本調査は、近現代レバノンにおける宗教と民族の関係性を追求すべく特に1925年のシリアで起きた山岳ドルーズ派教徒の反乱の影響が当時フランス委任統治下であったレバノン国内においてどのような形で現れたのか、そしてその影響とその後のレバノン共和国独立への動きとの関係性を解明すべく、現地レバノン(ベイルート)へ赴き現地調査と資料収集を行ったものである。
調査の概要としては、Saint Joseph University of Beirutを訪問し、同大学教授であるKhalil Karam教授と面会し、自らの研究内容を発表、さらに同研究に関する現地での状況を伺うこと、そして1925年から1936年前後までの禁帯出の一次史料の閲覧・複写を主な目的とした。一次史料については、フランス政府発行の文書や書簡はもちろん、当時ベイルート市内に大使館を持っていたアメリカ大使館などの記録も調査、また同時期に発行されていた新聞や雑誌の入手も行った。具体的には昨年(2009年)の追調査として、ベイルート市内のフランス大使館を訪問し、大使館の資料室とifpo (Institut Francais du Proche Orient)にて資料収集と一次史料の現物閲覧。また前回の調査時に閉館していたBibliotheque Orientale(レバノンの一次史料となるべく遺品や書簡を所蔵、公開している)を訪問し、資料収集。さらに、1926年にレバノン国内にてシリアの暴動が如何に報道されたかを知るべく、ベイルート市内の幾つかの大学を訪問、またダマスカスにも足を伸ばし、フランス・アラブ学研究所などでの資料収集を行なった。
〈ifpo (Institut Francaiss du Proche Orient)〉
ベイルート・フランス大使館内に設置されている、フランス東洋学研究所である。この研究所のカタログは外部から閲覧する事が出来ず、昨年の調査での情報の他には現地に着いてからの史料調査となった。所蔵する資料は膨大であり、研究所発行の二次文献も大量に所蔵、発行しているため、目的の史料または同時期の史料の検索には時間を費やした。しかし、その結果、修士論文に直接使用したいと考えていた幾つかの史料を入手することができた。また、ダマスカスのIFAED(Institut Francais d’ Etudes Arabes de Damas)とも連携が取れており、ここでの事前調査を生かしてダマスカスでは非常にスムーズに調査を進めることができた。
・Republique Francaise Minisetre des Affaires Etrangeres, Rapport a la Societe des
Nation sur la Situation de la Syrie et du Liban 1925-1936, 1936.
―フランス外務省にて、1922年から1947年の独立までの間に残されたレバノン国内の統治記録である。当時の国内の様々な状況について公式に記録されたものであり、国内の情勢を把握できると同時にフランス政府側の思惑を読み取る事ができる史料である。
・Haut Commissariat de la Republique Francaise en Syrie et au Liban, Statut Organique des Etats du Levant sous Mandat Francais: plomulgue le 14 Mai 1930, 1930.
―1924年から1930年の間に実際に発布された文書が綴じられている史料である。この中で、特に1926年のドルーズ派の反乱に対して、当時の高等弁務官が送った書簡が興味深い。
・ M. Fouad, Les Etats du Levant sous Mandat Francais, Beirut,1931.
―レバノンにおけるフランス委任統治の方針について。
・C. Carbillet, Au Djebel Druse: Choses vues et vecues, Beirut,1926.
―1925年のシリアでのドルーズ蜂起に関してその詳細が記録してある。
〈ベイルート・フランス大使館〉
ベイルート・フランス大使館が持つ資料室である。大使館の施設のためカメラなどは一切持ち込めず、複写可能な物も一部のため、史料の複写は手書きに依り、なかなか骨の折れる調査であった。しかし、目的の史料のページ数などは事前に調査してあったため必要な部分は十分に入手することができた。
・ Archives du Ministere des Affaires Etrangeres, Levant vol. 263, 1925.
―フランス政府によって、残されている史料だが、この中で特に1925年のレバノン・マロン派の司教からフランス政府に宛てられた手紙の記録と1926年にフランス政府外務大臣からベイルートの高等弁務官に宛てられた手紙の記録を確認することができた。
・ Correspondence d’Orient, Syro-Lebanse press, 1940.
〈Amrican University of Beirut〉
通称AUBと呼ばれる本大学は、その歴史も古く、フランス委任統治下の雑誌記事などはほとんど揃うといって良かった。入校にも厳重なチェックがあり、利用には事前に手続きと利用期間に応じた使用料を支払わなければならないという作業があるが、この手続きさえふめば、メンバーシップという名で本学生徒と同様の図書館のサービスを受けることができた。全図書が閉架式であるため、書架を眺め類似資料を探すことが出来ないのは難点であるが、アラビア語・英語・フランス語どの言語で検索しても全ての資料を表示してくれるため非常に便利である。また、貴重資料や私が探しているような古い時代の資料に関しては地下に別室で特別文書室があり、そこから持ち出しは出来ないものの司書の監視のもと閲覧することができ、ここでは他では手に入らない史料を幾つか入手することができた。さらに、古い新聞などは、マイクロフィルム化されており、利用時間に制限があるのと旧式の投射器で印刷機の不具合により、これらの史料の調査には少し時間がかかった。しかし、本大学では一番多くの有効史料を入手することができた。
・Al-Hoda
―1920年代ベイルートで発行されていたアラビア語の新聞。出版地域はベイルートを中心とするレバノン国内で当時の状況について詳細が報告されている。特に、ドルーズ派の反乱については国内での詳細な出来事がレポートされており、当時の状況を知る有効な一次史料である。
・ Cahiers de l’Orient Contemporain, Paris, 1945.
・ L’Asie Francaise, Paris, 1921-1924.
・ Journal of the Royal Central Asian Society, Paris, 1931-1942.
・ Notes et etudes Documentaires, Paris, 1957.
―これらの史料は、フランスのアジア支配に対しての報告。パリで発行されているが、現地の状況や資金問題、社会政策などの詳細。フランス政府のシリア・レバノンの委任統治支配の姿勢や方向性を読み取ることができる。
・ The Economist, London, 1925-1936.
―イギリス・ロンドン発行の新聞。1925年と1926年の記事の中に計4回程フランスによるシリア・レバノン統治の状況について書かれた内容があり、その中ではドルーズ派の反乱についてが多く触れられている。しかし、1927年以降の記事には、関連した内容はなく、この2年間のシリア・レバノンへの注目度が伺え興味深い。
〈Lebanese American University〉
通称LAU。前者のAUBに比べ入校の際にチェックさえ受ければ自由に図書館を利用できる(閉架式ではあるが)。本大学では、以下の一次史料を入手できた他に、ここには雑誌専門のレファレンスカウンターがあり、1920年代の状況を把握すべく雑誌の情報について司書の方に相談することが出来た。結局、本大学では1940年以降のものしか所蔵されていなかったのだが、把握していなかった幾つかの雑誌について情報を得ることができ、ダマスカスにて入手することができた。
・ Haut Commissariat de la Republique Francaise en Syrie et au Liban, La Syrie et le Liban sous l’Occupation et Mandat Francais 1919-1927, Paris, 1927.
―この史料は、主要な二次資料であるThe Formation of Modern Lebanon(Meir Zamir1985)でも多く取り上げられている一次史料であり、当時のレバノンの政治・経済から教育・衛生問題まで様々な事が記録されている。
〈IFAED(Institut Francais d’ Etudes Arabes de Damas)〉
ダマスカス・日本大使館の隣に位置するフランス・アラブ学研究所である。ここでは、ベイルートのifpoでの情報を元に1926年代に書かれたとされる幾つかの史料の他に、当時の雑誌を入手することができた。
・The Syrian World
―1926年からアメリカで発行されたシリア移民のための雑誌である。その内容は、現地在住のレポーターや教授、大使館員などから送られたレポートを元に忠実に報告がされており、同じ事件に対してキリスト教徒側・イスラム教徒側両方の記事を比較するなど、英語史料でありながら有効なものであると考える。また毎月発行されており、そのトピックから当時の人々の関心事が伺われ、その項目は興味深い。特に私が対象としている1925年の反乱については、実に多くの内容が報告されており、ドルーズ派の反乱に端を発し、シリアの革命が発展するに到る経緯や報告が逐一レポートされており、その全てが一次史料として活用しうると思う。その内容から、私が求めていたレバノンについての記述も多く見つけることができる。さらに、1927年の内容からは、私が以前より入手してあったアメリカ大使館の公文書とその内容が一致しており、史料の比較が行える。また、本雑誌で多く取り上げられているAl-Hodaについては、前述した通りAUBで入手しており、これについても比較調査が行えるものと考える。
〈古書〉
ベイルート・ダマスカス両市内において、古書店や古書市場にて史料調査を行った。この調査に関しては、もし何かあればという思いでの唐突な調査であったが、幾つかの収穫があった。ベイルートでは、ハムラ地区の古書店、ダマスカスではSaha al-azme広場近くの古本市にて、店員とのやりとりの末、1920年代の史料を探し回るというものであった。以下が、その一部である。完全に目的と一致するような史料の発見には至らなかったが、以下の中にはいずれも史料として活躍する可能性のある内容を含んだものである。
・Les Aventures de la Dialectique
・Elements d’une Doctrine radicale
・Islam Today
・Hommage a Andre Gide 1869-1951
以上を踏まえ、ドルーズ派の反乱をはじめとする1926年前後の動揺について、これはシリアの革命の発端として扱われてきたが、その影響は当時分割直後であったレバノンにおいては如何なる結果となって現れたのか、レバノンにおいてもこの時期の動向はより重要視されるべきではないか、との問題提起をもとに、当時の状況の証拠となるべく一次史料の収集を目的とした現地での調査を行った。まだ全ての史料を分析しきれていないものの、そこにはフランス政府の明らかな動揺をみることができる。当時のフランス政府の公文書の記録はもとより、雑誌や新聞、そしてアメリカ大使館の記録には、1925年から1926年のこの時のシリアから伝わってくる国内の反乱の動きに、非常に敏感に反応しており、宗主国にとって脅威であったこと、そしてその後の政策に大きな影響を与えていることがわかる。この調査結果を受けて、今後の研究は、その対象を宗主国であるフランス政府側の動きに絞って、より深い調査を進めたいと考える。
また、この1926年前後の動揺は同時期に海外で発行されている新聞等にも大きく扱われており、その後独立へと向かうレバノンにおいて、一つの転換期とも言える重要な時期であったと考えられる。今後、持ち帰った史料を更に分析し、具体的な情報を整理し、それが如何に後世に意味を持ったのか史料的証拠をもとにして、その歴史的意義を自分なりに追求していきたいと考えている。
■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
■ 2010年度調査第2回
■ 2010年度調査第1回
■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)
■ 2009年度調査第2回
■ 2009年度調査第1回
■ 2008年度調査