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卒業生の声

現代の不可解さと対峙するために—私の場合

2016年度卒業生 是澤櫻子(大学院(博士課程前期))

筆者:大学内は暖かい(たまに暑い)です

筆者:大学内は暖かい(たまに暑い)です


 

はじめに

2013年、上智大学に入学しました。現在は大学院生です。東北大学に籍を置きながら、ノボシビルスク国立大学(ロシア連邦)でシベリア先住民の先住民の歴史・人類学を学んでいます。
今回、卒業後の活躍(?)ということで、史学科の卒業生がどのような進路を歩んでいるのか、私の例を少し紹介できればと思います。

どうして大学院か?

大学院への進学を決めたのは学部3年の冬頃です。当時、就職か大学院かで悩んでいたのですが、半年間のインターン(国際協力系の資金調達)を経て、「研究を極める場で生きたい!」と思えたのが率直な理由でした。卒業後の進路選択は人それぞれ考えがあると思いますが、私にとって、やりたいことを思いっきりやれる場所、日常生活で抱いた疑問を追究し、解決への道筋を共に考える仲間がいる場所が大学院でした。

文理融合型の大学院

東北大学では、環境科学研究科、先端環境創成学、文化生態保全分野、高倉研究室に所属しています。名前が長いですね(笑)
この研究科の特徴は、文理融合型という点です。学生の出身は工学、理学、生物学、政治学、経済学などなど。同じ授業や学内発表の機会が多いため、理系の考え方、文系の考え方、毎回意見交換します。その際、いつも「文系は社会の何に役立つのか?」という点が追究されます。

留学中の生活

2018年2月から1年間、ノボシビルスク(ロシア連邦)に滞在中です。目的は、大学院の研究に必要な力をつけるため。ロシア語はもちろん、現地に訪れてみて初めて、抱ける問題意識や視点があるはずだと考え、留学を決めました。
留学中はノボシビルスクに拠点を置きながら、モスクワやノボクズネツクにも訪れています。先住民が一同に集まるフェスティバルに参加したり、実際に先住民として生きる人々の生き様を見て、聞いて、対話して、共に生きるためです。

歴史学は何の役に立つのか?

先ほど、文理融合型大学院では「文系は社会の何に役立つのか?」が追究されると言いました。史学科で、曲がりなりにも「歴史学」を学んできた私にとって、歴史学は「日常の「当たり前」を疑う視点を身に着けられる」という点で役に立ちます。そして、その視点は歴史のもつ「物語」という構造と関わってきます。
マンガ、小説、アニメ、どんな物語にも「はじめ」と「おわり」があるように、歴史にも「はじめ」と「おわり」があります。この筋立て(プロット)の構造と妥当性に自覚的になることが、歴史学の第一歩だと考えます。
起承転結が成り立っていない物語は、読んでいてもつまらないように、歴史にも起承転結がしっかりあります。ただ、それがしっかりしすぎて、あまりに簡潔に単純に、疑問をもたずに読み終えて、「歴史を知った」という気になるのは要注意です。そのプロットを読みやすくするために抜け落ちたものは何なのか?少し考えてみれば、きっと、異なった「歴史」が立ち現れてきます。
こうした視点は、大学院の場だけでなく、商品開発や、対人相手のサービス業、どんな日常の営みにも通用する視点です。さらには、自身を取り巻く政治、経済、教育の「不可解さ」と対峙するために欠かせません。
だからこそ重要なのは、(梨木香歩さんの言葉を借りますが)要点のみを書きだした「単純化」や、理解の仕方を低く設定した「幼稚化」ではなく、全体の複雑さをごまかすことなく、よりリアルにし、その全体を共々立ち上がらせる「明晰性」を伴ったプロットを論じる力です。歴史学はそうした力を身に着けて、現代の不可解さに立ち向かえる武器になる。大学院でも留学生活でも、そう強く思います。

ノボシビルスク、春はリスがたくさんでます(2月)

ノボシビルスク、春はリスがたくさんでます(2月)

モスクワにて(フェスティバルの看板)

モスクワにて(フェスティバルの看板)

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社会人入学体験記

2014年度卒業生  元川士郞

私は、社会人入試で史学科に編入し、2015年3月に64歳で卒業しました。楽しくも苦しかった思い出の2年間でした。以下は私の経験を踏まえての史学科の紹介と歴史学についてのコメントです。史学科を目指す皆さんの参考になれば幸いです。

私は1969年春に上智大学外国語学部ポルトガル語科に入学し、卒業後は合繊メーカーに39年間勤め2013年3月に退職しました。会社では輸出営業と海外事業を中心に担当し、多くの海外出張と米国勤務の機会に恵まれました。かねてより歴史には興味を持っていましたが、折に触れ素養のなさを感じていたので、退職を機に基礎から勉強しようと思い社会人入学(学士入学)しました。とは言え、当時は期末試験やレポートのことなど念頭になく、いわゆる受験勉強も一切していませんでしたので、入学後は大変苦労しました。
さて、史学科では1年次で歴史学の入門や概論を学び、2年次ではプレゼミが加わり、3年次以降では主に特講を履修しながら日本史、東洋史、西洋史の専攻別にゼミ、卒論指導を受けます。3年次扱いとなった私が最短で卒業するには2年間で史学科の必修科目単位数と卒論を履修する必要があり、すぐに専攻コースを決めねばなりませんでした。結局私は西洋近世史(大航海時代、ルネサンス、宗教改革の時代)を選びました。近代社会の成り立ちを理解するには中世からの転換期の理解が必要と考えたからです。

授業はいずれも面白く、また勝手に想像していたイメージとも異なっており、私には新鮮な驚きの連続でした。歴史学の流れとしては、社会史(含む女性史、民衆史など)の興隆や一国史を超えた地域史・グローバルヒストリーへの広がり、ヨーロッパ中心史観からの脱却などが大きな変化と言えます。更に、周辺諸科学(考古学、社会学、心理学、人類学など)の成果の取込みや学際的アプローチなども挙げられます。授業では史料の現物やPCでの映像や音楽の活用など昔の授業にはなかった工夫がされていました。
4年生の春学期には卒業単位数の目途がたち、秋学期は興味のある選択科目の受講(朝鮮史、アイルランド研究、東南アジア現代史)と卒論に集中しました。私はイスラム、ユダヤ、キリスト教の3文化が交錯していた近世のイベリアに関心があったので、卒論のテーマは「ポルトガルの異端審問制度」にしました。文献講読と執筆に苦労しただけに卒論を書き終えた安堵感はひとしおで、提出日に家族と祝杯を挙げたのを覚えています。

さて、以下はこれから史学科を目指す皆さんへの私からのアドバイスです。

1. 歴史学は面白い
歴史学は役に立たないと思われがちですが、誤解があるようです。史実を丹念に実証的、多角的に解明してゆく思考プロセスは実社会においても非常に有用です。歴史史料は単なる記録に止まらず、それを通じて当時の人びとの考えや社会構造を解読し再構築することができます。それが歴史学の面白さ、醍醐味です。

2. 外国語を学ぼう
 英語とできればもう一つ外国語を学びましょう。程度の差こそあれ、これはどのコースを専攻しても言えることです。通常外国人との交渉では英語が用いられますが、もう1ケ国語あればさらに世界は広がります。が、コミュニケーションの鍵は実は日本語力にあります。外国語のスキルもさることながら、いかに考えや思いを伝えるかが決め手でしょう。

3.大学を活用しよう
上智大学には立派な図書館と多くの研究機関があり、学生も利用できます。たいていの地域の歴史、言語、文化については専門の先生がおり、他学部のカリキュラムも選択できます。勿論、課外活動も多岐にわたっています。ぜひ利用して学生生活を充実させて下さい。

2016年2月私は65歳になります。春からは大学院のグローバル・スタディーズ研究科に進学し、戦後アジアの国際関係について勉強する予定です。史学科を第一幕とすれば、より身近な地域、時代を対象にした今回の進学はその第二幕ということになります。どこまで授業についてゆけるか不安は尽きませんが、勇気を奮ってチャレンジしてみようと思います。では未来のソフィアンの皆さん、キャンパスでお会いしましょう!

2015年3月卒業式

2015年3月卒業式

1970年大学4年生鎌倉ハイキング

1970年大学4年生鎌倉ハイキング:著者は最後尾中央

2004年米国合弁会社幹部と

2004年米国合弁会社幹部と

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コブラツイストと鉄道と私

2013年度卒業生 木幡美里(現運輸業、関東エリア配属)

南フランス・エズ地方にて撮影

私が近現代史ゼミを語る上で切っても切り離せないのが、「コブラツイスト」です。

大学1年の冬、当時の私は日本の近代化をやろうとぼんやり考えていました。そんな中、友人から紹介された史学科ブログのゼミ紹介記事を読んでいくうちに、近現代史ゼミコーナーの「コブラツイスト」という言葉に出会いました。記事は、「君は飲み会の席でコブラツイストをかける先生に興味はないか?」という文にはじまるものだったと記憶しています。一体何をどうすればコブラツイストが出るのかと困惑しながら、ゼミ面談に向かったのはいい思い出です。しかし、それとは裏腹に、丁寧なゼミ説明をいただいたことで、ならばこのゼミにしようと決めた次第です。

そんな思いを抱きつつゼミ生となって驚いたのが、自由度の高さです。例えば、課題の一環にブックレビュー提出がありましたが、その内容はゼミで扱った史料に関するものであれば、自分で自由にブックレビュー用の書籍を選び、考えたことを好きに記述してよい、というものでした。最初はその自由度に戸惑いましたが、それが文献収集や専門書の要約、ひいては自ら考える練習になっていたのだと思います。そして何より、長田先生はどのゼミ生に対しても、決して見捨てることなく最後まで面倒をみてくださいました。それは、普段講義をされている姿からはなかなか想像できない、先生の人間味溢れる一面だと思います。ちなみに、飲み会の席でコブラツイストの謎に迫ったところ、あっさりとお答えをいただけました。その真偽についてあえてここでは語りませんが、何気ないことでも聞ける距離感が、近現代史ゼミのいい雰囲気を醸し出していたように思えます。

大学卒業後の現在、私は一鉄道員として某駅に勤務しています。駅勤務といっても想像がつきにくいと思いますが、24時間体制で泊まり込み、改札での精算や切符の発券、乗り換え等のご案内をするなど、実に様々な業務にあたっています。学生時代とは別世界の毎日を送っている訳ですが、特に違うのは相対する人の数です。学生時代は限られた範囲の交流に留まっていましたが、職業人となった今は、駅に来られるあらゆる方をお客さまとして遇しています。様々な方と接することが、今の私にとって一番の刺激になっており、駅にいながら視野が若干広がったようにも感じられます。一方で、すばやく正確に判断することが求められるのも、大学生活とは異なる点です。特に、判断を一歩誤れば命にかかわる大事故につながりかねないので、職務上の責任の重さも痛感しています。

よく、なぜ史学科から鉄道業界を志望したのか聞かれます。確かに、史学から運輸、というのは結びつけにくいところがあると思います。実際、志望理由は端的に言えば「やってみたかったから」につきますし、史学との関連性も今のところ見えていません。しかし、自分の専攻が直接業務に関わることはなくても、大学時代に培った思考力は、あらゆる場面で役に立つものであると思っています。特に、答えのないものに結論を見つけるのは、文学系の強みです。ですから、これから進路を考えられる方には、「文系だから」「史学科だから」という理由で諦めるのではなく、自分が本当にやりたいことを、広い視野でもって考えてほしいと思います。

出雲大社前駅にて

 

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上智の思い出

2013年度卒業生 呉 自嫻(早稻田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程)

先生と後輩の皆様はお元気で過ごしていますか。
卒業、進学してから、あっという間に半年が過ぎてしまいました。新しい環境への生活にだいぶ慣れましたが、皆様と過ごした時間をなかなか忘れることができません。
上智大学文学部の中国人留学生の数は極めて少ないが、ゼミみんながすごく優しくしてくれて、かなり充実、多彩な学部生活を送りました。キャンパスは小さいが、そのメリットとして、自学部に限らず、多様な活動によって、学年を問わず他学部生と仲良くなるチャンスを与えてくれます。

国際親善グルプAMITYのハロウィーンパーティ

国際親善グループAMITYのハロウィーンパーティ

国際親善グルプAMITYのハロウィーンパーティ

国際親善グループAMITYのハロウィーンパーティ

その契機として、広く自分なりの経験やこれからの仕事に関する情報を交換することができる。忙しい学習生活をしながら、自分の専門だけではなく、いろいろな友たちと楽しんだことは私にとって貴重なメモリです。

上智はキリスト教の大学として世界中の学生たちを広く受け入れています。言語を重視しているので、普段英語だけではなく、第二外国語としてのフランス語、ドイツ語、スペイン語などが履修できる。使うチャンスはないから、勉強しても無駄だと思ったら大間違いですよ! 国際教養学部との共通授業が多いから、常に外国語で話せるチャンスを与えてくれる。それ故、上智で二、三言語を使える子が珍しいことではないです。

国際教養学部の友たちとの記念写真

国際教養学部の友たちとの記念写真

国際教養学部の友たちとの記念写真

国際教養学部の友たちとの記念写真

3年生の時、ゼミ教授の坂野先生が退職すると聞いてびっくりしました。その夏休み、皆は合宿に行きましたね。私は個人的な事情で行けなくて、今も後悔しています!! でも、みんな楽しかったよね、その感情を私にも伝えてくれました。

坂野先生との合宿登山

坂野先生との合宿登山

学部最後の一年に入り、正直に言うと、恐怖感を感じたのです。新しい先生と気が合うのか、卒論が順調にできるのか、いろいろ悩んでいました。先輩たちの卒論発表会に参加したとき、自分はこのようなすばらしい論文を書けるかなあと疑ったこともありました。

坂野先生ご講演:上智大学史学会大会にて

坂野先生ご講演:上智大学史学会大会にて

四年生最後の合宿の時、“オリジナリティがない”、“注の書き方が間違っている”と先生たちに批判されて、もう死ぬほど頑張らなくではいかないと痛感しました。

ここで本当に心からうちのゼミ教授笹川先生に感謝したいです。先生は面倒なことを恐れずに、論文の粗筋だけではなく、文法まで一々指導してくれました。そのお陰で、早稲田大学院で第一次発表したとき、今のゼミ先生に“これ、学部レベルの論文に見えないね。学部時代ちゃんと訓練されたと分かるよ”って言われて、上智の先生たちに感謝したい気持ちが一杯溢れてきました。

ゼミの先生と記念写真

ゼミの笹川先生と記念写真

就活、進学、みんなそれぞれの道を選んで一生懸命に頑張っているうちに卒論を無事に完成したのは何よりです。今年の3月、最後の集合として、卒業式に参加しました。夜の感謝会がファンタシーのディズニーホテルで開かれました。みんなこの一年疲労を忘れて、食べたり、喋ったりして思いきり楽しんでいました。

卒業式~~

卒業式~~

卒業式~~

卒業式~~

常に他人の役に立てる人間になるようにという大学の理念のもとで厳しい試練を受けて身につけた強さがあり、今、エリートが揃っている早稲田でも、上位に立っています。もし、四年前に上智を選ばなかったら、今の私はいないと思います。各先生、学生たち、この四年間誠にありがとうございました!!!

2013年度卒業パーティ

2013年度卒業パーティ

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近況報告と上智の思い出

2013年度卒業生 若泉もえな(一橋大学大学院社会学研究科修士課程)
台湾の孫文像と私

台湾の孫文像と私

私は2014年の3月に上智大学文学部史学科を卒業して現在は一橋大学大学院社会学研究科に所属しています。専攻は中国近現代史で、中国近代軍閥を研究しています。中国の軍閥というとあまりなじみがない言葉かもしれません。中国では、近代に入り日本の戦国時代のような地方勢力が群雄割拠している時期が存在しました。私はそのなかでも、広東省の軍閥「陳炯明(ちんけいめい)」に焦点をあて、彼と広東省で生活している人々がどのような関係性を築いていたのか、ということについて研究を行っています。

上智大では、中国近現代史の笹川ゼミに所属していました。笹川ゼミでは横のみならず縦の交流もあり、先輩、後輩とも様々な意見交換ができたのは良い思い出です。夏休みには卒論報告も兼ねて他の東洋史のゼミと合同で夏合宿を行いました。笹川先生はゼミ生一人一人に対しどんなことでも丁寧に対応してくださいます。私は卒論で1920年代に香港で発行された中国語新聞を使用しましたが、読まなければいけない分量が膨大であったこと、また書いてある中国語を理解するのに時間がかかり、何度も挫折しそうになりました。そのような壁にぶつかった際に、突然先生の研究室に押しかけることもあったのですが、先生はいつも親身になって相談に乗ってくださいました。

専門が中国史ということもあり、学部の頃は長期休暇を利用して中国大陸や台湾に足を運びました。とりわけ卒業論文を書き上げた後に、卒業論文の舞台として扱った香港や広東省を訪ねることができたのはよい思い出です。実際に前述した広東軍閥の陳炯明の故郷にも訪れることができ、非常に感慨深く思いました。

私は中国史を専門としていますが、他専攻の同期や後輩とも交流を持つことができました。その理由の一つとしては、学部1年の時に史学科の同期と立ち上げた上智大学歴史研究会(Sophia History Club)があります。この当時上智大には歴史サークルが存在しませんでした。サークル活動としては半年に一度サークル誌を発行したり、夏休みには日本国内の歴史遺産を巡る旅行にも行きました。立ち上げ当時からはや四年近くたちますが、今は頼りになる後輩たちが後をしっかり引き継いでくれています。また史学科ヘルパー(史学科に入学してきた新一年生のお世話係)をやっていたこともあり、毎年史学科の新一年生とも関わることができました。

いま振り返ると大学四年間は、本当にあっという間でした。私は上智大学を卒業後、一橋大学大学院に進学しました。今はまだ入学したばかりなのですが、今後史料の読解やフィールドワークなどを通して自分自身の研究を深め、修士論文に挑みたいと思います。

陳炯明の故郷海豊にて

陳炯明の故郷海豊にて

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今を頑張る

2013年度卒業生 豊山 翔(株式会社LIXIL社員)
オスティアの「広場の浴場」前の2000年前の公衆トイレ

オスティアの「広場の浴場」前の2000年前の公衆トイレ

進化し続ける現代のトイレ

進化し続ける現代のトイレ

これから書くことはいささか偉そうにふんぞり返っているように思われるかもしれませんが、今後上智大学を受験しようと思われている皆さんのためになればと思います。
私は中学時代に英語に興味を持ち、公立で英語に特化している高校に進学しました。希望通りの進路でしたが、現実は私が思っていたものとは大きく異なりました。あまりにも勉強熱心な他の同級生たちに英語の勉強でついていけなかったのです。つまり私は挫折したのでした。そして大学受験を志した時にはもう私は英語ではなく他の学業を学ぼうと考えていました。ちょうどその頃、世界史で習ったユリウス・カエサルについてもっと知りたいと熱望していたので、上智大学文学部史学科を目指し勉学に励みました。その甲斐あって無事に史学科に入学できました。私は有無を言わず、古代ローマを扱う西洋古代史ゼミに入門しました。

希望通りの大学、学科、ゼミに入った私はさらに大きな転機に遭遇することになりました。私の指導教員である西洋古代史ゼミの教授、豊田先生はここ10年古代ローマのトイレの研究家でもあったのです。古代ローマのトイレ研究をする研究者は皆無で、先生は演習でよく「研究者って輩は身の程しらずに格好つけたがる連中で、生活に欠かせないトイレなんか汚いものとして研究したがらない」と仰ってました。たしかにトイレは小便や大便をする汚い場所というイメージですが、その一方で私たちの生活には決して欠かせないものです。
高校の世界史では決して習うことのない歴史を目の当たりにし、私の意識は英雄ユリウス・カエサルからトイレに向き始めていました。

そして3回生の夏、ゼミ生と教授でイタリアへ様々な遺跡を見に行きました。ローマ、オスティア、ポンペイ、エルコラーノと名高い遺跡や教会を巡り帰国した後、卒業論文のテーマを古代ローマのトイレに決めることにしました。というのも現地の遺跡で見てきた当時のトイレに私は魅了されたのです。それからしばらく経って冬になると避けては通れない就職活動が始まりました。いままで少しも就活を意識していませんでしたが、トイレの研究をしていくうちにトイレ業界に携わりたいと考えるようになってきて、トイレやトイレをはじめとする住宅設備メーカー、ハウスメーカーなどの衣食住でいうところの住に重きを置く企業を受けました。そして晴れてトイレやキッチン、ユニットバス、サッシなどを取り扱う総合住宅設備メーカーの営業マンになりました。

今年の4月、トイレを売ろうと意気揚々と入社したわけですが、入社3か月が経った今ではキッチンを得意とする先輩の影響もあってか、キッチンに興味がわきキッチンの勉強を積極的に行っています。新人の中ではキッチンの知識は誰にも負けないと自負しているくらいです。

つまり私は高校、大学、社会人、と何回も心変わりをして今に至ります。これからだって会社を変える可能性もあります。希望が通っても、何が転機となってどう進路が変わるかわかりません。そのためにはあまり先のことを考えずに、今現在を一生懸命に取り組めばいいのではないでしょうか。私の場合は転機となることがすべてつながった結果が今としてあるのです。ですので、現時点で上智大学文学部史学科に入りたいと考えている方は、精一杯勉強を頑張ってください。そして、晴れて入学されたら、何か興味を持ったものに全力で取り組んでください。また学問であろうと友人であろうと先生であろうと、色々な物や人に積極的に接していくうちにみなさんの将来を築くための転機があるでしょうから、その都度精一杯がんばってください。結果や未来はそういった中で自然と構築されるはずです。

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史学科と私

2013年度卒業生 檜垣 盛(伊藤忠商事株式会社)
仕事も遊びも本気です。 社会人として初の愛車は、オートリキシャー(通称トゥクトゥク)

仕事も遊びも本気です。
社会人として初の愛車は、オートリキシャー(通称トゥクトゥク)

■はじめに
私は、上智大学の2009年度生として史学科に在籍し、現在は総合商社に勤務しています。史学科生として自分なりに大学と向き合い、その結果として今の自分が居ます。その史学科のホームページが開設されるにあたり、近況報告を寄稿させて頂ける事を大変光栄に思います。

■今の仕事
総合商社には幅広い商材や機能を扱う部署がありますが、私の所属は、トラックをアフリカに輸出する課で、担当は国別に割り振られています。社内では、輸出入の営業で外国と直接やり取りする部署ばかりではありませんが、最も典型的にグローバルな職場で働くことになりました。

就職活動中、「グローバルな仕事」という言葉ほど胡散臭い宣伝文句はないと感じていました。しかし、同じ部には、地域別の担当課が並んでいるために、(標準時ごとに)時間帯によって様々な地域の駐在で身につけた外国語で電話対応する声が聞こえます。現地に駐在社員や資本を送り込んで対応し、新入社員の目にはとてもダイナミックに見えます。

幅広い商材や機能を扱う部署があるだけあり、個人の独自性を見て配属されたと思います。日本人に馴染みの薄い遠国と取引するにあたり、西洋史を専攻していたことで知り得た歴史的文脈や、各地をバックパッカーとして旅 した経験は、御国柄を理解するのに活きます。英語に加えて複数の外国語を学んだことは、営業担当上、活用できるシーンも多くなります。

決してこういった知識が直接的に活きる訳ではありませんが、それらを学んできた知的好奇心やバイタリティは、業務の傍ら、自己研鑚を底支えしてくれることになるのではないかと思います。

■学生時代
学生時代は、西洋史コースの長井ゼミ(フランス史/近世史)に所属していましたが、大学や専攻に囚われることなく幅広く自己研鑚の機会を求めました。
様々な経験ができたことと、今の仕事と全く異なる分野を専攻できたことの、両方のお陰で有意義な学生生活を送ることが出来たと思います。

自分がある分野ばかりを学んでいて良いのかという葛藤は、どの学生にも訪れるものです。上智大学のように様々な分野を学ぶ学生が一つのキャンパスで過ごしているのだから、隣の畑が青く見えてしまうのも自然なことだと思います。私はその葛藤のお陰で、色々なものに目が向きました。

必修の教養科目を超えた、専門の講義や自分の目で見た体験こそが、社会に出たときに非常に有意義な教養になると思います。上智大学のカリキュラムは先進的な部分があります。積極的に他学部の講義や副専攻コースも履修し、様々な分野の講義を聞くことが出来ました。また、外国の歴史や言語を学んでいれば、現在の実情がどうなのか、好奇心が湧きました。
1年の休学を含む5年の在学期間を通して、合計5カ国に留学し、約70カ国を訪れました。

とはいえ、私は史学科生として優等生ではなかったかもしれませんが、史学科は自分の経歴の基礎にあります。人文系の出身は、商社マンの中では少数派ですが、その独自性は常に前向きに活きます。

学生時代に打ち込んだ分野の道に進んだ方は、その分野以外のことに触れる機会は少ないかもしれません。私が本当に尊敬できる人生の豊かさのある人生の先輩は、職業のプロとして成功しながらも、業務外の知識やスポーツにも深い素養がある先輩です。その職業分野とは別に深める教養として、歴史や歴史学は世間でも広く認められる分野だと思います。

■おわりに
私にとって、学生時代はもう過去のことですが、良い思い出がたくさん詰まっています。時々、上智の現役生がOB訪問としてお喋りをしに来て下さりますが、上智大学や史学科の現在が知れるのが楽しみになっています。まだ選択ができる方は、ぜひ有意義な学生生活を選びとって下さい。史学科と史学科の皆様のご健勝とご活躍をお祈り致します。

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大学生活と今

2013年度卒業 浅香 茜(製薬会社勤務)
著者近影

著者近影

はじめまして。私は史学科では日本近現代史を中心に勉強し、中でも太平洋戦争の「海外からみた特攻隊」をテーマに卒業論文を執筆いたしました。また、大学時代は文学部ではあまり多くない体育会の部員でもあり、そちらでの活動も非常に力を入れて過ごしていました。そして現在は製薬メーカーに勤め、お医者様方を相手にお薬の話をする仕事をしております。
たいしたお話ではありませんが、史学科への道を考えていらっしゃる皆様に向けて、史学科のこと、学生生活のこと、現在の仕事のことについて簡単に述べさせていただきます。

まず、なぜ史学科に入学することに決めたかと申しますと、自分の興味のあることを自分の好きなように勉強したかったから、です。大学での史学科の勉強は、中学・高校時代の「暗記」中心の勉強とは大きく異なり、ものごとを深くまで考えて、それらの繋がりを見つけていくことだと思います。史学科の卒業と言うとよく、「暗記が得意なんでしょう?」を言われますが、全くそんなことはありません。自分が興味をもって調べたことは、自然に覚えていくものだと思います。         
卒業論文のテーマである「特攻隊」は、ひとつの事象にもかかわらず日本と海外で反応が大きく異なります。文化的背景、歴史的背景、様々なものが重なりあって生まれたこの“ギャップ”の原因を、さまざまな史料を読み比べることで見つけ出してみたいと思い、卒業論文に夢中になりました。

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長田先生は終戦期の外交史のご専門でいらっしゃり、日本や海外の史料や報道記事の読み方について多くのアドバイスを下さりました。私ひとりでは気づけなかった重要な点のヒントを下さり、史料集収や論文の書き方で壁にぶつかった際に何度も助けていただきました。こうして、はじめは手探りで始めた卒業論文でしたが、最終的には自分でもたいへん楽しみながら完成させることができました。
また、大学時代に夢中になっていたのは史学のみではありません。部活動、というもう一つの楽しみも私にはありました。私は4年間ラクロス部に所属し、真っ黒に日焼けしながら毎朝グラウンドを駆け回っていました。試合に勝つことを目指して仲間と共に夢中になった4年間は、私にとっては非常によい思い出です。

大学時代のことはこのくらいにして、現在の私の仕事について述べさせていただきます。
冒頭でも簡単にお話させていただいた通り、現在私は製薬メーカーに勤め、お医者様方を相手にお薬の話をする仕事をしております。
4月の入社からひたすら病気のこと、薬理学のこと等を勉強し続け、先生方と最新の医薬関連の情報についてお話する。文系の私にとっては世界が180度かわったような毎日です。自分がまだ未熟なこともあり困難なことも多いですが、自分の仕事が患者様の笑顔につながっていると思えることが本当にやりがいに感じます。

大学時代に学んだ歴史の知識が活かされることはあるのか?と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、「歴史の知識を活かす」といった観点では、そういった機会はほぼ全くと言って良いほどありません。しかし、先生方や会社の方とお話をする際に、「大学ではどんなことを勉強していたのか?」と聞かれることはよくあります。そういった際に、自分が調べていたことについて話をするとよい話題になり、「大学時代、何かに一生懸命になっていた人は素敵だね」と言っていただけることが多くあります。
「物事について、とことん追究する」そんな経験ができた史学科での4年間を誇りに思い、いまは目の前にある仕事に夢中になっています。

皆さんの未来が輝いていることを願い、終わりとさせていただきます。最後までお読み下さいましてありがとうございました。

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まだなんとか

2012年度卒業生 波多野 陸(作家:2012年度群像新人賞受賞)
坊主頭にしました。

坊主頭にしました。

 上智大学を卒業してすでに一年以上経ってしまった、とはっきり言って焦りを感じる日々です。

 僕は卒業後間もなく小説で新人賞をもらい、それをいいことに今も自分のやりたいことを追及する日々を過ごしております。と言っても、現在執筆活動の方は絶賛不調中で(スランプとは言えません、なぜなら立ち上がれるかどうか不明だからです。スランプという言葉は現在進行中の事柄には決して使えません。立ち上がることのできた者のみが過去を振り返って使うことのできる「厳しい」言葉なのだと最近気づきました)、肉体労働チックなことをしてどうにか糊口を凌いでいます。自分があまりにも類型的な「夢を追う若者」になってしまったことと金をケチって坊主頭にしたことに思わず涙が出そうですが、泣いたって何にも変わらないのはみなさんご存知の通り。どうして僕はこんなに悲観的なのかと言えば、数か月前に、これが発表できたら人生もうどうだっていいや、という思い入れのあった小説がボツになったからです(だから、人生もうどうでもよいとは言えなくなったのですが、しかしその結果、人生に対して悲観的になったのは大いなる皮肉です)。ボツになった理由は、簡単に言うと内容から僕のそういう思い入れが感じられすぎたとでも言いましょうか、まぁ、何事もバランスが大事だという当たり前のことを改めて学んだわけです(ただ、学ばなくても知っていたので、できれば学びたくなかった)。

 とまぁ、こんな具合なので、焦り、焦り、けど肉体労働チックな仕事で疲れたから何にもやりたくないなぁ、という日々なのです。もちろん、僕が今こうなのは上智大学を卒業したこととは何にも関係がなく、ただ自分のした選択の結果なので、もし読んでくれている方がいるのなら、ご安心ください。と言うのは冗談として、夢=呪いに惑わされているような、あまり利口じゃない今の僕はまだマシなのだろうなと思います。本当にぞっとするのは、利口になることです。実をいうと、大学を卒業してからつい最近まで、色々と現実を知った気になっていた僕は、利口になりかけていた僕は、何にも興味がわかず、意欲がわかず、それはそれは最低な状態でした。もしかしたらこの一年は「バカ」に戻るために必要な期間だったのではないかとさえ思います。ある程度バカじゃないと、学ぶ気にも行動する気にもなれないようです。もっとも、バカに戻っただけなので、僕の創作活動が今後好転することを保証してくれるわけでもないのが。けれど、少なくとも、頑張る気にはなってきました。ONCE AGAIN!

 以上、近況報告でした。なんだか暗くて申し訳ありません!

鋸山山頂。登ってきました

鋸山山頂。登ってきました

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まずは制度をしっかり理解することが大事

2012年度大学院博士課程前期修了 岩井優多 (株式会社ぎょうせい 法制ソフト課)
条例案等の文言をチェック中

条例案等の文言をチェック中

この言葉は職場の先輩から頂いたものです。私は現在、地方自治体が行っている例規整備(条例や規則などの制定、改廃を行うこと)をサポートする仕事をしています。具体的には、お客様(地方自治体)が起案した条例案等について、文言や法令の引用が適切かどうかを精査したり(写真参照)、法制執務(法令や例規を起案する際の決まりごと)に関する質問に文書で回答したりする業務や、法令の制定や改廃に伴って例規にどのような影響が考えられるかについて解説した地方自治体向けの記事を書く業務などを行っています。

就職してからというもの、法令や例規を読み込むことが仕事の基本的な作業であることもあり、法律に触れる機会が以前に比べて格段に増えました。学生時代は法学部関連の科目を一切履修したことがなく、法律に関する知識を人並み程度持っているかも怪しい状態でした。そのため、入社当初は文中の「てにをは」や法律独特の言い回しばかりに気を取られ、規定されている内容を把握することに悪戦苦闘する日々が続いていましたが、ある日アドバイスとして先輩から冒頭の言葉を頂きました。法律を読んで内容を理解することは制度を理解することと同じであって、法律を読むにはまずは国が公開している資料等を参照して、その法律が定めている制度そのものを理解することから始めることが大事、というのがそのアドバイスの主旨でしたが、このことは史学科で歴史学を学んでいる学生みなさんにも共通していえることではないでしょうか。

史学科に入学すると誰でもいつかは必ず史料を読むという作業を行うことになります。
漢文に返り点を付したり、くずし字を解読したり、複数の写本を校訂したり、外国語を日本語に翻訳したりなど、対象となる史料によってその読み方は様々ですが、それらはある社会的、制度的背景のもとに書かれたものがほとんどです。そのため、史料を読む際には、一字一句に注意して意味をとることも大事ですが、その史料が書かれた当時の背景を踏まえて読んでいくことで、より理解が深まるということは私自身の経験からいっても確かです。私は職場の先輩から頂いた言葉で、法律を読むという行為と学生時代に学んだ史料を読むという行為に必要な姿勢が共通しているということ(その意味では法律も史料に含まれるものといえるでしょう)に気付かされ、そして仕事を進めていく上での「楽しさ」を得たといっても過言ではないでしょう。

ちなみに、私は院卒ということもあって、今現在も研究活動は継続して行っています。
大学院のゼミや研究会には可能な限り出席し、機会があれば報告も進んで行っていますし、現在執筆中の論文もあります。サラリーマンでありながら研究活動を継続していくことは、時間的なものはもちろん、他にも多くの制約があり、また前例も少なく大変ではありますが、学問への真摯な姿勢を保ちつつ、仕事と研究の両立を目標に今後も精進していこうと思っています。

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