本調査をベースとする修士論文の目的は、@1994年のサパティスタ民族解放戦線(Ejército Zapatista de Liberación Nacional: EZLN)の蜂起、及びそれ以降続くサパティスタ運動が、他の社会運動にいかなる影響力をもたらしたのか、またAサパティスタ蜂起以降の社会運動はどのような戦略のもとに発展しているのかを分析することにある。
今回の現地調査においては、サパティスタ蜂起以降の社会運動の事例として、メキシコ中部のメキシコ州サン・サルバドール・アテンコ(San Salvador Atenco: 以下アテンコと略)における住民の抗議運動を取り上げ、その関係資料・文献を収集し、分析することを目的とした。
また、当初は資料・文献調査に留める予定であったが、現地の研究者の助言により、直接アテンコへ足を踏み入れ、抗議運動の中核となっている「土地を守る人民戦線」(Frente de Pueblos en Defensa de la Tierra: FPDT)の事務所を訪問する機会を持った。その際、FPDTのリーダーであるIgnacio del Valle氏に直接話を伺うことができた。短い時間の中でのインタビューであったため内容は限られるが、今後の修士論文計画において取り組むべき視点がいくつか得られたため、本報告では資料・文献調査結果に加えてインタビュー結果も併記する。
II. サン・サルバドール・アテンコにおける抗議運動の概要
2001年、メキシコ政府は新空港建設計画を発表し、その建設地としてメキシコ州のテスココ、チマワルカン、そしてアテンコの3つの村をまたぐ一地帯の買収に乗り出した。しかし、空港建設によって該当地域の住民が被る害は大きいことが見込まれ、また政府側が提示した接収地の買収額は面積1平方メートルあたり7ペソ(2001年当時の為替レートで約85円)と極めて少額であった。このような不当な買収条件を受け、住民側は政府への土地の売却を拒否した。さらに交渉過程において住民の意見が尊重されず、政府によって一方的に計画が進められたため、住民の不満は頂点に達し、抗議運動が展開されていくこととなった。
その住民側の運動の核となったのが、アテンコ住民が中心となって組織しFPDTである。最終的に彼らは建設計画を中止に追い込むことに成功する。だがアテンコにおいては、その後も住民とアテンコ当局の緊張関係は残存し、2006年には警察による露天商の強制立ち退きに対しFPDTら住民が再び抵抗、大規模な暴動へと発展した。その際拘留されたIgnacio del Valle氏らFPDTの主要幹部は2010年6月に全員釈放されたが、現在も住民の自治と土地の権利の要求のため、FPDTを中心とした抗議運動は継続されている。
III. 調査内容
文献調査とインタビューにおいて、それぞれ以下の項目を中心に調査した。
<文献調査>
・近年のメキシコにおける社会運動論に関する研究論文・書籍
・サパティスタ運動・ネオサパティスタ運動に関する研究論文・書籍
・2001〜2002年の新空港建設計画に関する研究論文・書籍
・2001年以降のアテンコにおける社会運動を事例研究とする研究論文・書籍
・アテンコにおける新空港建設計画への抗議運動、及び2006年の暴動以降の抗議運動に関する報道記事
・アテンコの人口・生業等の基礎情報・統計データ
・アテンコ事件及びアテンコにおける社会運動に関する調査チームの所在
<インタビュー>
・FPDT形成過程
・FPDTで活動するアクター
・EZLNとの関係性
・他の社会運動組織との関係性
・NGO・国際機関との関係性
・政党との関係性
・現在の活動状況
・FPDTにおける今後の課題
IV. 調査地
<メキシコシティー>
メトロポリタン自治大学イスタパラパ校(UAM-I)、メトロポリタン自治大学ソチミルコ校(UAM-X)、メキシコ国立自治大学(UNAM)、ラテンアメリカ社会科学研究所(FLACSO)、メキシコ大学院大学(El Colegio de México)、メキシコ国立統計地理情報院(INEGI)
<メキシコ州>
FPDT事務所(サン・サルバドール・アテンコ内)
V. 調査日程(17日間)
2010年
9月7日:成田出発、メキシコシティー到着
8日:UAM社会学科教授Juan José Santibañez教授と面談
9日:UAM社会学科教授José Cenobio Briones Sánchez教授と面談
10日UAMイスタパラパ校にて資料・文献収集
11〜12日:UNAMにて資料・文献収集
13日:FLACSO・El Colegio de Méxicoにて資料・文献収集
14日:UAMソチミルコ校にて資料・文献収集
15〜16日:UNAMにて資料・文献収集
17日:FLACSO・El Colegio de Méxicoにて資料・文献収集
18日:FPDT事務所訪問
19日〜20日:収集資料・文献の読み込み
21日UAMイスタパラパ校にて資料・文献収集
22日:メキシコシティー出発
23日:成田到着
VI. 調査結果
<文献調査>
・メキシコにおける社会運動研究の動向
一つ目は、農村社会学からのアプローチがある。ここでは、従来国内において政治・経済的に周縁化され続けてきた農村の貧困状況が着目され、近年の新自由主義政策の見直しが提起されている。このアプローチの中では「新しい農村性」(”Nueva Ruralidad”)が強調され、被従属的であった農民や先住民が主体となる社会運動に、反資本主義・反新自由主義路線の構築の可能性を見出している傾向がある。主な論者には、Bartra、Rubio、McMichaelらがいる。
二つ目は、ローカル―グローバル型社会運動の発展への関心である。このアプローチでは、集団行動による社会の再構築への試みとして社会運動が分析され、特に女性やマイノリティーなども含めた新たなアクターの誕生と、ローカルな草の根の民衆運動が国全体、そして国外へと拡張されていく動向が注目されている。ここでは、運動の拡大に関して、民衆社会運動の経験が国内の政治に何らかのインパクトを残し、生かされることが求められる。この研究動向に関しては、Mestriesや Pleyers、Zermeñoらが主要論者である。特にZermeñoは1968年の学生運動を分岐点としてメキシコにおける市民社会と社会運動について論じてきたが、近年においてその視野に広がりを持たせていることは興味深い。また、この研究動向は、近年の民主主義論の主要論客であるポルトガル人政治・社会学者De Sousa Santosとも繋がると言える。
・ネオサパティスタ運動に関する研究動向
社会運動組織間の連帯・ネットワークの拡大への関心、またその重要性に注目する研究が多く見られる。これには、サパティスタが諸社会運動組織間の連帯を促すための政策「もうひとつのキャンペーン」(”La Otra Campaña”)の展開が影響力を持っていると言える。特にFuentes、Navaらの共同研究においては、アテンコにおける運動を含め、オアハカの教職員による抗議運動や先住民会議の活動など、「もうひとつのキャンペーン」へ参加する社会運動組織の展開に着眼されている。
・アテンコ事件に焦点を当てた事例研究
UAM、UNAM、FLACSOの中央図書館で得られた書籍・研究論文(修士論文・博士論文含む)から、アテンコ事件は主に政治学、社会運動論、また法律学の観点からも調査されていることが分かった。
まず政治学においては、政府がアテンコにおける抗議運動に対して武力を用いた方法でしか対処できなかったことが指摘され、抗議運動を含めた社会運動の勃興と国家の政治システムの危機を結びつけながら論じられている。特に上述したFuentesやNavaらの共同研究の中では、アテンコの暴動が起きた2006年に国内で大統領選挙での汚職をめぐる混乱が発生していたこと、また他方では各地で鉱山労働者や教職員による大規模な抗議運動が生じていたことから、この年がメキシコの国家政治の危機を象徴する一年であったと捉えられている。
一方、社会運動論においては、上述したネオサパティスタ運動に関する研究の中でアテンコの運動が事例として取り上げられると同時に、社会運動組織であるFPDTの形成過程と組織としての機能、参加者の動員に着目した研究がある。現在その中心となっているのがKuriと考えられる。
また、法律学における研究は、住民の自治と土地所有の権利について論じられているが、その数は上述の二つの学問的見地による研究に比べて極めて少数である。
<インタビュー>
・FPDT形成過程・参加者
FPDTが組織として機能し始めたのは、1980年代後半から1990年にかけてだという。新空港建設計画が政府によって発表されたのは2001年だが、それまでに政府から土地の視察や買収交渉が行われはじめていたため、del Valle氏が中心となって政府の計画に反対するための組織を形成した。
初期の参加者は、主に成人男性であったが、2001年から2002年にかけての抗議運動、また2006年の暴動以降の抗議運動を通じて、次第に参加者は多様化されていった。現在はアテンコ地域内の女性の参加率も高いという。また、若者が果たす役割は大きく、近年のFPDTの広報活動の中核となっているホームページやブログ、ツイッターという媒体は、彼らの技術に依る。
・外部のアクターとの関係性
FPDTは1994年にEZLNが蜂起、大規模な抗議運動を展開した際に支持を表明して以来、EZLNとの交流が始まっている。そして2005年にEZLNが新たな政策として「もうひとつのキャンペーン」を開始し、そこにFPDTが組み込まれた。それによって、同様に「もうひとつのキャンペーン」に参加する他の社会運動組織との相互支援関係が築かれていったという。とりわけ、南部オアハカ州での「オアハカ人民会議」(Asamblea Popular de los Pueblos de Oaxaca :APPO)による抗議運動など、アテンコの暴動と同じ2006年に発生した各地の抗議運動組織との関係強化が見られる。
一方、2010年のdel Valle氏らの釈放に話が及んだ際、アムネスティ・インターナショナル等の国際人権団体やNGOによるメキシコ政府への介入が確認された。時間の制限により、具体的な各組織・団体名や、FPDTとNGO・国際機関の関係性は明確化できなかったため、今後より詳細にする必要がある。
また、政党との複雑な関係が見られた。一般的にアテンコにおける抗議運動は、左派の野党である民主革命党(PRD)の支持を受ける運動として理解されている。しかしdel Valle氏は「PRDは我々の運動への支持を表明したが、イメージ作りに利用されただけで実際は何もしてくれない」と話しており、「(右派の)PRIや(現政権の)PANもPRDも結局は同じ。政党に依存することなく運動を進めていきたい」と語っている。確かに文献調査から、「暴動はPRDが仕掛けたのではないか」という報道など、各政党が報道を通じてアテンコの抗議運動を政党間の争いに利用している側面がみられる。しかし、その中でdel Valle氏が語るように、どれだけ抗議運動を政党から自律した形で運営できるか疑問が残る。
・FPDTの現在の活動状況と今後の課題
del Valle氏は「新空港建設計画が中止され、暴動時に逮捕されたFPDT幹部が全員釈放され、今後はどのような目的を持って活動を行っていくのか」という質問に対し、今後も毎年(2006年の事件が起きた)5月3日にデモを実施し、その他にも不定期に何等かのイベントを行っていきたいという。その理由には、新空港建設計画が中止になった現在も、交通網の拡大など、水面下で政府による都市開発の危機がアテンコ一帯に押し寄せている事実がある。そのように現在も都市開発における土地の問題が継続していること、また事件の風化を防ぎ、住民の間で土地に関する権利と自治の意識を保っていく必要があるという。
なお、del Valle氏とは本調査として2月にインタビュー調査を実施させてもらう約束を取り付けた。
VII. 今後の課題
まず、2002年に新空港建設計画が中止に至った要因を明らかにする必要がある。今回の資料・文献調査で得られた先行研究からは、住民の抗議運動が実を結ぶ形で計画中止に至ったという論調が目立つ。しかし、2000年に政権交代したばかりの与党PANが、大々的にアピールしていたプロジェクトを容易に中止するとは考えにくく、簡略的にその要因を抗議運動に見出すのは難しい。財政的な問題、あるいは住民組織と政府との間で何等かの政治的交渉があった可能性も考えられるため、双方の交渉記録等を入手・分析する必要がある。
また、資料・文献調査とインタビュー双方で、FPDTへの参加者・支持者の増加、そして社会運動組織間の連帯強化が確認されるが、そのようにネットワークが拡大することで生じうる問題がいくつかある。
まず、そもそも誰が運動の主体であるのかが見えにくくなってくる可能性がある。アテンコの土地問題に関して実質的な利害関係を持っていないアクターがいかにFPDTの活動に共鳴し支持・参加へ至っているのか、つまりFPDTの外部アクターへのインパクトをはかるためにも、参加者・共鳴者の線引きをある程度行う必要があるだろう。
また、運動の目的と視野が次第に変容する可能性も見逃すことはできない。初めはローカルな土地の問題に対する抗議が運動の目的であったとしても、「反資本主義」などのより広い視野と説得力を持つ言説を用いることで、他の社会運動組織や外部アクターの支持を取り付けることが可能になり、また自分たちの活動を正当化することができる。FPDTのケースでは、全国先住民委員会や農民による運動と接合し、連帯関係を築いていることが分かっており、FPDTも農民のシンボルとされる山刀を自身の運動のシンボルに用いている。しかしアテンコの場合、住民の大半は何等かの先住民に分類されておらず、また農業ではなく商業に従事しているのが現状である。目的と視野の拡大は運動組織に説得力を持たせるが、現状との間に齟齬が生じうる。よって、戦略的に行う自己表象と目的の設定の揺らぎを注意深く見ていくべきであろう。
そして、「もうひとつのキャンペーン」や他の運動組織との連帯関係に包括されていく中で、FPDTの独自の可能性と限界を見出す必要がある。まず、FPDTはいくつかの点でEZLNの方法・戦略を踏襲していると考えられる。その一つには、政党との関係の断絶がある。del Valle氏の話にも政党依存への拒絶反応が見られたが、しかしEZLNとFPDTの場合では状況が異なる。EZLNの場合はその参加・支持の規模は大きく、政党とある程度の距離を保つことができた。しかし、FPDTの場合は、EZLNに比べてその規模は格段に小さいため、EZLNの傘下にいるとはいえ、同様に自律的な活動を展開することは困難であろう。また一方で、FPDTの持つ強みを分析するためには、アテンコ周辺の他の抗議運動組織がなぜ運動の維持・拡大に至らず、FPDTは可能であったのかを見ることが必須となる。例えば新空港建設計画に際し、アテンコ内部で「アテンコ連合」(Atenco Unidos)という組織も形成されていた。その組織が解散したのか他の組織に吸収されたのかはまだ明らかにできていないが、弱体化していったことは明らかである。よって、力を失っていった他の組織と比較することで、FPDTの強みが見えてくるだろう。
最後に、「なぜ住民は土地を守ろうとしているのか」ということに着目する必要がある。資料・文献調査から、空港建設の接収地となる予定だった土地は、農業や居住には不向きな土地であることがわかった。よって、なぜ一見不要に思える土地を守ろうとするのか、つまり住民にとっての土地の意味を分析することで、運動を拡大させようとする外向的動態とは逆に、FPDTが持つ住民間のアイデンティティー・精神的紐帯を求める内向的動態が明らかにできると考える。
以上のことから、今後は本調査に向けて、FPDTの組織としての機能・戦略、またFPDTと外部アクター(EZLN、他の運動組織、政党、メディア、NGO、国際機関)との相互作用を把握した上で、@従来のメキシコにおける社会運動とは異なる、FPDT独自の集団行動の戦略と効果、有効性を分析すること、またA住民にとっての土地の意味を分析することを目標とする。
■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
■ 2010年度調査第2回
■ 2010年度調査第1回
■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)
■ 2009年度調査第2回
■ 2009年度調査第1回
■ 2008年度調査