本調査の目的は、チュニジアにおける観光産業と文化政策の関連を探ることである。チュニジアは、年間600万人以上の観光客が訪れる北アフリカでも有数の観光立国であり、観光産業の80〜90%をビーチ・リゾートに依存している。しかし、近年、チュニジアはビーチ・リゾート以外の分野の観光開発にも取り組んでおり、その中の一つとして「文化観光」が挙げられる。ここで言う「文化観光」とは、主にユネスコの世界文化遺産に指定されている歴史的な建造物や、国が指定した文化財などをめぐる観光、あるいは博物館などを訪れる観光のことを指す。
調査者の関心は、観光の場でいかにして観光先として訪れる国のイメージが観光客の意識の中に形成されるのか、あるいは観光振興をする国が観光の場でいかなるイメージをもって自国を演出しているのか、にある。このような関心から、本調査では、チュニジア文化・文化財保護省(Ministère de la culture et la sauvegarde du patrimoine)による文化政策と同国の観光政策がどのように関連しているのかを、主としてチュニジア文化・文化財保護省とチュニジア政府観光局(Office National du Tourisme Tunisien)の資料などを通して明らかにする。
本調査では、主としてチュニジア国立図書館(Bibliotheque Nationale)、チュニジア国立文化財協会(Institut National du Patrimoine )、チュニジア政府観光局、チュニジア文化・文化財保護省における資料・文献収集と調査、読み込みを行う。また、実際に観光名所となっている文化遺産や博物館などを訪れ、どのような展示方法が取られ、観光客がどの程度訪れているのかなどについても探る。
今回の調査では、調査期間の大半をチュニジア国立図書館とチュニジア国立文化財協会の図書館における文献・資料収集と読み込みに費やした。両機関において収集できた文献と資料は、以下のとおりである。
・ Bergaoui, Mohamed. 2003. Tourisme et voyage en tunisie: Le temps des pionniers 1956-1973. Tunis: Simpact.
・ Ministère de la Culture 1998. Le tourisme culturel : Actes du forum international organisé à Hammamet, les 23-24 et 25 octobre 27.
上記の文献のうち、ベルガウィの文献[Bergaoui 2003]は、チュニジアの観光産業の独立後の歩みを初めて
書籍としてまとめたものである。内容は、独立後のチュニジアの経済状況から、チュニジアが観光開発を
必要とした背景とその内容、また観光に関連する政府機関や民間組織がどのように成立したのかなどにつ
いて記述がなされている。一方、チュニジア文化省から出版されているものは、1997年10月に行われたチ
ュニジアにおける文化観光に関するシンポジウムの内容をまとめたものである。この文献は、本来チュニ
ジア国立図書館に蔵書されているはずであったが、チュニジア国立文化財協会に蔵書されていることが発
覚した。また、本調査で文化省と政府観光局の連携を裏付けるものとして得られた唯一の文書である。
チュニジア文化・文化財保護省には、9月2日に訪れて情報提供を求めたが、残念ながら、政府観光局と
文化・文化財保護省とのあいだの文化観光分野における協力体制や、文化・文化財保護省の政策と政府観光局の事業とのあいだの関連を確認することはできなかった。文化・文化財保護省職員の話では、そのような連携や関連は存在しないということだった。また、チュニジア国立文化財協会は、チュニジア文化・文化財保護省の下部組織であるが、この協会の図書館は主にチュニジア国内の文化財に関する考古学的・歴史学的・健築学的な文献が蔵書されており、利用者もそのような分野を専攻している学生や研究者などであった。この図書館の責任者に話を聞いたが、文化省と政府観光局の連携はあまりなされておらず、文化省は文化財に関しては、主にその修復と保存、考古学的調査を行っているとのことだった。今回の調査で調べた限りにおいては、チュニジア国内における観光分野での文化財の活用や利用などに関連した社会学的・人類学的研究の成果は、上記の文献以外に見つけることができなかった。また、政策や開発事業などの面においても、チュニジア政府観光局と文化・文化財保護省の協力体制や連携を裏付ける情報を入手することができなかった。
しかし一方で、チュニジアの観光産業が独立後にどのような政治的・経済的な過程を経て成長していったのかについては、多くの情報を得ることができた。調査者は、上記のベルガウィの文献に加えて、チュニジアの観光産業界の重鎮であるナセル・マルシュ(2007年没)によるチュニジア観光史(書籍名:Le tourisme tunisien : Récit d’un demi-siecle)をチュニス市内の書店にて入手した。内容は、ベルガウィとほぼ同様に、観光関連の政府機関や民間組織が成立した経緯、ホテル建設がなされた過程など、チュニジアにおける観光産業の成立と発展に携わった政界・産業界の人物や出来事に関する伝記的なものであった。この他にも、政府観光局では、訪れた者に統計や予算などの情報も開示している。これらのことにより、チュニジア国内において「観光」とは、何よりもまず経済的な利益を目的とした産業であり、またその振興に成功した政府の権威を正当付ける一つの装置であることが確認できた。
上記の文献調査の他に、国立図書館などの公的機関が休館となる日曜や祝日などを利用して、調査者は各地の観光名所や文化遺産、博物館などを訪れて、その展示方法や観光客の様子などを観察した。以下は、その記録である。
8月30日には、チュニジア国内の美術館・博物館の中でも、特に名高いバルドー博物館を訪れた。バルドー博物館は、主にローマ帝国アフリカ属州時代のモザイク画がその目玉である。バルドー博物館はそれほど規模の大きい博物館とは言えないが、展示品の数は多い。調査者が博物館を訪れて感じたことは、まず、展示方法の問題点である。一つ一つの展示品に関する説明の付け方が不十分であり、モザイクの価値を観光客に理解させる努力が欠けているように感じた。また、博物館内にいるガイドや職員の質もあまり高くなく、人材育成の向上が必要である。展示品自体は価値の高いものではあるが、展示方法と人材などの技術面がそれほど高くはないため、展示品の価値を活かしきれていないように感じた。さらに、バルドー博物館は団体パッケージツアーのルートに組み込まれているため、狭い展示室内に多数の団体旅行客が密集するなど、ゆっくり展示品を観賞する環境が整えられないことも検討すべき点だと感じた。
9月6日には、チュニス近郊の観光地であるカルタゴを訪れた。カルタゴは、ローマ帝国属州以前にチュニジアを支配していたフェニキア人の町であるが、現在は閑静な高級住宅街となっており、大統領の官邸も存在している。カルタゴでは、ユネスコの世界遺産にも登録され、主要な観光ルートとなっているアントニヌスの共同浴場を訪れた。ここは、ローマ時代の貴族の館の後が残っており、カルタゴの中では最も規模の大きいローマ遺跡である。調査者が訪れたときも、多数の欧米人団体旅行客が訪れていた。各団体にはガイドが付けられ、さまざまな言語で遺跡に関する解説を行っていた。カルタゴにあるローマ遺跡群は、ユネスコや世界銀行などの国際機関がたびたび修復・保存プロジェクトなどを行っており、展示方法はバルドー博物館よりも質が高いと感じた。また、ここでは遺跡公園内の職員にしつこく声をかけられることもなく、静かに観賞することができた。ただ、カルタゴには、アントニヌスの共同浴場の他にも多数の遺跡群や公園があるにも関らず、限られた遺跡や公園のみが観光ルートとして組み込まれているのは勿体なく感じられた。
9月12日から14日までは、チュニスを離れ、中部の観光地をいくつか訪れた。まず、最初に訪れたのは、カイラワーンである。カイラワーンは、ウマイヤ朝の軍がチュニジアの地で建設した最初のイスラーム都市であり、旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。2009年は、イスラーム教育・科学・文化機構(Islamic Educational, Scientific and Cultural Organization, ISESCO)のイスラーム文化中心都市にカイラワーンが制定され、年間を通じてさまざまなイベントが開催されていた。また、調査者が訪れた時期はラマダーン月だったため、夜毎旧市街ではフェスティバルが行われていた。しかし、このようなイベントをチュニジア文化・文化財保護省がホームページで積極的に宣伝していたにも関らず、訪れている観光客は非常に少なかった。上記のイベントの一環として、カイラワーン近郊にあるラッカダ博物館(イスラームに関する工芸品や書物などが展示されている)から、展示品の一部がウクバ・モスク(カイラワーンの観光名所)の横に特別に併設された博物館に移設され、無料で公開されていたが、博物館を訪れていたのは調査者一人だけであった。また、カイラワーンの旧市街もユネスコや世界銀行、国際協力機構(JICA)の協力などを得て、修復・保存プロジェクトが行われ、整備されたにも関らず、旧市街を散策する観光客はあまり多くなかった。また、旧市街は確かにきれいに整備されていたが、旧市街を一歩外に出て新市街の方へ行くと、大量のゴミで埋め尽くされた広場が点在しており、観光名所以外の場所の整備の必要性が感じられた。
カイラワーンの次はスースを訪れた。スースは、チュニジア国内でも屈指の海浜リゾートであり、毎年夏季には大量のヨーロッパ人観光客が訪れる。また、スースには旧市街もあり、チュニジア国内では最大規模の旧市街と言われ、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている。スースは、カイラワーンとは打って変わり、観光客の楽園とでも言うべき場所だった。海岸沿いには、多数の大型リゾートホテルが建ち並び、欧米人観光客が露出した服装で街中を闊歩していた。また、レストランなどもどこに行っても価格が高く、所持金の少ない個人旅行者には少々過ごしにくい観光地であった。整備された海岸沿いの歩道で、観光客を相手に物乞いをしている少女の姿や、拾った外貨を代わりに両替してきてくれと頼んできた若者の姿が印象的であった。
このような実際の観光地や遺跡、博物館を訪れて改めて感じたことは、やはりチュニジア政府にとっての観光とは、何よりもまず経済的な利益を目的とした産業だということである。また、観光客の訪れる場所だけを開発プロジェクトなどによって整備し、それを宣伝することによって政府を権威付けるための装置に他ならないということだ。経済的・政治的装置として観光産業が機能することが政府にとっての重要事項であり、観光開発や観光振興の内容や質などについてはあまり考慮がなされていないことが明らかとなった。
今回の調査では、政府観光局と文化・文化財保護省の協力関係や連携などについて確認することはできなかったが、その代わりに、チュニジアの観光産業が現在抱えている問題や、観光産業の現実などについて知ることができた。また、日本ではなかなか入手することのできないチュニジアの観光産業の歴史に関する文献資料も入手することができた。最後に、本調査は、文部科学省研究拠点形成費等補助金による大学院教育改革支援プログラム「現地拠点活用による協働型地域研究者養成」の協力を得て実現可能となった。そのことに大いに感謝の意を表し、今後、本調査の成果を十分に活用して、修士論文の執筆を行っていきたい。
■ 2011年度 フィールドワーク・サポート(大学予算による)
■ 2010年度調査第2回
■ 2010年度調査第1回
■ 2010年度 フィールド調査サポートによらない学生の調査(フィールドワーク科目による単位認定)
■ 2009年度調査第2回
■ 2009年度調査第1回
■ 2008年度調査