カイゼンと合唱は、人生の両輪です
僕は地方公務員として税務、介護保険、生活保護などの区民生活に密接にかかわる業務に携わりながら、「常に問題意識を持ち、仕事の効率化や事務改善を怠らず、周囲を巻き込む」をモットーに、トヨタ生産方式などの考え方を参考にして、働きやすい職場づくりを現場から進めていこうと考えている、多少あまのじゃくな職員です。
住民税課税の部署では、個人中心ではなくチーム中心の職場運営、前年の反省をもとにした事務改善、無駄の徹底的な排除、エラー処理手順のマニュアル化(自分のやり方を文章や図にし、共有する。新しいことには適宜対応する)などで、徹底的に仕事の効率化を目指し、結果として大幅に残業を減らすことができました。一方で、様々な業種の人々と交流を持ち、人生を楽しむことも忘れてはいません。
そんな自分の今の目標は、出世よりも「こんな人と一緒に働きたい」と思われる人材になることです。
・受験生の皆さんにお伝えしたいこと
僕は1997年に新宿区役所に就職しました。
「就職氷河期」といわれた時代の端緒。そんななかで大学院を中退して、当時は難関といわれた公務員にシフトしたといえば聞こえはいいですが、正直なところ、院でやりたいことを見失ったため、修士を切ったわけです。就活中はこれがずっと負い目でした。それについてどうやっても後ろ向きな理由しか思い浮かばない。なので、特別区の面接はことごとく落とされました。
学生当時の自分のキャリアについての意識の甘さ、独りよがりな就活、コミュニケーション能力の欠如がその原因だと分析しています。
これから大学の門をたたき、社会にはばたく準備をしていく皆さんには、「こんな自分になりたい」というキャリアビジョンを描くことや、キャリア教育の機会を積極的に利用すること、仕事について考える機会をもつことを切におすすめします。
・自分が学生だった頃のIT事情
話は再び前世紀へ。
僕の学生時代は、インターネットはまだ普及する前、データ保存はフロッピーディスクで行うという状況で、ITなんていう用語もありませんでしたが、そういうスキルが必要とされ始める時代でした。「卒論は手書きで」という、今からすると信じられないルールのゼミもあったようです。
豊田ゼミは卒論は当然のこと、あらゆるレポートの提出に際し「ワープロ必須」でしたが、自分はデータ入力のバイトをやっていたり、後述する合唱団の演奏会プログラムにはさむアンケート等の原稿を大学のPCで作成したりしていたので、他の文系の学生よりは、PCを扱う技術には長けていたのかなとは思います。
区役所に就職してからもしばらくは、住民異動や印鑑登録、証明書の出力等で専用のホスト端末を使うくらいで、文書作成は富士通のOASYSというワープロ専用機(!)やそれのPCソフト版で行うことが義務付けられていたり、そもそもPCのスキルがなくても仕事には困らなかったり、Excelでちょっとした表を作れば大幅に事務改善が図れたり(これは今でもあてはまります)、今からすると不便極まりない時代でした。こういう時期に周りの職員に先んじてExcelの基礎を勉強したことが、結果として今の自分の強みの一つになっています。
論文を書くためには「参考文献の収集」が不可欠です(ちなみに豊田ゼミでは外国語の本を一冊訳すことが必須条件になっていました)。学生時代はそのために図書館中をかけずり回り、コピーカードを何枚も使ったものですが(もちろん上智の図書館で必要な資料が全部そろうわけじゃありません)、いまでは家に居ながらPCで資料やデータベースを検索できたり、いきなり論文を読むことができたり、大学の購買で取り寄せたり神保町に行かなくても洋書を買える。人文系の研究分野においてもインターネットは強力なツールになっているわけです。
・大学時代から続けていること
僕は大学の4年間「混声合唱団アマデウスコール」とともにありました。団創立から30余年を数えるサークルで、今も合唱を続けている卒業生も数多くいます。学生当時はテノールのパートリーダーとして、演奏会に向けて毎日の練習を指導していました。ゼミや論文を手際よく片付けて、いい演奏をするためにどうすればいいかを真剣に悩む、そんな学生でした。
現在も「武蔵野合唱団」等、いろいろなグループで合唱は続けており、小林研一郎、山田和樹といった錚々たる指揮者の指導を受けております。昨年の上智大学100周年記念演奏会では、練習時のテノールソリストも務めました。また、毎年All Sophian’s Festivalで現役生と交流を深めたり、数年に一度のOB合同ステージで歌ったり、あるいはSNSで先輩や後輩たちと近況を伝えあったりするなど社会人になっても上智との関係は続いています。