タイのイサーン(東北)地方は,プレア・ヴィヒア遺跡領有問題に端を発したカンボジアとの国境紛争をきっかけに多くの研究者の関心を集めている。それらの研究の多くは政治・法律・国際関係など現代問題との観点から行われている。しかしイサーン地方の抱える問題を考える時,この地域の歴史的立場の変遷を考慮しなければ,問題の原因解明は難しいであろう。
タイの地方は大きく中央部・北部・東北部・南部と4つに分類される。各地方はもともと異なる王に支配されていたが,19世紀末の西洋諸国による植民地政策の脅威にさらされる中で,中央部シャム王国を中心に統合された。その後,1937年の立憲革命を期に「タイ国民」としての言語教育や文化教育が徹底して行われたが,この時「タイ国民」定義が中央シャムの言語・文化をベースに策定されたため,それらを地方に広める政策を「中部タイ化」政策と呼ぶ。しかし,4地方の中でもイサーン地方と呼ばれる東北部は,「中部タイ化」が最も遅れた地域であり,現在も言語や食文化等中部タイとは大きく異なる文化が存在する。また民族構成も中部タイとは大きく異なり,北部にはラーオ人が,南部にはクメール人が多く居住している。
このような現状を含め,本研究では @タイ中央政府による政策(政治)史 Aイサーン地域史 という視点でイサーン文化の再構成を行う。最終的には,「国の政策の受け手」としてのイサーン地方の変遷に焦点をあてることで,プレア・ヴィヒア問題の根底にあるものを明らかにすることを目的としている。
本調査では,主に以下の4点について調査を行った。
@調査対象地域(イサーン南部)の基礎データ収集
Aイサーン史及び,プレア・ヴィヒア遺跡に関する基本文献収集
B関連研究機関・施設訪問
Cイサーンにおけるクメール遺跡の保存・公開状況の見学
*調査日程 及び 調査地
・全日程 8月19日〜9月14日(27日間)
・調査地
8月19日〜8月26日 タイ・バンコク
8月27日〜9月3日 タイ・イサーン(東北)地方
(コンケン・マハーサラカム・ブリーラム・ナコンラーチャシマー)
9月4日〜9月5日 タイ・バンコク
9月6日〜9月12日 カンボジア・シェムリアップ 及び プレア・ヴィヒア
9月13日 タイ・バンコク
*調査成果一覧
調査目標 |
達成度 |
調査結果 |
★一次資料収集 | ||
・ラッタニヨム | × |
公文書館の資料番地がわからない |
・地方官吏からの内務次官宛て書簡 | × |
公文書館の資料番地がわからない |
・民族別人口・クメール語話者の数的変遷資料の特定 | × |
内務省に訪問する必要性 |
・内務省出版の各県別情報本 | ◎ |
2004年に発行された資料有 |
★書籍収集 | ||
・イサーンの歴史に関する書籍 | ○ |
21世紀の資料は見つからず |
・カオ・プラ・ヴィハーンに関する書籍 | ◎ |
書店にて22冊購入 |
・タイ国内のクメール遺跡に関する書籍 | ○ |
遺跡紹介書籍を入手 |
★映像・雑誌記事収集 | ||
・カオ・プラ・ヴィハーンの特別番組 | ◎ |
ASTVの特別番組のVCDの入手 |
・クメールに関する特集記事 | ◎ |
マティチョンやASTV発行の雑誌の特別記事を入手 |
★遺跡見学 | ||
・ピマーイ遺跡公園 | ○ |
東北タイにおいて観光地化されている主な遺跡の見学 |
・ムアン・タム遺跡公園 | ○ |
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・パノム・ルン遺跡 | ○ |
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・グー・プアイノイ | ○ |
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・グー・バンガオ | ○ |
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・カオ・プラ・ヴィハーン (プレア・ヴィヒア) |
△ |
遺跡の見学は達成。ただし、フンセン村・プレア・ヴィヒア国立博物館の見学はできず |
・ムアン・ボラーン | ○ |
バンコク郊外にある観光地。プレア・ヴィヒアのミニチュアもあり |
■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
■ 2010年度調査第2回
■ 2010年度調査第1回
■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)
■ 2009年度調査第2回
■ 2009年度調査第1回
■ 2008年度調査