補佐をするカテキスタを中心に活動が行われている。なお昨今では、協進會メンバーの高齢化と若年層の教会離れが進み、共同体活動の存続が少なからず危ぶまれるようになってきた。
共同体が主催する豊年祭「聖母被昇天の祭り」
毎年8月の第一日曜日は、協進會が主催するアミ族の最大イベントの「豊年祭」が8つの共同体合同で開催される。その名は「聖母被昇天の祭り(原題:聖母升天節)」であり、名前からもこの祭りがカトリック教義とアミ族の伝統祭儀の融合を試みているものだとわかる。豊年祭は、アミ族の収穫祭にあたり、毎年7月下旬から9月上旬にかけてアミ族の出身村落である東部の花蓮縣と台東縣をはじめ、都市部のアミ族社区のあちこちで開催される。都市部に移住したアミ族は、毎年夏に故郷に帰省して豊年祭に参加する例が多く見られたが、80年代以降、原住民の社会参画が進み、彼(女)らが漢人同様の就労形態を受け入れ、都市部での住宅購入が進むと、故郷への帰省が減少した。こうして協進會は、アミ族としての自己認識が薄れることを懸念し、8つの共同体合同で「聖母被昇天の祭り」を開催するようになった。
この祭りは、アミ族の伝統衣装を身にまとった聖母マリア像の御輿の入場から始まる。共同体活動に関わる司祭や来賓の司祭、司教たちを先頭に、御輿を担ぐ義務使徒が入場し、それにつづいて各共同体会長、副会長、青年会長、婦人会長、一般信徒といった具合だ。数年前までこの祭りは、スポーツ大会として開催されていたが、若年層の伝統祭儀との接触機会の確保と信仰の文化内開花(Inculturation)の強調により、共同体対抗の創作ダンスコンテストへと変貌した。創作ダンスは、「アミ族の民謡に合わせて、伝統的な振り付け」で踊ることが義務づけられている。もちろん、共同体運営を担うチリ人とインド人の司祭もアミ族の伝統衣装を身にまとい、いずれかの共同体の一員として踊りに参加する。(写真提供:旅北原住民教友傳教協進會)
8つ目の共同体の誕生に向けた会合
9月上旬、台北縣瑞芳郷での共同体形成に向けた会合に参加した。当日は、協進會のチリ人司祭と秘書のほか、瑞芳郷で共同体形成を望む信徒の代表数名が出席した。
会合では、共同体運営のなかで直面するであろう困難について、司祭と秘書より説明がおこなわれたほか、瑞芳郷の信徒たちからは瑞芳郷における教会活動とアミ族信徒の実態について意見が交わされた。共同体運営における課題は、共同体メンバーを信仰から離れさせないための工夫、活動拠点として利用する教会の主任司祭との関係づくり、そして若年層の信仰形成とされ、他の共同体における具体例とともに説明された。一方、瑞芳郷の信徒たちは、故郷を離れたアミ族が共同体として連帯し、共同体活動を通して若年層にアミ語を習得させることを共同体の醍醐味として捉えていた。共同体の存在しない地域における共同体形成によせる期待を耳にし、「教会」(もしくは共同体)がアミ族にとっていかなる機能と役割をもって想像されるのか、少しずつ明らかになった。
玉山神学院と社会運動への傾倒
原住民にとっての「教会」と今後の宣教を考察するうえで、組織としての教会が「原住民」をいかに理解し、いかなる神学的な解釈を与えているかを検討することは不可欠だ。特に、諸宗教対話(Ecumenism)が進むキリスト教会において、原住民の多くが属するカトリック教会と長老派教会では「コンテクスト」の捉え方も異なってきた:祭儀や言語の復古に力を注いできたカトリック教会に対し、プロテスタント長老派教会は社会運動への傾倒が見られ、現在においても政治的な発言と行動が顕著だ。
訪問した長老派の玉山神学院は、1946年にその前身の神学校を創立以来、原住民の信徒を受け入れ、コンテクストに根付いた神学を提唱し、それに基づいて行動する伝道師や牧師を養成してきた。80年代に起こった原住民の権利と尊厳の回復を求める原住民族運動の中心的人物であったタイヤル族の牧師である同校院長によると、長老派教会の提唱してきたコンテクスチュアル(文脈的、状況的)神学が、カトリック教会が南米を中心とした地域で展開した「解放の神学」から多大な影響とヒントを得ているという点、そして台湾と中国のいわゆる両岸関係に対する長老派教会の政治姿勢とその神学的解釈についての見解であった。
都市部から帰還した原住民
9月中旬、台北の原住民の出身地域のひとつである花蓮縣玉里鎮を訪れた。この地は、私の学部時代のフィールドであり、現在の研究をするきっかけとなった思い出深い地だ。花蓮縣玉里鎮は、「都市原住民」を多く輩出する原住民の出身村落であり、都市部より帰還した「都市原住民」であった人びとも多くいる。「都市原住民」については明確な学術的定義が確立していないため、諸研究者の見解を借りて外枠を得た「都市原住民」像をより明確に描くことをインタビューの最大目標とした。
結果、先行研究で論じられてきた「都市原住民」の職種や生活の実態から明らかになるのとは別の「都市原住民」像が浮き彫りになった。例えば、都市部での雇用形態が都市生活に対する感想を「好き」(「どちらかといえば好き」を含む)と「嫌い」に二分して影響していることが明らかになった。実際、「嫌い」と答えたインフォーマントは、定年まで職を転々とした夫婦を除き、都市部において2〜3ヶ月単位で働き、一定の貯金ができたら帰省して農業や林業に従事し、貯金が底をついたらまた都市部に行く、という出かせぎの形態をとっている。また、都市部におけるカトリック教会との関わりについては、出かせぎの形態をとるもの以外、なんらかの共同体活動に参加した経験をもっている。
共同体活動に消極的な司祭
共同体活動の実質的な運営責任は、チリ人とインド人の司祭によって担われている。しかし、日常のレベルにおいては、各共同体の活動拠点である教会の主任司祭たちが協進會の活動に間接的に関わっている。8つの共同体のうち、主任司祭との関係に「困難が生じている」と認識されている教会は2つあり、今回は、協進會が「より課題が多い」と捉える1つの教会の主任司祭とアミ族の義務使徒をインフォーマントとして共同体活動の見解について伺った。
この教会の主任司祭Aが担当する小教区の教会は、彼が同教会に派遣される以前からアミ族共同体の活動拠点として利用され、200人を超えるメンバーを抱える大きな共同体として協進會の中心的共同体であった。しかしAは、共同体活動のすべて、つまりチリ人とインド人司祭の訪問を断ってアミ語ミサまでも助任司祭Bに一任し、自身は関わらなかった。協進會とのパイプ役であったBが別の小教区へ派遣されると、この共同体は激変した。辛うじてAに引き継がれたアミ語ミサは、以前のようにすべてをアミ語でおこなう形式から、前半はアミ語、後半は中国語で、信徒がアミ語で返答する形式に変更された。Aは、週1度のロザリオの集いに参加せず、習慣化した信徒の家でミサをおこなうことを認めないため、共同体活動は実質、無期限停止状態だ。結果、アミ族信徒は激減し、例えばアミ語ミサには20名程度の参加が見られるのみだ。共同体メンバーの家を定期的に訪問しているこの共同体の義務使徒によると、共同体メンバーのなかにはプロテスタント教会に改宗したものもおり、Aの個人的な考えが影響した教会運営により、信徒の教会離れが助長されていることが明らかとなった。
■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
■ 2010年度調査第2回
■ 2010年度調査第1回
■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)
■ 2009年度調査第2回
■ 2009年度調査第1回
■ 2008年度調査