上智大学 大学院 グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻

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大学院生へのフィールド調査サポート

調査地
カンボジア
調査時期
2011年3月
調査者
博士前期課程
調査課題
カンボジアの初等社会科教育に関する資料収集と聞き取り調査
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調査の目的と概要

 本調査の目的は、1993年体制下カンボジアの初等社会科教育における愛国心の形成をめぐる教育を明らかにするための資料収集および聞き取り調査を行うことである。
 カンボジアの教育・青年・スポーツ省(以下、教育省)は、2006年に教育計画および学習指導要領の改訂を実施し、初等教育の完全普及や教育の質向上を掲げるとともに、国民文化や愛国心、アイデンティティを育むことの重要さも主張している。この背景には、20年にも及ぶ内戦とめまぐるしい政権交代の歴史が影響している。つまり、1993年に実権を握った現政権にとって、安定した国家基盤をつくるための国民的アイデンティティを育むことは、国家の最優先課題であると考える。
 よって報告者の研究テーマは、教育は国家のイデオロギー装置である、という認識のもと、国家の独自性が最も表れる「社会科」を扱い、愛国心やアイデンティティ形成に関する記述がどのように変化しているのかを考察する。具体的には、現体制下において行われた2度の学習指導要領の改訂(1996年、2006年)に注目し、その変化が反映される国定社会科教科書の分析を行う。また、その受け手である教育現場の実態を考察し、政策レベルと草の根レベルの関係についても検証する。
 以上を踏まえ、本調査では2010年夏期に実施した調査に続く資料収集(学習指導要領国定教科書教員用指導書)に加え、公立小学校における授業の参与観察教員への聞き取りを通じ、政策と実情の2つの側面から初等社会科教育を包括的に考察することを目的とした。具体的には、教育省の管轄する書庫および教育省の印刷局において、学習指導要領、教科書、教員用指導書の収集を行い、公立小学校での参与観察と教員への聞き取りについては、ベトナム国境のスバイリエン州にて調査を実施した。

調査成果

本調査の目的である公立小学校での参与観察と聞き取り、および資料収集の成果について、以下で報告する。なお、調査日程は次の通りである。

3月5日:東京→プノンペン
3月6日:調査準備
3月7〜12日:公立小学校での参与観察と聞き取り:スバイリエン州
3月13日:スバイリエン州→プノンペン
3月14〜18日:教育省の書庫、大学図書館での資料収集
3月19・20日: 資料整理
3月21〜24日:教育省(印刷局)への訪問と資料収集
3月25日:プノンペン→東京

T.公立小学校での参与観察と聞き取り
 本調査で対象とした小学校は、ベトナムの国境のスバイリエン州にある公立小学校4校である。カンボジアの学校制度は初等教育6年、前期中等教育3年、後期中等教育3年の6−3−3制を導入しており、それぞれ、公立と私立の学校が存在する。スバイリエン州を選定した理由としては、本研究で扱う愛国心やアイデンティティ形成を意識した際、内陸部よりも国民的アイデンティティや領土に対する意識が高いことが挙げられる。事実、本調査地は2010年に野党党首のサム・ランシーがベトナムによる領土侵略を主張し、2年の懲役を言い渡された事件もあり、領土認識は他の州よりも強いことが考えられる。
 以下、対象とする小学校4校の基本情報を紹介したうえで、授業における参与観察と教授方法に関する教員への聞き取り調査の結果を述べる。なお、本調査で聞き取りの対象とした教員は、高学年(4〜6年生)を担当する男女教員を無作為に選出したものである。小学校の選定については、州都と地方の両側面を観察するため、州都にある公立小学校2校(@A)と州都から約15キロにある公立小学校2校(BC)をスバイリエン州教育局より紹介いただいた。

@プレア・シハヌーク小学校(設立年:不明)
・児童数:810人(女子350人)/教員数:51人(女性28人)
Aアヌボアット小学校(設立年:1997年)
・児童数:655人(女子:342人)/教員数:17人(女性:6人)
Bクロ−コー小学校(設立年:1979年)
・児童数:977人(女子:452人)/教員数:31人(女性:15人)
Cバンテアイ小学校(設立年:1979年)
・児童数:394人(女子:202人)/教員数:21人(女性:15人)

   参与観察については、学校の開始を表す国旗掲揚が行われる7時から、国旗が降ろされる17時までの間に高学年のクラスにて観察を行った。学校により多少の差異はあるものの、ほとんどの学校が午前と午後の2部制を採用しており、半日に4時間の授業を行っていた。本調査では、高学年の「社会」、「クメール語(国語)」、「算数」のクラスを観察することができた。教室内は、どの小学校も同様に、木製の2人掛け机を勉強机として使用しており、教室正面上に国王の写真を掲げ、壁にはこれまでに描いた絵や地図、折り紙、計算表、保健のポスターなどが掲示されていた。また、教材については、すべての小学校で国定教科書を使用しているものの、その数は著しく少ないため、4校ともに教科書の貸し出し制を採用していた。その一方で、社会科の芸術教育においては、色鉛筆や定規、折り紙といった教材を利用しながら授業を進める光景が多々見られた。
 教授方法に関する教員への聞き取りについては、教育省が発行する教員用指導書の利用において、政策レベルとの相違が見受けられた。本調査で対象とした小学校では、教員用指導書の数が著しく少ないため、ほとんどの教員が指導書を所有しておらず、4校ともに共有のものを小学校で保管しているか、もしくは有していないところもあった。そのかわり、教員らは教員用指導書をノートに写した後、独自の工夫を加えて日々の授業を行い、自作の指導書に則って授業を行う場合は、週に一度、校長か教頭による教授内容のチェックが入ることになっている。つまり、教員のほとんどが教員用指導書に定められた教授方法を純粋に実践しているとは一概に言えないことが明らかとなった。

U.資料収集
 本調査で収集対象とした資料は、前回の調査で収集できなかった過去の学習指導要領(1987年、1996年)と教員用指導書および社会科関連資料である。過去の指導要領は、本研究で扱う1993年体制下の初等教育を分析するうえで、教育制度の変遷を比較するために重要な資料であるため、収集に至った。以下、本調査で収集した主な資料の成果を報告する。
 教育省書庫での収集の結果、学習指導要領については、1987年発行のものを入手することができた。教育目的などの内容精査は今後の課題としたいが、教授科目に関する分析の結果、教授科目数の変遷に伴って、「社会科」に大きな変化を見ることができた。
 1987年の学習指導要領によると、1980 年代においては「道徳」、「クメール語(国語)」、「歴史」、「地理」、「理科」、「算数」、「絵画」、「芸術(歌、舞踊)」、「活動」、「体育」、「実践活動」の11科目が存在していたことが記述されている。しかし、1990年代中頃になると、これまで単独で存在していた「歴史」、「地理」、「道徳」、「芸術」、「絵画」が「社会科」として統合されたことが明らかとなった。なかでも、芸術は多くの割合を有しており、国家が社会科における芸術教育を愛国心教育の波及媒体として利用しようとする思惑も読み取れる。つまり、当初は純粋な芸術や音楽を教授する科目であったものが、「社会科」に統合されることにより、より政治的なものとして愛国心の育成のために利用されることが考えられる。実際、現行の社会科教育においては、芸術教育の単元においてカンボジアの地図やアンコール遺跡の彫刻を描かせる時間も存在する。そして、その裏には領土認識や歴史教育の役割を芸術教育が担っている側面も伺える。今後、さらに教科書の分析などを通じて、教授内容の変化を明らかにしていきたい。
 なお、1996年発行の学習指導要領については収集段階において教育省との誤差が生じたため、今回は収集に至らなかった。今後の課題としたい。
 教員用指導書と社会科関連資料については、教育省の書庫および教育省の印刷局で入手することができた。その際、社会科教科書作成委員会の方にお会いすることができ、教育省が発行する『社会科指導要領(2006年)』、『社会科指導要領の手引き(2001年)』の一次資料を入手することができた。これらの資料は、教育全体の枠組みを示す学習指導要領の詳細資料として位置づけ、今後、内容の精読を行いたい。

 以上、本報告ではカンボジアの初等社会科教育における愛国心の形成に関する資料収集および公立小学校での参与観察と聞き取りの成果について述べた。公立小学校での授業観察の結果、政策と教育現場には間隙が存在していることが分かった。具体的には、授業の教授において、教員は教育省が作成する教員用指導書を必ずしも使用しているとは言い難く、各々によって異なる方法をとっていることが挙げられる。これについては、本研究において、政策レベルと草の根レベルでの教育の位置づけをしっかり確立する必要がある。
 資料収集については、本研究の分析材料となるクメール語の学習指導要領、教科書、教員用指導書をほぼ入手することができた。なかでも、1987年の学習指導要領の収集によって、1980年代の教授科目が明らかとなったことは収穫であった。今後、学習指導要領および教科書、教員用指導書の精読を行い、同国の社会科における愛国心教育を検証していきたい。

■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)

■ 2010年度調査第2回

■ 2010年度調査第1回

■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)

■ 2009年度調査第2回

■ 2009年度調査第1回

■ 2008年度調査

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