私は、現代の先住民共同体において、その住民が「伝統」とみなしている習慣や制度、モノや技術がどのような文化的意味を与えられ、社会的に機能しているかということに強い関心を抱いてきた。そこで着目したのが、メキシコ、ユカタン半島のマヤ先住民地域で行われている伝統養蜂(meliponicultura)である。それは先スペイン期から今日まで2000年以上続けられ、その世界観や宗教儀礼において重要な役割を果たしてきたことがこれまでの研究において明らかにされている。
1970年代に実施された先住民地域の近代化事業の一環で、近代養蜂(apicultura)が導入されたことを契機に、伝統養蜂は急速に衰退した。伝統養蜂衰退の原因は、近代養蜂が伝統養蜂に比べて蜂蜜の生産効率が高いことに加え、伝統養蜂で飼育されているハリナシミツバチ類が、近代養蜂で飼育されているセイヨウミツバチ類と共存出来ないことによる。
このように、一度は衰退した伝統養蜂であるが、90年代後半から、カンペチェ州のホペルチェン郡やカルキニ郡のいくつかの村落で再開された。ホペルチェンのイッチ・エック村では95年に村の女性達がグループを結成し、極めて組織だった伝統養蜂の保護活動を行ってきた。
生産効率が高く経済的なメリットも大きい近代養蜂を実践しているにも関わらず、伝統養蜂が再開されたのはなぜだろうか。近代的な生産様式に一度は取って代わられた「伝統的」生業が再開される社会的状況、文化的論理を検討することで、現代先住民地域の民俗文化をよりよく理解することができると私は考える。よって、本調査では、伝統養蜂再開の背後にある論理を明らかにするために、どこで、誰が、どのように伝統養蜂を実践し、生産物の消費を行っているかについての実態調査を行うことにした。
フィールドワークの対象地域として設定したのは、カンペチェ州ホペルチェン郡及びカルキニ郡のマヤ先住民村落である。具体的には、サンタ・クルス村、コンセプシオン村、カルキニ村、サン・アントニオ・サカブチェン村、イッチ・エック村で調査を実施した。紙幅の制約上、本報告ではすべての調査結果にふれることができない。よって、具体的な調査内容への言及は、サンタ・クルス、イッチ・エックの2村落での調査にとどめる。
サンタ・クルス村
ここでは、15個の巣箱を保有して伝統養蜂を行っている30代の男性から話を聞くことができた。その巣箱は丸太をくり貫いた「ホボン(hobon)」とよばれるユカタン半島固有のものではなく、近年考案された、近代養蜂のそれと同様の直方体の巣箱であった。伝統養蜂を始めたのは5年程前で、カルキニ村でCDI(国立先住民開発委員会)主催の伝統養蜂講座が開かれたことがきっかけであるという。そこでは、ハリナシミツバチの飼育方法や蜂蜜の採蜜方法と、花粉団子の採集の講習をうけた。しかし、彼は花粉団子の採集は行っていない。伝統養蜂を始めるにあたって、巣箱はコンセプシオン村まで出向いて購入したそうである。サンタ・クルスではこの男性の他にも数人、同様のやり方で伝統養蜂を行っている人がいる。
一度に一つのホボンから採集できるハチミツの量は約500ミリリットルで、その用途は販売、食用、薬用の大きく三つである。販売する割合が最も高い。買い手はメリダやカンペチェなどの都市部や、外国人(例えばフランス人)が直接購入に来るそうだ。価格は1リットルあたり200ペソである。近代養蜂の蜂蜜の約十倍以上の価格がつくことからも、伝統養蜂は家計の大きな足しになる。今後は、さらに伝統養蜂の規模を拡大することを考えている。
コンセプシオン村やサンタ・クルス村、カルキニ村を始めとするカルキニ郡一帯の村落では、2000年以降、CDIによる、伝統養蜂普及の講座や、蜂蜜の買い取りなど伝統養蜂復興のプロジェクトが実施されている。コンセプシオン村でインタビューを行ったある男性も、一年前までCDIの委託を受けて伝統養蜂を行っていたそうである。
イッチ・エック村
ホペルチェン郡のこの村では、90年代の後半から、「koolel kab(コレル・カブ)」と呼ばれる女性グループが結成され、伝統養蜂の保護活動を行ってきた。
グループの結成は、伝統養蜂家であった男性が90年代初頭に他界したことがきっかけである。彼の死後、伝統養蜂を引き継ぐ者がなく、ハリナシミツバチは巣箱から大幅に減少した。それに危機感を覚えた孫の女性が、伝統養蜂を守りたいという思いから、村の他の女性に呼び掛けることでグループは結成された。グループの結成にあたって、開発NGOのEDUCEが、技術的・経済的支援を行い、活動方針に大きな影響を与えている。伝統養蜂の保護活動は、このNGOによる、女性をターゲットとし、男女平等の権利概念を先住民村落に浸透させる目的の、「Rural Agro-industries with Women」プロジェクトの一環でもあった。
グループが生産する蜂蜜や蜜蝋は、蜂蜜、美容クリーム、石鹸、目薬として事業所で販売している。この事業所はこれまでの収益と、政府・非政府を含めたいくつかの団体の支援を合わせて建設されているという。蜂蜜の価格は約120グラムで1500円ほどである。蜂蜜の価格としてはかなり高い。商品はすべてイッチ・エック村で販売されている。商品には「Ah Mucen Kab(アフ・ムケン・カブ)」という商標がつけられているが、これは先スペイン期から伝えられるマヤ神話に登場する神の名前である。それは、ミツバチと養蜂を保護する神であり、ミツバチと人間が融合した体を持つ。先スペイン期に作成され、暦や儀礼が記録されているマドリード絵文書に描かれている。先スペイン期から養蜂が盛んであったトゥルムの遺跡からはその彫像が発掘されていることもよく知られている。いわゆる「マヤ文明」のイメージが、販売戦略として、その商品に付与されているのだ。
今回の調査で訪れた村落の伝統養蜂の実践は、いくつかのパターンに分けられる。まず、生産の形式について見るとつぎのようになる。@近代養蜂と類似した木で制作した直方体型の巣箱を用いてハリナシミツバチを飼育管理するもの、A伝統養蜂場や巣箱ホボンを持っているが、何らかの理由(技術を持っていない、興味がない)から、実践しない、もしくは巣箱をすでに売ってしまった場合、B先スペイン期から行われていたものとほとんど変わらない様式で実践する場合である。
@の伝統養蜂は、親族から受け継いだものではなく、行政機関によって実施された講座で技術を学んだことで開始されている。こういった形で伝統養蜂を実践する人が、これまで蜂蜜や蜜蝋の利用(食用、医療用、儀礼など)と日常的に関わっていたという事実はなく、象徴的に重要な意味を持つというよりは、現金収入獲得の新しい生業の一つとして取り組み始めたのである。
Aの場合は、コンセプシオン村で特徴的であった。ホボンの売買は極めて活発に行われており、経済的に困ったら売り、余裕が出来たら買う、ということを繰り返している人もいた。同村で、裏庭に数年前から放置したままの伝統養蜂場を持つ一家は、伝統養蜂にはあまり興味はなく、むしろ現金になるのであれば巣箱を売ったほうがよいのではないかと考えている。こういった態度は、伝統養蜂という生業が、今日のマヤ先住民村落の生活においてどのような意味や機能を持つかを考えるための手掛かりの一つになるだろう。
Bに該当するのは、イッチ・エック村のそれである。かつて行われていたと考えられている「正しい」方法に出来る限り近い形で行おうとしている。そもそも、女性グループが伝統養蜂保護活動を開始した時、メンバーのうちで誰もその方法や技術を知らなかった。そこで、EDUCEが仲介をし、伝統養蜂の研究者が彼女達にその技術や歴史を教授したという背景がある。イッチ・エックの伝統養蜂は、代々受け継がれてきたという意味での「伝統」に成り立っているのではなく、時間の経過の中で失われた(と当事者が考えている)ものを自分たちの手に取り戻そうとする実践だといえる。現在では、蜂蜜の収穫前には神に感謝を示す儀礼を行っている。
消費に関して見ると、あまり地域差は見られない。多くの村落で、大半が蜂蜜として販売され、自家用消費が占める割合は非常に小さい。自家用は、食用か眼病・腹痛の治療薬として消費されている。蜂蜜や蜜蝋を加工した製品を生産しているのはイッチ・エック村のみである。カルキニ村やコンセプシオン村では、以前は蜜蝋から蝋燭をつくり、カトリックの教会で使用する習慣があった。この蝋燭は教会で使用するためだけに作られ、家庭で用いられることは稀である。
今回の調査は時間的な制約もあり、伝統養蜂の機能的な側面を概観するにとどまったが、今後の調査を行っていく上で参考となる情報が集められた。それは、伝統養蜂の再開にはNGOや政府機関など外部の団体が関わっているケースが多いということや、伝統養蜂をめぐる経済活動の活発さである。それは蜂蜜やその加工物の販売だけでなく、巣箱ホボン自体も活発に売買されているということだ。また、その価格は微々たるものではなく、生活の質を向上させるに充分な額の収入となりうる。さらに、イッチ・エック村の事例では、「伝統」とみなされているものが再構成されている実態が浮かびあがった。
今後の課題は、実際に当事者がどのような意味を見出しているかを明らかにすることである。2011年夏季からは長期間のフィールドワークを行い、民族誌情報の収集を計画している。そうすることで、当事者が、伝統養蜂の生産及び消費の実践にどのような意味を与え、また解釈しているのかの検討を行うことを目標とする。
■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
■ 2010年度調査第2回
■ 2010年度調査第1回
■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)
■ 2009年度調査第2回
■ 2009年度調査第1回
■ 2008年度調査