*調査日程 及び 調査地
・全日程 8月19日〜9月14日(27日間)
・調査地
8月19日〜8月26日 タイ・バンコク
8月27日〜9月3日 タイ・イサーン(東北)地方
(コンケン・マハーサラカム・ブリーラム・ナコンラーチャシマー)
9月4日〜9月5日 タイ・バンコク
9月6日〜9月12日 カンボジア・シェムリアップ 及び プレア・ヴィヒア
9月13日 タイ・バンコク
*調査成果一覧
調査目標 |
達成度 |
調査結果 |
| ★一次資料収集 |
|
| ・ラッタニヨム |
× |
公文書館の資料番地がわからない |
| ・地方官吏からの内務次官宛て書簡 |
× |
公文書館の資料番地がわからない |
| ・民族別人口・クメール語話者の数的変遷資料の特定 |
× |
内務省に訪問する必要性 |
| ・内務省出版の各県別情報本 |
◎ |
2004年に発行された資料有 |
| ★書籍収集 |
|
| ・イサーンの歴史に関する書籍 |
○ |
21世紀の資料は見つからず |
| ・カオ・プラ・ヴィハーンに関する書籍 |
◎ |
書店にて22冊購入 |
| ・タイ国内のクメール遺跡に関する書籍 |
○ |
遺跡紹介書籍を入手 |
| ★映像・雑誌記事収集 |
|
| ・カオ・プラ・ヴィハーンの特別番組 |
◎ |
ASTVの特別番組のVCDの入手 |
| ・クメールに関する特集記事 |
◎ |
マティチョンやASTV発行の雑誌の特別記事を入手 |
| ★遺跡見学 |
|
| ・ピマーイ遺跡公園 |
○ |
東北タイにおいて観光地化されている主な遺跡の見学 |
| ・ムアン・タム遺跡公園 |
○ |
| ・パノム・ルン遺跡 |
○ |
| ・グー・プアイノイ |
○ |
| ・グー・バンガオ |
○ |
・カオ・プラ・ヴィハーン (プレア・ヴィヒア) |
△ |
遺跡の見学は達成。ただし、フンセン村・プレア・ヴィヒア国立博物館の見学はできず |
| ・ムアン・ボラーン |
○ |
バンコク郊外にある観光地。プレア・ヴィヒアのミニチュアもあり |
@調査対象地域(イサーン南部)の基礎データ収集
資料収集は主にバンコクの国立図書館,国立公文書館,チュラロンコーン大学図書館,タマサート大学図書館で行った。収集した資料は以下の通りである。
・一次資料
2004年に内務省から発行されたタイ全国県別資料集から,調査対象となるイサーン南部のカンボジア国境にある4県の情報を収集した。この資料からは,各県の県章が作成された時期やシンボル決定の意図などの他,クメール遺跡がその県でどのように扱われ保存されてきたかなどを読み取ることができる。これによれば,イサーン地方でクメール遺跡をシンボルとして採用したのは最近のことであり,現国王ラーマ9世の通達により,シンボル化したことがわかる。
・国立公文書館の利用ガイダンス
公文書館の利用は1か月以内であれば許可証が無くても可能であることがガイダンスにより判明した。一般的にはOffice of the National Research Council Thailand発行の許可証が必要であるとされているが、特に日本人の利用が多い8・9月と2・3月は,短期調査に限り許可証無しの利用が認められる。資料番地がわかれば,自ら書庫に入って資料を探すことも可能。
Aイサーン史及び,プレア・ヴィヒア遺跡に関する基本文献収集
・書籍
プレア・ヴィヒア遺跡(タイ語では「カオ・プラ・ヴィハーン」と呼ぶ)に関する書籍19
冊,「タイ人」定義に関する書籍2冊,イサーン史書籍1冊,クメール遺跡全般に関する書籍3
冊を収集した。
特にタイとクメール(カンボジア)のナショナリズムを比較して論じるものや,1903年前後
にタイが現在のカンボジアのシェムリアップ周辺地域の領土損失頃から現在までの歴史に関して論じられたものが主である。
イサーン南部に居住するクメール人の話題に触れてはいるものの,明確にそのアイデンティティ分析を行った書籍は見受けられない。ナショナリズムの高揚とクメール蔑視の表現が見られる書籍もあり,現在タイ人がイサーン地方やクメール人をどのように認識しているのかについて分析するのに役立つと考える。
・映像・雑誌記事
ASTVという黄シャツ派を支持基盤に持つテレビ局が,近年プレア・ヴィヒア遺跡に関する特別番組を多く作成している。この番組はDVDやVCDとしてテレビ局で発売されており,タイのナショナリズム派である黄シャツが,この遺跡の存在を利用する目的や方向性がよく表されている。また,ASTVは主なニュースを集めた週刊雑誌も刊行しており,隔週でクメールに関する特集ページを組んでいる。特集で扱われるのは主に歴史に関してで,クメールがフランスに植民地化された後タイがどのようにフランスと対峙してきたのか,クメールを救済するためにどう動いてきたかなどが強調される記事になっている。
B関連研究機関・施設訪問
訪問した施設・研究所や大学は以下の通りである。
・ASTV(テレビ局)
クメールの特集記事を書いている「教授」と呼ばれる監修者にコンタクトを試みたものの,研究対象がプレア・ヴィヒアであると判明すると,その秘書の態度が急変した。「結局,あなたはあの遺跡を『プレア・ヴィヒア』(カンボジア領)と認識するのか,それとも『カオ・プラ・ヴィハーン』(タイ領)と認識するのか」という質問が繰り返され,最終的に直接話を聞くことは不可能であった。しかし,この質問はこのテレビ局のある基本方針を表していると考えられる。遺跡=領土問題として報道するという方針である。事実,滞在中に放送されるニュースでは,そのような表現が多用されている。
・東北タイ芸術文化研究所(マハーサラカム大学内)
東北タイのマハーサラカム県にある,イサーン文化に関して研究を行っている施設。歴史研究を行っている教授が多く在籍している。しかし,主にラーオ研究を行っている研究所のようで,クメール研究を行う研究者はいない。
・メコンインスティテュート(コンケン大学内)
東北タイで最も大きい都市,コンケンにある。この都市は「中部タイ化」政策の過程で東北タイのモデル都市として建設された都市である。メコンインスティテュートは,東西冷戦下で設立された施設で,東北タイに関する研究の中心施設である。しかし,クメール問題が深刻化して以来,クメール関係の研究者は所属していないことが判明した。
Cイサーンにおけるクメール遺跡の保存・公開状況の見学
・コンケン → プラサート・プアイノイ
コンケン市街地からバイクで片道2時間の郊外に位置している。東北タイ北部では最も大きく美しい遺跡とされており,保存にも力が入れられている。看板にも保存作業の過程が解説されており,遺跡もセメントで補強されている。重要なレリーフは,コンケン国立博物館に移設されており,ここにはレプリカが展示されている。
・マハーサラカム → グー・バンガオ
施療院跡。仏教寺院の隣に位置している。看板はあるが,遺跡までの交通機関は無く,観光地化はされていない。地域住民にも存在をあまり知られていない。
・ブリーラム → パノム・ルン,ムアン・タム
隣接する2つの遺跡である。山の上に位置し,麓でパイクタクシーを雇って行く以外の交通手段がない。両遺跡とも遺跡公園として整備されており,観光客も多くみられる。遺跡内には展示・解説施設が設置され,遺跡のパンフレット等も充実している。この遺跡はブリーラム県の県章に組み込まれている。
・ナコンラーチャシマー → ピマーイ
東北タイにあるクメール遺跡では,最も大きなものとして知られている。長距離バスの路線も充実しており,看板や展示施設も充実している。近くに国立博物館があり,この遺跡からの出土品や重要なレリーフなどが展示されている。タイ政府が初期段階から最も保存に力を入れた遺跡としても有名で,保存方法に関する展示も多くみられた。
・プレア・ヴィヒア → プレア・ヴィヒア(カオ・プラ・ヴィハーン)
本研究の対象遺跡となる遺跡で,タイとカンボジアの国境上に位置する。国際的にはカンボジア領として認められており,現在はカンボジアが管理している。しかし,国境紛争の影響で今も兵士が多く駐屯している。麓にあったゲストハウスは今年に入ってすべて撤去され,新しく作られた「フンセン村」に多くの住民が移住した。遺跡から20キロ離れた場所には今年3月,プレア・ヴィヒア国立博物館がオープンしている。しかし,この博物館は海外の研究者向けに作られており,現地住民にはその存在をあまり知られていない。
*今後の課題
本調査において,最も力を入れたのは文献収集である。タイに居住するクメール人に関する資料は,そのほとんどが中部タイから派遣された官僚たちによって記述されており,「文化政策の受け手」としてのクメール人が記述したものはほぼないからである。今回収集してきた資料を通し,現在中部タイがクメールに対してどのような意識を持っているのかを分析すると共に,クメール人側の意識変遷について分析できる資料を割り出すことを今後の課題とする。