本調査では、モロッコのイスラーム主義政党である「公正開発党」を対象とした。とりわけ今回の調査では、公正開発党の政治活動を分析するため、彼らの支持基盤を解析することを目的とした。そこで、公正開発党がいかにして社会の支持基盤を構築しているかという点について、次の2側面から明らかにすることを目指した。@公正開発党がどのように社会に浸透し、人々を動員していったのか、Aモロッコ国民は、いかなる政治・社会状況下でイスラーム主義政党を主体的に支持していったのか、を解明し、両者を統合して社会的支持基盤の形成メカニズムとその特徴を明らかにする。
本調査では、過去の調査で築いた公正開発党党員との人脈を利用し、@党員(特に幹部)の経歴を整理し、彼らの入党までの過程をリストにまとめる、A党員数の変化を示す資料を入手し、公正開発党のイデオロギーや活動の変遷と照合する、B支持層の傾向や支持者の増減をモロッコ政治の動向と照合する、という3点を行う。方法としては、党員やユース支部会員、支持者への聞き取り調査を中心に行い、加えて、内部資料や党機関紙、パンフレットなどを入手して分析を行った。
これまでの研究では、先行研究におけるイスラーム主義組織に対する静態的な視点を補うべく、公正開発党のイデオロギーや活動の動態、そして他の政治アクターとの相互作用を解明してきた。今回の調査では、視点をその支持者である国民/社会レベルへと移し、これまで明らかにしてきた公正開発党の政治領域への影響力に加えて、彼らの社会的影響力を解明することを目標とした。また、社会的支持基盤の形成メカニズムを精査することにより、モロッコ国民の投票行動の傾向の一端を明らかにすることができる。
本調査では、過去に行った調査のように聞き取り調査を中心に行う予定であった。しかし、8月11日から9月10日までイスラーム世界はラマダーン期間中であったため、その期間は思うようにインタビューを行ったり、アポイントメントを取ることができなかった。このことから、本格的に聞き取り調査を行うことが出来たのは、帰国1週間程前からであった。今年のラマダーンは学校の夏休み期間とも重なったため、研究者を含む多くの人々は長期休暇をとっており、連絡が取れたとしても、直接会うことが出来たのはラマダーンが明けた後となった。ただ、今後長期で現地調査を行うにあたり、事前にラマダーン期間中のモロッコ人の生活を見ることが出来たことは、大変貴重な経験となった。
上記の理由により、ラマダーン期間中は調査という面では、図書館での資料収集、新聞による最新の政治動向の確認や分析を主に行った。加えて、自身の直接の研究対象ではないが、本調査の期間中に公正開発党が西サハラ問題の解決に向けて積極的に関与していくとの姿勢を発表したことから、西サハラ問題に関しての情報を、最新の動向まで体系的にまとめ直した。(この成果は、財団法人日本エネルギー研究所から研究レポートとして発表している。)
インタビューを行うことができた回数が過去の調査に比べて圧倒的に少ないことから、上記に挙げた調査の目的の全てを達成することは困難であったが、調査中に収集した一次資料や文献の内容と併せて、本調査の成果をまとめる。
1. 公正開発党の党員数の変遷
過去のインタビューや先行研究によると、公正開発党の現在の党員数は15,000人程度であると言われている。その内の半数以上は教師や教授などの教育関係者であり、その他はエンジニアや自営業者など多様である。
1997年の合法化以降、公正開発党は積極的な政治活動を展開していることから、党員数は着実に増加傾向にある。一方で、政党として法的認可を得る以前から社会活動組織として活動を行っていた公正開発党の母体でもある「統一と改革の運動(以下、MURと略す)」が、政党と並行して社会活動を展開している。公正開発党の合法化直後は、同組織が党員のリクルートや育成の役割を担っており、MURを通して公正開発党の政党活動に参加するという経路が一般的であった。
しかし、2003年5月にカサブランカでイスラーム主義地下組織による連続自爆テロ事件が起こると、公正開発党はイスラーム主義的な主張を控えることが求められた。これは、公正開発党の劇的な躍進に不安感を募らせていた他の政党がこの機会を利用し、そろって公正開発党に対する非難を行ったためであり、とりわけMURとの二人三脚ともいえる相互補完関係は、その中傷内容の中心であった。このような背景のもと、公正開発党は、独自の社会活動部門を設けたり、選挙期間中のMURからの人的・金銭的資源を一切拒否したりするなど、MURからの自立性を確立していった。テロ事件が組織間の分裂化を促した主な要因ではあるが、合法化以降は着実に勢力を拡大していった公正開発党にとって、母体組織からの自立はさほど困難なものではなかったと考えられる。2007年選挙を迎える頃までに、公正開発党は独自に人的・金銭的資源を確保できるほどまでに成長しており、政党としての規模が拡大するにしたがって、独自の組織力が向上していった。要するに、公正開発党は、MURとの協調姿勢より、政党として自立した立場で政治活動を優先したと言えるのである。
これは、公正開発党の党員数の変遷からも明らかである。
合法化直後の公正開発党党員の大部分は、MURのメンバーでもあった。というのも、MURの多くのメンバーは1990年代初頭に持ち上がったその政党化構想を支持した人々であり、1992年から1999年に同組織に参加している。しかし、2004年に行われた公正開発党党大会での調査によると、2004年6月の時点で、3分の1以上の党員が1999年以降に入党したことがわかった。加えて、2002年までに、公正開発党の地方(および州)幹部や議会選挙候補者、国会議員たちの中で、MURに所属していない党員の数が半数を超えたことも明らかになっている。また、MURの機関紙Al-Tajdidの統計によると、2002年の議会選挙時には既に、全候補者の内3分の1程度しかMURの活動に参加していないことがわかる。2002年選挙で当選した同党員42人の内、並行してMURの活動にも参加している人数は半数程度であり、当選議員の全員がMURに所属していた1997年選挙の時期と比較して、公正開発党が独自の人的資源を広く獲得し始めたことがわかった。
加えて、公正開発党内部の分裂問題も注目に値する。公正開発党は、イスラーム主義政党という立場で政治活動を展開していることから、これまでの政策提言や主張では宗教的なものが多くを占めている。しかし、その主張内容を細かく分析すると、公正開発党が置かれているモロッコの政治状況の変遷、そしてそれに基づく公正開発党の政治戦略の変遷が見えてくる。
合法化直後に公正開発党が議会で取り上げた問題は、やはり宗教的道徳に基づくものがほとんどであった。それらには、ビーチでの男女同席や水着着用の禁止、アルコール飲料の生産・販売の規制強化などが含まれる。しかし、2003年5月のカサブランカでの連続自爆テロ事件発生後、公正開発党は宗教的道徳問題に関して言及することに制限をかけられ(他の政党からの非難による)、これらの問題が積極的に扱われることはなくなった。その後の2004年の党大会では、政党のイデオローグとして積極的に活動していた急進派党員たち(国王の存在は認めるが、国王の絶対的権力には否定的姿勢を示す)が幹部職を奪われ、重要ポストは穏健派メンバーで占められることとなった。しかし、このような公正開発党の穏健化とも言える戦略転換に関して、党内での意思統一は出来ておらず、これらのプラグマティックな姿勢に対して批判的だった急進派党員たちがは、その後揃って離党した。離党したメンバーの一部は、新たなイスラーム主義政党「覚醒美徳党」を結党し、2006年に法的認可を得て、2007年には国民議会選挙への参加を果たした(1議席獲得)。
2. 支持者数の変化とその傾向
公正開発党は、1997年に初めて議会選挙へ参加して9議席を獲得してから10年の間に、議席数を47(現在、第2党で国内最大野党)まで増やした。この劇的な躍進の背景には、公正開発党の組織的能力、イデオロギー、そして誠実さが挙げられる。公正開発党の政治活動を結党以前から支持してきたイスラーム主義者に加えて、その積極的な議会活動や組織的規模の拡大、またそれらと比例した発言力の拡大などを概観してきた人々が、公正開発党を支持し始めるというような傾向も見られる。しかし、議会で積極的な発言を行う一方で、他の政党(とりわけ左派系の政党)とは協調姿勢を築けずにおり、多数派工作が出来ない公正開発党の政策提言は、ほとんど実現されていない。また、同政党が合法化直後から積極的に行ってきた宗教的倫理・道徳問題に関しては、首相が政党法を引き合いに出し、議題にのぼる前に却下されることが多い。このように、公正開発党が議席数を増やしても、その政策提案が実行されないという状況を目の当たりにした支持者の多くが、公正開発党自体に加え、モロッコの政治制度自体に疑問を抱き、政治離れを起こしているという状況も見逃すことが出来ない。
今後の課題としては、本調査の目的の一番目に挙げた「党員(特に幹部)の経歴を整理し、党員の入党ルートを明らかにする」ということが残っている。これには、党内部資料の取得と、それを補足する形での聞き取り調査が必要になると考える。加えて、党員数の変遷に関しても、今回の調査で入手できた情報が2004年頃までのものであることから、最新の統計を手に入れる必要がある。また、公正開発党の支持者や地方幹部から実際に話を聞きため、来年からの長期調査では、政党事務所のあるラバト市に加え、同党の票田となっているカサブランカ、メクネス、フェス、テトワン、シャフシャウエンなどにも足を運ぶ予定である。
最後に、今回の滞在では、来年からモロッコへ長期留学するにあたり、受け入れ先となることを希望する研究機関(ムハンマド5世大学・ラバト市)を訪れ、受け入れを依頼することが出来た。また、モロッコの現代政治を専門とする研究者数人にも会うことが出来た。彼らには、自身の研究に必要な文献や大学の授業、研究対象の近いモロッコ人の院生などを紹介してもらった。加えて、今後の長期留学中に滞在する予定の地区やアパートなどを少し概観した。長期留学を行う前に、このような滞在・調査の機会を与えられたことは、非常にありがたいことである。
■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
■ 2010年度調査第2回
■ 2010年度調査第1回
■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)
■ 2009年度調査第2回
■ 2009年度調査第1回
■ 2008年度調査