本報告書は2009年11月2日からの33日間テヘラン市内のバーザールを中心に行った調査の概要と、知り得たことをまとめたものである。調査課題について当初は国内の伝統産業に目を当てようと計画していたが、興味関心の変化と調査のしやすさから、最終的に同じ物質文化でも題にも冠した「グッズ」研究を行うことに決めた。
調査地/場としてのバーザールに変化はないものの、「伝統的な場所で、伝統産業について調べる」という視点から「伝統的な場所での、より新しく近代的な現象を調べる」という視角へと眼差しも転換した。私が対象にしているグッズを端的に説明すると「イスラームに関わる表象がある」「大量生産/キッチュ」の二点のキーワードで述べられる。イスラームに関わる表象、描くという行為は前近代からみられる現象であるが、それが大量生産されるようになり、グッズとして誰しもの手に入るようになったのは比較的新しい現象である。
調査地はイランの首都テヘラン市内の南に位置する大バーザールと北部のイマームザーデ(イマームの廟)に隣接した小バーザール、そして休日に日帰りで行くことのできるシーア派の聖地コムと決めた。テヘラン市内には顕著な「南北問題」を見ることができる。大バーザールのある南は経済的に豊かではない人々が多く住み、一方のイマームザーデ・付設する小バーザールのある北部には社会的上層部の人々が多く住む。小バーザールから徒歩5分のところには新しくて大きなショッピングセンターが建っている。バスに乗って南から北上してくると、北に近づくほど全身を覆う真っ黒なチャードルの着用率が小さくなり、スカーフの色や女性の髪の色が派手になってくるのが一目でわかる。このように一口にバーザールといっても、それを取り巻く状況が大きく異なる。
これまでに「イスラーム・グッズ」に関連してなされた研究を概観したとき、まず抜け落ちているのは、それらは本当に「イスラーム・グッズ」、「宗教のグッズ」なのか、という問い直しだと考えた。「Allah」の文字や聖者の描かれた外見ゆえに、外からそれを見る私が「聖なるモノ」と解釈しているだけではないのか、との疑問があった。これを確かめるために、先ずは「これは何であるのか」をそれぞれの人の解釈において聞いてみたいと思った。
次に、用途について知りたいと思った。何のためにその模様や柄や章句を選択して、どこの空間において何のために使うのかということである。3つめは生産者と販売に携わる人、消費者がそれぞれどんな人たちであるのか、ということを知ろうと思った。以上がテヘランでたてた課題である。
また「イスラーム・グッズ」というものの、聖職者の力はどの程度影響するのかと疑問に思い、ヒントを得るためにコムでもインタビューをしたいと思った。外面的には「popular Islam」と呼びうるようなチープさ、世俗性を内包したグッズだが、実際のところ「popular」と言い得るのか。そして最後に、売買される「商品としてのグッズ」の側面にもっと着目してみたいと思った。経済活動のなかの一商品としてみたとき、このグッズはいかなるものなのか。
以上のような疑問を頭に置きながら、聞き取り調査を行った。
(1).「聖」ということについて
以前「聖なるモノ」と題して発表した口頭発表のリアクションとして、「聖なる」という言葉には私自身の解釈が入っているとの指摘を受けた。それを用いている人々によって「聖」性は見いだされるのであり、そうした主観的な前提をも疑って観察すべきとのことだった。「聖なる」ものか否かを見極める指標として島薗進は対象物を「踏めるか否か」を尺度にできると述べたそうであるが、グッズはいかなる指標をもって、聖なると言い得るだろうか。
南の大バーザールには「旗のバーザール:バーザーレ・パルチャム」という、イスラームの聖者の名を讃えた旗や横断幕を扱うバーザールの並びがある。金物屋や絨緞屋などと同様に数件がまとまって店をかまえているので、そこは他の通りと比べても一風変わった雰囲気を醸し出している。そのなかで私が通い、話を聞いていた店には主にA(20代)とB(20代)という2人の男性が働いていた。日によって10代のCや彼らの師匠の老人が店にいることもあったが、店番をしているのは主に2人だった。彼らは義務教育を終えると働き始め、見よう見まねでミシンの使い方、旗の作り方を習ったとのことだった。
旗は黒か緑色がベースとなっている大きなもので、たいていはイマーム・アリーかフサインの名が刺繍してある。時には顔面のみが光に包まれた預言者ムハンマドや歴代イマームの姿がかかれているものもある。そうした旗、横断幕はアーシューラーやタースーアー等の行事の際に大活躍するが、決して日用品ではないので店がそれほど混むこともない。お茶を飲みながらよく話に付き合ってくれた。
でいる状態ではあまり思い入れはないようだった。部屋に飾ることで良いこと(効果)がある、しかしこれは、モノ自体を崇めることと同義ではない。
(2) “Va.’enyakad”という名付けについて
「これは何であるか」とグッズについて尋ねているなかで、 “Va.’enyakad”という言葉がよく聞かれることがわかった。 ひとりの聖者であるアッバース(アブー・ファドル)の手を模したペンダント、トルコで有名な青い目のお守りナザル・ボンジュウ、クルアーンの章句が書かれた大きな壁掛け、どれもが“Va.’enyakad”と呼ばれているのを聞いた。これは何の言葉だろうかと思い調べてみると、クルアーンの筆章の51番目の句の始まりの言葉だということがわかった。
大バーザールではよくそのように聞いたので、コムに行った際に「これは “Va.’enyakad”という名前ですか?」と尋ねてみた。返ってきた答えはノーだった。ペンダント等を指し「こういうのは “Va.’enyakad”」とは言わない、との回答を得た。名前に関しては曖昧なようであるが、それらが往々にして期待されているのは邪視除けの効果であった。そして理由は自明であろうが、こうした小さな邪視よけのグッズをよく見るのはタクシーのバックミラーであった。
(3)選ばれる空間
ここでは、イラン地域を特徴づけるであろう、アリーとフサインの比較的大きな肖像画について記したい。「これは誰か」を尋ねるうちに、額に傷があり眼光が鋭い方がフサイン、比較的穏やかな顔をしているのがアリーだということがわかるようになった。
では、そうした肖像画はどこにかけられているのか。たいていはチャイ・ハーネ、大衆食堂、バーザールの店舗内といった、私空間ではなく公共の場であった。イマームザーデ近くのスープ屋では店の奥に3つ並べて飾ってある。入ってすぐの頭上に壁掛けをおくところ、レジの後ろの時計の隣などにかけているところもあり、たいていは公の空間のなかで「人目につく」場所が選ばれていたのである。
(4)売る人・買う人
では、こうした商品を売る人、買う人はどのような人だろうか。結果的にはどんな人でも売り、どんな人でも買えることがわかった。
イスラームに関するものの図像化があるということで、聖職者に近い人間が販売に携わっているのかと考えたが、全くそうではないようだった。若年層も多く、民族的マイノリティー(クルド、アフガニスタン人)もいる。コムを訪れた際は「ウラマーと親しいこと」を卓越していると考えている店員もいたが、彼でも嫌がることなく日本人の私にグッズを売ってくれた。
(5)popular Islamと宗教的権威
外面的には「popular Islam」と呼びうるようなチープさ、世俗性を内包したグッズだが、実際のところ「popular」と言い得るのか。この問いにはまだ答えが出ていない。完全に大衆によるものではなく、グッズの効用に関してもコムを始めとしたウラマー界の力が忍び込んでいるのではないかと思ったからだ。
とには納得ができる。どこも聖地を擁し、より期待される効果を高めるとイメージできるからだ。一方で、口頭発表の際に提示したチャートにみられるように(このチャートが本当だとしたら)、なぜこうした「民衆のイスラーム」にウラマー界が積極的にかかわろうとしているのか、(チャートが偽物だとしたら)ウラマーの存在を使う意図は何なのか、ということを疑問に思い、今後調査対象としたいと思う。
今後の課題の第一として、「聖性」の付加はどこで行われるのか、について明らかにしたい。どういったプロセスを経ることでそのグッズが信頼性を高めて売買されるのか。特にもイラン国内で売られる中国産のグッズに関して調査したいと考えている。中国の工場で大量に作られた「イスラーム・グッズ」がイランで納得されて買われるには何が必要なのか。また、目下はチャートの分析やイランで手に入れてきた文献を読み込んで、フィールドワークをフォローアップする作業を行おうと考えている。
文部科学省研究拠点形成費等補助金による大学院教育改革支援プログラム「現地拠点活用による協働型地域研究者養成」の一環である支援を受け、今回の調査を行うことができた。心から感謝の意を表します。■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
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