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卒業生の声

邦楽演奏家としての歩み

2004年度卒業生 沖政一志(邦楽演奏家・生田流箏曲)
ライブハウスでの演奏中のワンショット

ライブハウスでの演奏中のワンショット

自身の近況報告としましては、大学を卒業後に邦楽の演奏家になるべく各種コンクールなどに挑戦し、洗足学園音楽大学現代邦楽研究所主催の東京邦楽コンクールの入賞、平成21年度宮城道雄記念コンクールの作曲部門入賞を果たしキャリアをスタートさせました。各種イベント等への出演、レコーディング、箏教室などをしておりまて、また、都立墨田川高校邦楽部のコーチもしております。自分の年齢の約半分の歳の子達に技術を教えるという大変ではありますが面白いですね。

自分が携わっているのは箏、三味線を扱う生田流箏曲、地歌というジャンルですが、簡単に説明すると、江戸時代に主に上方で発達した室内楽と思っていただけたらと思います。
補足として生田流から派生し、江戸(東京)に根付いたものが山田流ということになります。
現在の日本では明治維新以降の教育において西洋の音楽理論の上で発展したものを取り入れたため、音楽といえばドレミ…という音階名を用いて五線譜で考えるものが圧倒的主流になっております。ところが、自分達の音楽はそれらの西洋的な音楽概念が入る前からあったものですから、ズレがあるわけですね。また、面白いことに共通する部分もあります。日本語と英語にズレがあるのと同様ですね。自身が西洋史を専攻しながらも和楽器を扱うというのは、何か矛盾しているように思われるかもしれませんが、西洋音楽が生まれた文化的、歴史的な背景を知ることが日本の音楽との差異を感じる一助になると思っております。

和楽器の演奏会は年配者が多いイメージがあると思いますが、概ねその通りです。人は知らないものについては中々見向きをしないもので、ある程度知っているからこそ興味を持つ。教育の中で教わらないということはその点で不利な立場にあり、集客には苦労がつきまとうものです。

そこで、自身の活動として「ファミ箏」という各種TVゲーム音楽を和楽器で演奏する集団を立ち上げました。単純に自分がTVゲーム好きということもありますが、知っている曲が演奏されるというのは興味をひきます。また、TVゲームに限らずエンターテイメントには歴史的、文化的な要素があるもので、それらを感じさせるものの作成にも取り組んでおります。具体例を示しますと、「信長の野望」の楽曲を尺八の三重奏で演奏しました。織田信長は戦国時代の方ですので、ゲームの舞台に合わせ戦国時代に日本に存在していた楽器でリアレンジする、ということでね。

ファミ箏は年末12月28日に第三回演奏会を開催予定でおります。ご興味を持たれた方はぜひご来場ください、と、宣伝をさせていただき、近況報告の筆を置きたいと思います。

ファミ箏第二回演奏会の様子

ファミ箏第二回演奏会の様子

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史学科専攻だったからこその今 

2004年度卒業生 増間大樹 (リクルートキャリア勤務) 
オフィスにて

オフィスにて

皆さん初めまして。04年度卒の増間大樹(ますま だいじゅ)と申します。
史学科卒業後は、一橋大学大学院の社会学研究科にて修士号を取得し、新卒で株式会社リクルートキャリアに入社。現在はコンサルタントとして、医薬品業界の人材紹介を行っています。
もう少し自己紹介をさせて頂くと、卒業論文の題目は「中世北欧における信仰 -『改宗』とキリスト教の『現地化』-」、同様に修士論文は「14世紀中葉のストックホルム -ハンザとの関係性に注目して-」となります。入学当初は、『エッダ』を史料として北欧神話の研究を考えていました。サークルはスキーサークルとジャズ研究会に所属(大学院からは他大生となりましたがSafro Familyにも)、アルバイトも予備校での進学相談を行っていました。大学院も含めると6年、手前味噌ですが学業もそれ以外も、かなり充実していたのではと思います。

さて、歴史学と人材業界、更には医薬品業界となると、一見接点を見出しづらいかと思います。ただ当の本人としては、案外学生時代の財産は今に生きているのではと日々感じています。
1つはツールとしての語学。西洋史専攻となると、日本語や英語はもちろん、第二外国語や専攻地域の母国語、時代やテーマによっては例えばラテン語等、様々な言語読解能力が求められます。 私の場合は、ドイツ語・スウェーデン語・ラテン語を使用。ドイツ語は大学院入試の必須科目でした。
2つ目は情報の収集及びその精度を疑うスタンス。
情報化社会と言われて久しいようにも思いますが、このサイト然り、今やインターネットで個人がアクセスできる情報量は爆発的に増えたことは疑いようがありません。では、その個々の情報の質となると……、これは千差万別なのは言わずもがなですね。
こうした情報の取捨選択であったり、精度やソースの追及であったり、これは歴史学で培われたものだと思っています。例えば学士時代だと、「異教」の記録はキリスト教側によるもので、何かしらのバイアスがある可能性は十分にあります。

現在担当の医薬品業界では外資系企業も多いため、メールや書類が英語なことは珍しくなく、本国のWebサイトで情報を検証したり、時には英語で担当者とやりとりを行うこともあります。また業界内での転職が多いからこそ、そこで飛び交う情報の質にも敏感である必要があり、お客様からの期待の1つは「正確な最新の情報」を提供することです(※もちろん相手の方が北欧出身だったりすると、その際にはかなり話が盛り上がります!)。
文系であった自分が理系の修士・博士の方を対象に医薬品業界の専門職のキャリアカウンセリングを行う、またそうした方をターゲットとした採用活動についてのコンサルティングを製薬企業に行う…、というのはなかなか難易度の高い仕事です。また、年上の方とお話しすることが多いですし、常に業界の動向や最新情報を入手していないと、お客さまから信頼して頂くことはできません。日々勉強ですが、日本語文献が多い分楽だな……、と思ってしまうのは学生時代を経たからこそだと思っています。
抗生物質すらなかった中世専攻の私からすると、最近のバイオ医薬や再生医療等について話している今は想像もつかなかったでしょうが、逆に今の私からすると、語学と情報収集・活用メソッドを学生時代に培った自分がいるからこそ今の私があるのだろうなと思っています。

これからの大学生活、「何を」学ぶかという点は非常に重要です。ただ、それによってご自身の将来が決まってしまうということは基本的にありません。
実際に私は「何を」でなく、「どのように」学ぶかという方法論を現在に活用しているかと思います。もちろん、「誰と」学ぶかという点も重要です。
 今でも学生時代の恩師・学友とはやり取りがあり、「歴史」を通じて集った仲間との縁を感じています。
「歴史」に興味をお持ちなのであれば、是非史学科に飛び込んでみませんか?
後輩となって下さることを楽しみにしています。

ハンザ都市Visbyの聖マリア聖堂

ハンザ都市Visbyの聖マリア聖堂

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はっきりとした目的がありました

2003年度卒業生 高野麻衣(文筆家)
ジプシー楽団の人たちと(左端が私)

ジプシー楽団の人たちと(左端が私)

史学科に入った時、私にははっきりとした目的がありました。ヨーロッパ史、なかでも音楽や美術といった文化史について学び、いつかそれらについて書く仕事に就くこと。ウィーンを舞台にした卒業論文にも張り切っていて、そのためにも、化粧品会社にさっさと就職を決めました。回り道をしても目標には到達するだろう、という確信があったからです。そして卒業して1年ほどたった春、そのきっかけに出会いました。ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭。フランスで誕生したクラシックの「フェス」、日本初上陸のイベントは、本格派なのにオシャレで開放的、アルバイトなどで垣間見た地味なクラシック音楽業界とはまるきり違っていました。ここでなら、私を活かせる。そんなとき、愛読していた音楽情報誌での編集部員募集が目に飛び込んできたのです。「音楽と歴史」についての愛をアピールし、すぐに転職が決まりました。

編集部で基礎を学ばせていただき、その人脈から執筆依頼をいただくことも増えたため、29歳の頃に独立しました。同時に、音楽と同じくらい愛してきたアートやステージ、マンガといったサブカルチャーまで執筆ジャンルを広げました。より多くのクライアントを得るためでもありますが、業界のルールに縛られたスペシャリストよりも、対象とその時代背景をジャンルを超えてつなげていくジェネラリストであることが、自分の持ち味だと気づいたからです。それはまさに、「歴史」を愛する自分にふさわしいものでした。そういうものの考え方は、学生時代に身に着けたものだと自信をもって言えます。

現在は、著書を3冊と数本の連載を持ちつつ、WEBを含む雑誌やコンサート・プログラムへの執筆を中心に活動しています。また、この1年ほどでトークイベントやラジオ出演、コンサートのナビゲーターなどの仕事が急増したほか、東京フィルハーモニー交響楽団のワールド・ツアーに同行したりと、海外取材の機会も増えてきました。出版や音楽の業界には上智大学出身というつながりで声をかけてくださる先輩も多く、最近では女性の後輩が編集者になって「学生時代から読んでいました」と言ってくださることもあります。まいた種がどのように実を結ぶかは続けてみなければわからない、と感慨深いです。たしかなのは、「上智出身」は語学力に関して絶対的なブランドであること。学生時代にしっかり磨き上げ、社会に出てからもキープを怠らないことをお勧めします。それだけで仕事は格段に広がる、と痛感しているところです。

数年前の、派遣OLを兼業するなど目の回るような日々に比べれば、最近はほんの少しだけ余裕も出てきたように感じています。そしてその分、新しいカルチャーメディア「Salonette」の立ち上げに向けて動き出しているところです。愛するカルチャーを語り合うSalon+netであり、響きにはマリー・アントワネットの印象を。読者にはまさに、硬派とミーハーを両立して語り合った、史学科の仲間たちを思い浮かべています。

こんな本つくってます

こんな本つくってます

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全ての道はローマに通ず

2003年度学部卒業生 川畑伊知郎(東北大学大学院・薬学研究科・助教)
ウラディーミル・アシュケナージと

ウラディーミル・アシュケナージと

全ての道はローマに通ず。ローマ帝国全盛の時代、世界各地からの道がローマに通じていたことから、人々はローマについてそう語ります。僕は史学科で西洋古代史を選択し、豊田浩志先生のもとで当時の楽譜史料や壁画・モザイク画・アンフォラ装飾、そして現代に制作されたローマ映画を検証し、シンセイサイザーを使ってローマ帝国時代の音楽を復元して実際に演奏する卒論を提出しました。

豊田先生をはじめ、史学科の先生方は気さくな先生ばかりで、豊田先生の研究室に遊びに行くとお隣の大澤正昭先生(東洋史)や向かいの山内弘一先生(東洋史)、はたまた井上茂子先生(西洋史)が研究室から出ていらして、事務の林道子さん(当時)も交え、史学の話もそこそこに雑談にも花が咲きました。そんな豊田先生は、厳しい授業の中で古代ローマの魅力を余すところなく教えて下さり、歴史書はもちろん、ときにはCDやDVDも貸して下さいました。僕はこのような先生も学生もわけ隔てのない史学科の雰囲気がとても好きでした。

子供のころから自然が好き、世界情勢や歴史が好き、そして音楽が好きだった僕は、理系か文系か、それとも音楽の道に進むべきなのか、高校時代にとても悩みました。海外を中心にピアノのコンサート活動を行っていた僕に、小さいころからの友人で世界的なピアニスト・指揮者でもあるウラディーミル・アシュケナージ氏は、音楽を理解し音楽性を深めるためにはまず人としての原点である歴史を学ぶべきであると教えてくれ、僕の迷いを吹き飛ばしてくれました。

大学時代に祖父を薬の副作用によりパーキンソン病症候群で亡くしたことをきっかけに、僕は史学科を卒業後、脳神経科学の道に進路を変えましたが、文系・理系・芸術を問わず、真理を解き明かし自分の言葉や感性でまとめ上げ、それをアウトプットするというプロセスはどの分野でも共通であり、史学科で培った新たな史実を解き明かす力は、初めはリンクするのに苦難はあっても、他の分野や社会でも通用すると確信しています。また古代ローマ音楽の再現にあたり、史料を集め文献を読む作業、さらに現代に制作された映画に登場するそれらしい楽器や旋律と史実との相違検証などは、そのまま脳科学分野における実験計画の設計や実験データの解釈などに生かされています。

僕は東京工業大学大学院修了後、現在東北大学の教員としてパーキンソン病などの運動障害やアルツハイマー病をはじめとする記憶認知障害がなぜ起こり、またどのようにしたら根本的に治療することができるのかをテーマに脳神経科学の分野で研究を行っています。
科学研究は世界規模で過当競争が激しく、国や企業からもらった助成金を使って研究を推進し、研究結果の報告義務と社会還元の義務があります。これは考古学研究でも同じことであり、発見者や特許などのプライオリティーはとても大事なことです。教科書に縛られない史学科で学んだ多くの事は、科学や音楽、そして社会での生き方において、僕の中で大切にそして大きく育っていると思います。

日々紡がれる壮大な歴史、ギリシアから引き継がれ発展した芸術、強力な軍隊と広大な領土を支えるための科学力。王政、そして共和政を経て繁栄した古代ローマは、歴史、芸術、科学のすべてがそろった強大な帝国でした。そんな壮大なローマ帝国に思いをはせ、歴史と音楽を愛する心を忘れることなく、今後も科学の発展に力を注いでまいります。

蛍光顕微鏡を使った実験風景

蛍光顕微鏡を使った実験風景

培養ドーパミン作動性神経

培養ドーパミン作動性神経

東北大学にて学生と花見

東北大学にて学生と花見

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史学科卒の銀行員より受験生の皆様へ

2003年度卒業生 田嶋孝啓(金融機関勤務:現ベルギー支店勤務)
れからも歴史学を研究したことを誇りとして様々なことに挑戦してきたいと考えています。

これからも歴史学を研究したことを誇りとして様々なことに挑戦してきたいと考えています。

豊田ゼミ卒業生の田嶋孝啓と申します。2004年に上智大学史学科を卒業し、地元静岡県の金融機関に就職をしました。現在は、渉外担当として中小企業向け融資を主に担っています。大学入学当初は、私自身金融機関で働くことなど全く考えていませんでしたが、縁あって銀行に就職することとなりました。おそらく史学科に興味のある方は研究者を志し入学される方が多いのではないかと思いますが、ここでは一企業へ就職をしたサラリーマンとしての立場から、史学科で学ぶことについて触れたいと思います。

学生時代は、環境史に興味を持ち、古代ローマ帝国におけるローマ人の寿命と気候との関係について卒論を書きました。今思えば大それた考えかもしれませんが、環境史を研究することがきっと今現在自分自身が生きている世界に影響を与え、役に立つのではないかとの思いから、このテーマを選びました。私の場合、最終的には研究者ではなく、企業で働くという道を選択しましたが、学生時代に卒論制作という一つのことに真剣に打ち込んだことは、今の業務にも活きているのではないかと思っています。

私が現在従事している業務は、企業の決算書を読むための財務や税務に関する知識など、大学時代の研究では関わることがなかったことが大半ですが、あえて比較するならば融資実行のために銀行員が作成する『稟議書』と仮説を証明するため様々な分野の参考文献にあたり作成する『論文』には共通する部分が多くあるのではないでしょうか。

様々な業種の企業を担当し、お客さまから信頼を得て仕事をもらえるようになるためには、広範囲に亘る専門的な知識が必要となってきます。経営者から直接話を聞いたりすることも沢山ありますが、自分自身で各業界に関する専門書を読んだり、調査をすることも多くあります。限られた情報の中から企業の強みを発見したり、時には破綻の兆候をつかんだりと、決算書の数字には表れてこない事象をいかに把握できるかが、担当者の腕の見せ所ともいえるかもしれません(論文も膨大な参考文献にあたり、仮説を検証するという地道な作業が求められる点では同じではないでしょうか)。担当者が企業を判断するためにいかに多くの情報を集めることができるかで企業の将来が決まってしまうとしたら、一見地味とも思われる作業も、とても責任の重いことであるといえます。そういう意味では歴史学という学問に触れた経験が、今の私を支える力となっているのではないかと感じています。

受験生の中には歴史が好きなのにこの分野を学んでも就職や仕事には直結しないと思い、史学科で学ぶことを諦めようとしている方がいるかもしれません。しかし史学科で学んだことが卒業後もきっと活きてくることでしょう。私自身、これからも歴史学を研究したことを誇りとして様々なことに挑戦してきたいと考えています。少しでも歴史に興味がある方は、ぜひ史学科の門を叩いてみてください。

2011-2年中華人民共和国赴任時に

2011-2年中華人民共和国赴任時に

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私の歩んだ道

2001年度学部卒業生 寺本敬子(跡見学園女子大学・文学部・人文学科・助教)

上智大学の史学科を卒業してから10年以上が経ち、現在は、フランス近代史(19世紀)を専門に、研究者としての一歩を踏み出したところです。私が史学科で学びたいと思った理由は、古代・中世・近世・近現代といった歴史の広い時間のなかで、人々が歩んできた社会や文化について学び、そしてこれから私自身がどのような道へ進んでいこうか、じっくり考えてみたいと思ったからでした。

上智大学の史学科では、1年次に日本史・東洋史・西洋史を広く学びます。それと並行して、私は学芸員課程や他学科の開設する国際関係等の科目を履修しました。2年次からは、西洋史を専攻し、近世と近現代の二つのゼミに所属しました。これらの学習を通じて、比較文化、異文化交流史といった学問分野に惹かれていきました。これは、私自身が小学生から中学生にかけて約3年間、アメリカ合衆国に住み、様々な国籍の人々、特に東アジア諸国のクラスメートと出会うなかで、日本と近隣諸国との現代史に興味を持ったこと、そして大学で特に「日本人とは何か、日本文化とは何か」ということに関心を持ったという経緯があります。私は、この問いをヨーロッパという外部から探究してみたいと思うようになりました。とりわけ19世紀後半のフランスを中心にヨーロッパで広がった「ジャポニスム」という文化現象に関心を持ちました。卒業論文では、19世紀半ばからフランスで開催されたパリ万国博覧会に焦点を当て、開国して間もない日本がどのようにこの国際的催事に参加し、他国との交流を通じていかなる日本の文化やイメージがフランスおよびヨーロッパ社会で受容されていったのかという問題に取り組みました。

この研究テーマとの出会いは、さらに大学院に進学して研究を続けてみたいという気持ちにつながりました。一橋大学大学院社会学研究科の修士課程・博士課程、パリ第一大学(パンテオン・ソルボンヌ)歴史学科の博士課程では、19世紀後半のパリ万博全体に射程を広げていきました。「19世紀パリ万博における日本」というテーマは、博士論文をはじめ、現在に至るまで、私の一貫した研究課題であり続けています。

よく飽きずに同じ研究テーマを続けているなと思われるかもしれません。しかし、ひとつのことが分かると、さらに新しい疑問や課題が無数に出てきます。こうしてまた新しい疑問を解明していきたいという気持ちが生まれ、それが私にとって、研究を続けていく原動力となってきたと思います。また2年半のパリ留学期間に、フランス国立文書館や外務省文書館に通い続けて痛感したことですが、人間の残した記録は、まるで大海のように無限に広がっています。その大海の中から、19世紀を生きた人々が残した書き物をめくっていくうちに、そこにひとりひとりの思いや息づかいが感じられてくるようになりました。またこの研究を続けていくうちに、19世紀を生きたフランス人や日本人のご子孫と出会い、その人物の生家や墓地などを訪ねました。このように研究を通じた出会いを重ねていくうちに、歴史研究とは、単なる平面的な記録の検証ではなく、血の通った、人間の生き様そのものに迫ることであると思いました。これからも、人間の交流の歴史に光をあてて、異文化の接触、その時代の社会と文化の変容などについて、研究を続けていきたいと考えています。

上智大学の史学科は、日本史・東洋史・西洋史の3分野を、古代・中世・近世・近現代の時代ごとに学ぶことのできる、大変充実した学科構成であると思います。先学の研究蓄積から学び、原史料を読み、問いを投げかけ、解明していくという歴史学の研究方法は、この史学科で最初に学びました。特に、外国語の原史料を丁寧に読んで行く作業を、熱心に指導してくださったゼミの先生方からは、多くのことを学びました。それは、私にとって歴史研究を行うときの基盤であり、指針であり続けています。

19世紀パリ万博の会場だったシャン・ド・マルス

19世紀パリ万博の会場だったシャン・ド・マルス

史料の宝庫、フランス国立文書館

史料の宝庫、フランス国立文書館

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歴史を通して現在を見る

2001年度学部卒業 林 俊明 (フランシュ・コンテ大学言語・空間・時間・社会博士院)
クロアチアのスプリット郊外のサロナ遺跡にて

クロアチアのスプリット郊外のサロナ遺跡にて

皆さん、はじめまして。私は2007年からフランスに移り、今はフランス北東部ブザンソンにあるフランシュ・コンテ大学の博士課程で古代ローマ史、後期ローマ帝国における歴史書を主に研究しています。フランスに移ってから2年間は南仏プロヴァンス地方の都市エクサン・プロヴァンスの大学の語学講座でフランス語の習得に集中し、その後フランス東部の都市ディジョンにあるブルゴーニュ大学博士課程に入り、その後今現在在籍しているブザンソンのフランシュ・コンテ大学の博士課程に移りました。

私が歴史に興味を持ち始めたのは、小学生のときに両親が『マンガ世界の歴史』を全巻買ってくれたのがきっかけです。それを何度も読み返した記憶があります。また両親が旅行好きでよく週末にお城や古戦場、そして博物館などに連れて行ってくれたことも影響していると思います。今現在の研究の対象であるローマ史を専攻しようと思ったのは、高校時代にヴェスヴィオ山の噴火で埋没した都市ポンペイの本を読んでからで、当時の落書きからローマの人々の生活に興味を持ったからです。今から2000年も前の人々であるにも関わらず、今のわたしたちと同じような考えや感情を持っていたことに驚き、その後何冊もローマ史関係の本を読みました。さらに古代ローマ帝国が存在したヨーロッパそのものにも興味を持ちました。そこで大学受験に際しては、ローマ史を学べてヨーロッパのことも体系に学べる大学として上智大学を志望し、入学しました。

上智大学で学士と博士前期課程(修士課程)を終えたのち博士後期課程に入りましたが、自分の研究対象である後期ローマ帝国における歴史書を研究するのに適切な場所としてフランスを選びました。私がフランスに移り住んでから驚いたのは、ローマ帝国が滅んでから1500年以上経っているにもかかわらず、ヨーロッパではローマ帝国の影響が見られることです。例えば、欧州連合や統一通貨ユーロなどはかつてヨーロッパほぼ全域を統治していたローマ帝国の理想を受け継いだものといえるかもしれません。さらにフランスではガリア人、ローマ人、ゲルマン人という3つの古代民族が自分たちの祖先であると考えています。ですからローマ人はもちろんのこと、その他のガリア人、ゲルマン人の文化遺産も非常に大切にされています。つまりこれらの民族がフランス人のアイデンティティのもとになっているのでしょう。またフランスに移ってから多くの友人を得ることができましたが、その現代フランスでの生活から古代ローマ史につながるヒントを得ることもありました。

史学科には皆さんの学習意欲に応えてくださる先生方がいらっしゃいます。ですから皆さんには上智大学でしっかり学んで世界を広げてほしいと思います。そして勉強に励んだり、部活・サークル活動に専念したりして素晴らしい学生生活を送ってください。

世界遺産の要塞からブザンソンの街を眺める

世界遺産の要塞からブザンソンの街を眺める

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史学科への進学に迷いがありますか?

2000年度卒業生 石川雄一(メーカー勤務)
写真【1】現在の私

写真【1】現在の私

 この写真で写っている本はふたつとも、ローマ皇帝のユリアヌス(在位361-363年)を題材にした小説です。文庫の方は辻邦生の『背教者ユリアヌス』で、この本をきっかけとして、私は史学科への進学を決めました。もう一方はGore Vidal著の『Julian』。今年の春に読み終わり、学生時代を思い出していたところに恩師の豊田先生からご連絡があり、このコラムへ寄稿することになりました。私が卒業してからかなり経っていますが、受験生の皆さんに少しでも有益な話になれば嬉しいです。
※できれば最後まで読んで下さい。途中で止めると印象が変わるので

お伝えしたいことは 4点あります。
(1) 自分が希望する分野を学べるとは限りません(受験前に調べて下さい)。
(2) 研究者への道は険しいです。
(3) 志望業界によっては、就職活動が順調にいかないこともあります。
(4) では、史学科に進学することは間違いか? そんなことはありません。

(1) もし皆さんの学びたい時代・国・人物等が既に決まっていても、その分野を研究している教授の在籍状況や、各教授の研究内容、文献の有無などにより、自分が望むテーマを学べないかもしれません。皆さんは上智以外の大学も受験するでしょうから、皆さんの高校の先生やOB・OGと話し、各大学で学べる内容を事前に調べることをお勧めします。
 私の場合は、高校の世界史の先生に紹介してもらったローマ史研究中の大学院生の方から、豊田教授の話を聞いて上智を受験しました。当時は二次試験の面接があり、「豊田ゼミで西洋古代史を学びたい」と答えたら面接官が豊田先生ご本人だった、という思い出があります。

(2) 皆さんの中には、将来は大学に残って研究を続けたいという志を持っている人もいるでしょう。私も高校生の頃はそう考えていたし、皆さんには是非頑張ってもらいたいです。ただ、事実として、大学院の修士課程に進む学生は毎年少なく、その先の博士課程を目指し、博士号取得後も大学で研究を続ける人はさらに限られる、という点は理解してほしい。加えて、今の日本の出生率では学生数がこれからますます減少し、大学も淘汰されていく中、仮に研究実績があったとしても、教授になることがどれだけ難しいか想像できますね? 個人的には、日本でダメなら海外で研究する、という気概を持ってほしいですが・・・。

(3) 前述の通り、卒業生の多くは大学院に進まず就職することになります。皆さんはまだ大学卒業後のことまで考えられないと思いますが、史学科はいわゆる「潰しが利く」ところではなく、出版業界や教職志望ならともかく、メーカーに就職して海外で勝負したいと考えていた私は、正直にいって相当苦戦しました(企業の採用動向は年によって変わりますし、私の同級生ですぐに内定をもらえた人はいるので、これは意見のひとつと捉えてください)。

写真【2】イタリア・アオスタ州Donnasにあるローマ道の跡(2000年撮影)

写真【2】イタリア・アオスタ州Donnasにあるローマ道の跡(2000年撮影)

(4) ここまでの話で、史学科専攻に不安を感じさせてしまったかもしれませんね。でも心配いりません。私は今、企業の経営企画部で海外事業の企画・管理を行っていますが、帰国子女でもなく留学経験もない私でも、外国企業相手に問題なく仕事していますので、皆さんがもし史学科に進学し、大学卒業後に普通に就職したとしても、立派にやっていけますよ。私の業務では、大学で学んだことが直接活きることはありませんが、外国人相手に仕事をする際、その国の歴史・文化・民族性を理解していることは、コミュニケーションを円滑に進める上で非常に役立っています。上の写真はローマ時代の道路(私の卒論テーマ)で、イタリア北部、トリノよりさらに北の山奥で撮ったものです。買収したトリノの企業に出張した際、現地の社員にこの話をしたら、「そんな辺鄙なところに行ったことがあるのか?」と驚かれ、すぐに打ち解けることができました。

写真【3】ヨーロッパ出張(F1で有名な企業とのミーティング後)

写真【3】ヨーロッパ出張(F1で有名な企業とのミーティング後)

 最後に、上智大学で学ぶことについて。私は優秀な学生ではなかったので、講義の質や内容について語ることはできません。ゼミの後に部屋に居座り、先生の海外調査のお土産(ワイン)を他の学生と一緒に飲んだ、という様な記憶しか無いのです。
 校風としての上智は、適度な距離感でクラスメイトや先輩・後輩と仲良くできるところだと思います。大学への帰属意識が強く、卒業後も年度や出身学部に縛られることもなければ、同じ大学出身でも「関係ない」とドライに割り切ることもありません。以前、アメリカのソフィア会(卒業生の集まり)に参加したとき、会場の和食レストランのオーナーから「上智の人たちは品がいいですね」と言われました。そういう雰囲気が好きな人にはいいところだと思います。

ここまで読んだ上で、なお上智の史学科に入学したいと思ってもらえたら光栄です。皆さんの進路、及び入学後の生活が有意義なものになることを祈ります。頑張って下さい。

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史学科を卒業して教員になること

1999年度卒業生 石上健士郎(駒場東邦中学校・高等学校社会科教諭)

現在中高一貫校で働いています。この職業に就いてから、早くも10年が経過しました。
とはいっても、もともと教員志望ではありませんでした。教員免許を取得するきっかけは大学の恩師からの、「研究者を少しでも目指そうと思うなら、もしもの時のために、中高の教員免許は取っておいた方が良い」という一言でした。教員免許取得の動機は不純なものでした。

そんな私が教職に就くことを決意したのは、博士後期課程に進学してからです。某高校の非常勤講師として高校1年生の世界史を担当することになりました。もちろん、最初はアルバイト感覚でした。ただ、自分なりに全力を傾注している歴史学を学ぶことの面白さや意義のようなものが伝わるように、授業の準備には力を入れました。歴史を学ぶことが単なる事項の暗記にすぎないと思われるのは嫌だったのです。教科書の文章の行間に潜むものに力点を置いた説明をしたい、などと最初の授業の際に口にしたことを覚えています。

当時のことを振り返ると、伝えたいことをうまく伝え得ない自分の歯がゆさに苛立たしさを感じていたことが思い起こされて、本当に恥ずかしくなります。しかし、当時の生徒の皆さんは、若い私が、懸命に話をしていることが面白かったのでしょう、真剣に聞いてくれました。やがて授業の内容についての質問からはじまって、進路のことやその他のことを相談しに来てくれる生徒が出てきました。いつの間にか、私は、今まで学んできたことが、柔軟な知性と感性を備えた高校生の知的好奇心を少しでも喚起しえたことに、やりがいを見いだすようになっていました。私は初めて中学・高校の教職に就くことを真剣に考えるようになりました。

もともと教員志望でない私がいうのもおこがましいのですが、中学・高校の歴史(中学社会や高校の地理歴史)の教員を目指すために史学科で学ぶということはとてもまっとうな選択だと思います。理由は二つ。まず、歴史を専門的に学ぶことで、様々な史料や文献をどう読むのかといった歴史を学ぶにあたって必要な基礎的な力を養うことができます。
この力がないと、例えば、教員として、授業の準備をするために必要な、信頼できる文献を選ぶこともできません。また、史料や文献を読む際に、独りよがりな偏った読み方しかできないために、授業内容が正確さを欠く粗雑なものになってしまいます。きちんと教材研究を行うことができる能力を身につけることは、歴史の恣意的な解釈が蔓延している今だからこそ、なおさら重要なことだと思います。

史学科で学ぶメリットの二つ目です。社会の教員として長きにわたり、生き生きと働くために一番欠かせない要素は、教員自身が、自分が教えることになる教科を学ぶことが好きかどうかです。面白い授業をするためには、まず教員自身が、自ら主体的に学び、その学びの中からこれはどうしても伝えたいと思えるようなことを、見つけ出さなければなりません。多忙な日々の業務のなかで、学び続ける原動力は、やはり歴史が好きであるということにしか求められないのではないかと思います。史学科で、様々な時代と地域の歴史、歴史学における多様なアプローチを深く学んでください。知れば、知らない領域はますます広がり、知りたいことがますます増えてくるはずです。大学時代、集中的に歴史を学ぶことで、歴史の楽しさや奥深さを体感してください。そうした経験が、小手先の教育技術よりも圧倒的に重要だと思います。

2004年3月修学旅行でアンコールワットにて

2004年3月修学旅行でアンコールワットにて

2004年3月修学旅行でアンコールワットにて

2004年3月修学旅行でアンコールワットにて

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「知った気にならない」を始めよう

1999年度卒業生 春日井 宏往 株式会社 集英社 第4編集部グランドジャンプ編集勤務

2014年7月13日16:00。
真冬にもかかわらず27℃という楽園リオデジャネイロ。
乾いた快晴の空が、黄金色を帯びて来たちょうどその時、
サッカーの聖地エスタジオ・ド・マラカナンに
キックオフの笛が高らかに鳴り響きました。

その瞬間、「グオォ──~~ッ!!」

74,738人の地鳴りのような大歓声が空気を揺らし、
「そこにいた」私の内臓までも震わせたのです。

ブラジルサッカーW杯決勝観戦。

これが仕事だと言えば、多くが驚かれることと思います。
タネを明かせば、某サッカーコミックの漫画家先生を担当させて頂いており、
本物のW杯の熱狂を知るための「取材」に行かせて頂いたというワケです。

↑TV中継では映ってませんでしたが、実は決勝戦の最中、 ピッチに下りたサポーターが連れ出される一幕が。

↑TV中継では映ってませんでしたが、実は決勝戦の最中、
ピッチに下りたサポーターが連れ出される一幕が。

私は大人向けの漫画雑誌の編集部に配属され、2014年で15年目を迎えます。
以来、このように取材や調べ物をしっかりする漫画作品を
数多く担当させて頂いております。
それはひとえに学生時代の史学科での経験に起因します。
豊田教授の「情報を疑え」という言葉や、調べ方のノウハウについての教え…。
そこから、「調べる手間を惜しまない姿勢」を身につけ、
その先に「知る喜び」があることを在学時代に学ばせて頂きました。

インターネットやテレビは確かに有益な情報もたくさんあります。
ただし、簡単に手に入るがゆえに
「全てを知った気になる」という過ちを招いてしまいがちです。
皆さんにはそんな心当たり、ありませんか?

私の一例を挙げるならば、
ある時、私はDMATというものの存在を知りました。
その後、ネットで詳しく調べてみたところ、
災害時に被災地へ派遣される医療チームとあり、
「被災地で患者を助けまくるヒーローなんて、漫画に格好の題材だ」
と心躍ったものです。
そして、DMATを全て知った気になって自信満々で企画書を作ったりしました。

が、実際に取材を重ねる内に、大きな誤解に気付きました。
特に組織立ち上げの医師の先生の発言は驚くべきものでした。
「現場でできる事はたかが知れている。漫画のようなヒーローなんていない。
それに一人を救うために、他の九人を見捨てなければならない時もある。」
重たい言葉でした。
そこで、私は「主人公のありえない劇的活躍」に固執するより、
「この現場にしかない苦悩」を軸に描いた方が意義深い、そう判断しました。
その結果、企画を根本から考え直し、作品を創り上げることにしたのです。

↑防災訓練取材:来るべき現場に備え、真剣そのもの

↑防災訓練取材:来るべき現場に備え、真剣そのもの

取材はこの他の連載作品でも数多くこなしました。
ファンドマネージャー、民間校長、示談交渉人、弁護士、
民間科学捜査機関、脳外科医、医学史教授、幕末史教授…、
相手は枚挙に暇がありません。
皆様が教えて下さったのは、第一線のプロの思考、知識、技術、
それに「現場での苦悩」の生の声などです。
それらの深さに触れるたび、
いつも私は「分かった気になっていた」自分を戒め、
成長に繋げていくよう心がけています。

そもそも「知った気になってしまいがち」と言えば、
歴史観こそ、危ういものかもしれません。
自尊心やアイデンティティに絡み、
「感情」と結びつき易いからでしょうか?
だからこそ史学科では、
調査研究に対する徹底的な姿勢を教えてくれるのだと思います。

受験生・学生の皆さん、
現代は多くの情報が飛び交う時代です。
こんな今だからこそ歴史学を学んで、
「簡単に知った気にならない」、そんな慎重さを身につけて下さい。
きっとその姿勢が、皆さんの今後の社会人生活の背骨となってくれることでしょう。

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