シャーフィイー(767-820)は、イスラーム四法学派の一つであるシャーフィイー派の名祖とされる「法学者」であるが、死後、没した地であるエジプトにおいて「聖者」として現在に至るまで多数の民衆の信仰を集めてきた。本調査の目的は、シャーフィイーがエジプトにおいて民衆に信仰される「聖者」となるに至る歴史的なプロセスを歴史学の手法を用いて解明することを目指すものである。
報告者は、Iの目的のために、カイロのエジプト国立図書館、フランス東洋考古学研究所、アラブ写本研究所において、写本を含む史料調査・収集を行った。今回の調査で収集した史料は、主として参詣書・伝記・地誌・年代記史料等である。時代は、18世紀以前(12世紀〜オスマン朝統治期)までに絞った。報告者は、これらの史料が、シャーフィイーの「聖者」化プロセスを解明するうえで重要かつ豊富な情報を含んでいることを確認した。特に、中世カイロの聖墓参詣の案内書としての性格を有する参詣書史料は、民衆によるシャーフィイー廟への信仰・崇拝の実態を解明するうえで貴重な情報を含んでおり、博士論文執筆のために不可欠の史料であった。
今回の調査で入手した史料・文献は以下のごとくである。
・エジプト国立図書館
調査期間:3月1日〜3月12日(但し6日・7日は休館)
エジプト国立図書館では、主として参詣書、地誌、スーフィズム(タサウウフ)関係の史料を調査・収集した。これらの史料は、民衆によるシャーフィイー崇拝の実態、シャーフィイー廟と民衆の関係、前近代カイロの聖者信仰を取り巻く社会状況等を知る上で貴重な情報を多数含んでおり、報告者は今回の調査では以下の史料(写本史料)を入手した。
Anonymous (al-Shuʻaybī). Maḥāsin al-Akhbār fī Faḍl al-Ṣalāt ʻalā al-Nabī al-Mukhtār. Dār al-Kutub, Taṣawwuf 1614.
・本写本史料は、大稔 (“A Note on the Disregarded Ottoman Cairene Ziyara Book”, Mediterranean World, 15, 1998, pp. 75-85) によってその存在の可能性が示唆されていたオスマン朝期エジプトのスーフィズム、タリーカに関する史料である。史料自体には、著者名は記されていないが、大稔 [1998: 77]によれば、Shuʻaybī(17世紀初頭頃没)の著作の一つとされる。本史料は、まだ詳細に読み込んではいないが、スーフィズム、タリーカに限らず著者が生きた時代(16世紀後半〜17世紀初頭)におけるエジプト社会における聖者信仰、民衆信仰に関する重要な情報を多く含んでいるものと考えられる。
Anonymous. Taʼrīkh Mulūk Āl ʻUthmān wa-Wulāt-hum bi-Miṣr ilā Wulāt-hum bi-Miṣr ilā Wilāyat-ʻAlī Bāshā al-Mutawallī ʻalay-hā. Dār al-Kutub, Taʼrīkh Taymūr 2408.
・本写本史料は、オスマン朝期エジプトの年代記史料である。総督ごとに政治的事象が簡潔にまとまられている。量自体はそれほど多くはないが、既刊のアラビア語年代記史料と比較・検討して政治的に重要な情報も織り込まれている。
al-Bakrī al-Ṣiddīqī, Muḥammad b. Abī al-Surūr. al-Kawākib al-Sāʼirah fī-Akhbār Miṣr wa-al-Qāhirah. Dār al-Kutub, Taʼrīkh 2112.
al-Bakrī al-Ṣiddīqī, Muḥammad b. Abī al-Surūr. Qaṭf al-Azhār min al-Khiṭaṭ wa-al-āthār. Dār al-Kutub, Jighrāfiyā 457.
・以上の二点の写本史料は、同一著者によって書かれたものである。著者であるバクリーは17世紀半ばに没した人であり、16世紀〜17世紀前半までのエジプトの政治・社会状況を知る上で非常に貴重な史料である。両史料の特徴としては、政治関連の情報のみではなく、カイロの聖者廟、聖者信仰、スーフィズム、民衆に関する豊富な情報を伝えていることが揚げられ、シャーフィイー廟と民衆の関係を研究する上でも貴重な史料であるといえる。
Ibn al-Nāsikh. Miṣbāḥ al-Dayājī wa-Gawth al-Rājī. Dār al-Kutub, Taʼrīkh 1461.
al-Sakhāwī. Tuḥfat al-Aḥbāb wa-Bughyat al-Ṭullāb. Dār al-Kutub, Taʼrīkh 41.
・上記二点の写本史料は、マムルーク朝エジプトの首都カイロの聖地「カラーファ」に関する参詣案内書である。カラーファは、多数の聖者廟を含み、マムルーク朝からオスマン朝にかけて、多数の民衆が参詣に訪れる聖地であった。シャーフィイー廟に関する情報も豊富に伝えており、シャーフィイー廟と民衆の関係を解明する上で第一級の史料である。
al-Shaʻrānī, ʻAbd al-Wahhāb (1565没). al-Ṭabaqāt al-Wusṭā. Dār al-Kutub, Taʼrīkh Taymūr 300.
・本写本史料は、16世紀に書かれたオスマン朝期エジプトのスーフィー・聖者列伝である。16世紀のスーフィズム、聖者信仰、民衆の動向についての豊富な情報を含んでいる。
al-Shuʻaybī(17世紀前半頃没). al-Jawhar al-Farīd wa-al-ʻIqd al-Mufīd. Dār al-Kutub, Taṣawwuf 250.
・本写本史料は、17世紀初頭に書かれたスーフィズム、タリーカに関する史料である。
・フランス東洋考古学研究所
調査期間:3月15日〜3月19日
フランス東洋考古学研究所では、主としてフランス語で書かれたスーフィズム、タリーカ関連の研究書を入手した。
一次史料
al-Ṣawāliḥī al-ʻŪfī, Ibrāhīm b. Abī Bakr. Tarājim al-Ṣawāʻiq fī Wāqiʻat al-Ṣanājiq, (ed.) ʻAbd al-Raḥmān ʻAbd al-Raḥīm, Cairo, 1986.
・本史料は、17世紀に書かれたオスマン朝期エジプトの歴史史料である。17世紀の政治状況に関する豊富な情報を含んでいる。
二次文献
Behrens-Abouseif, D. Mamluk & Post-Mamluk Metal Lamps, Cairo,1995.
・本文献は、マムルーク朝期とマムルーク朝以後のランプの研究であるが、単なる技術的研究に止まらず、文化史・社会史的な側面にも焦点を当てた研究である。
Chih, R. (eds.), Le saint et son milieu, Cairo, 2000.
McGregor, R. (eds.), Le développement du soufisme en Égypte à lʼépoque mamelouk, Cairo, 2006.
Rāghib, Y. Actes de vente dʼesclaves et dʼanimaux dʼÉgypte medieval, 2, Cairo, 2006.
・以上の二点の研究は、エジプトのスーフィズム、聖者研究に関する基本的な研究書である。
・アラブ写本研究所
調査期間:3月22日〜3月24日
入手した史料
1. 写真
アラブ写本研究所所蔵アズハル写本リスト
・上記の全リストをすべて写真(デジカメ)に収めた。計74枚。
Abū Fayd Murūj b. ʻUmar b. al-Ḥārith al-Sadūsī. Ḥadhf min Nasab Quraysh. Taʼrīkh 2413.
・本史料(マイクロフィルム)はシャーフィイーも属するとされるクライシュ族の血統に関してまとめたものである。
Abū ʻUmar Muḥammad b. Yūsuf b. Yaʻqūb al-Kindī. Faḍāʼil Miṣr. Taʼrīkh 2485.
本史料は、イスラーム時代初期(9世紀頃まで)のエジプトの年代記である。イスラーム時代初期のエジプトの歴史を研究する上で第一級の一次史料である。
Anonymous. Ijāzāt. Taʼrīkh 2455.
・いくつかのイジャーザ(免状)を集めたものである。アズハルの免状を含み、前近代のイスラーム教育の在り方を知る上で貴重な史料である。学習科目にスーフィズム、タリーカに関連したものもあったために入手した。
Anonymous. Risālah fī man tawallā al-Ṣaʻīd min al-umarāʼ al-Sharākisah. Taʼrīkh 2444.
al-Maqrīzī, Abū al-ʻAbbās Taqī al-Dīn. al-Bayān wa-al-Iʻrāb ʻammā fī Miṣr min al-Aʻrāb. Taʼrīkh 2393.
・以上の二点は、マムルーク朝期の政治・社会に関して記した史料である。
■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
■ 2010年度調査第2回
■ 2010年度調査第1回
■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)
■ 2009年度調査第2回
■ 2009年度調査第1回
■ 2008年度調査