卒業生の声

私の歩んだ道

2001年度学部卒業生 寺本敬子(跡見学園女子大学・文学部・人文学科・助教)

上智大学の史学科を卒業してから10年以上が経ち、現在は、フランス近代史(19世紀)を専門に、研究者としての一歩を踏み出したところです。私が史学科で学びたいと思った理由は、古代・中世・近世・近現代といった歴史の広い時間のなかで、人々が歩んできた社会や文化について学び、そしてこれから私自身がどのような道へ進んでいこうか、じっくり考えてみたいと思ったからでした。

上智大学の史学科では、1年次に日本史・東洋史・西洋史を広く学びます。それと並行して、私は学芸員課程や他学科の開設する国際関係等の科目を履修しました。2年次からは、西洋史を専攻し、近世と近現代の二つのゼミに所属しました。これらの学習を通じて、比較文化、異文化交流史といった学問分野に惹かれていきました。これは、私自身が小学生から中学生にかけて約3年間、アメリカ合衆国に住み、様々な国籍の人々、特に東アジア諸国のクラスメートと出会うなかで、日本と近隣諸国との現代史に興味を持ったこと、そして大学で特に「日本人とは何か、日本文化とは何か」ということに関心を持ったという経緯があります。私は、この問いをヨーロッパという外部から探究してみたいと思うようになりました。とりわけ19世紀後半のフランスを中心にヨーロッパで広がった「ジャポニスム」という文化現象に関心を持ちました。卒業論文では、19世紀半ばからフランスで開催されたパリ万国博覧会に焦点を当て、開国して間もない日本がどのようにこの国際的催事に参加し、他国との交流を通じていかなる日本の文化やイメージがフランスおよびヨーロッパ社会で受容されていったのかという問題に取り組みました。

この研究テーマとの出会いは、さらに大学院に進学して研究を続けてみたいという気持ちにつながりました。一橋大学大学院社会学研究科の修士課程・博士課程、パリ第一大学(パンテオン・ソルボンヌ)歴史学科の博士課程では、19世紀後半のパリ万博全体に射程を広げていきました。「19世紀パリ万博における日本」というテーマは、博士論文をはじめ、現在に至るまで、私の一貫した研究課題であり続けています。

よく飽きずに同じ研究テーマを続けているなと思われるかもしれません。しかし、ひとつのことが分かると、さらに新しい疑問や課題が無数に出てきます。こうしてまた新しい疑問を解明していきたいという気持ちが生まれ、それが私にとって、研究を続けていく原動力となってきたと思います。また2年半のパリ留学期間に、フランス国立文書館や外務省文書館に通い続けて痛感したことですが、人間の残した記録は、まるで大海のように無限に広がっています。その大海の中から、19世紀を生きた人々が残した書き物をめくっていくうちに、そこにひとりひとりの思いや息づかいが感じられてくるようになりました。またこの研究を続けていくうちに、19世紀を生きたフランス人や日本人のご子孫と出会い、その人物の生家や墓地などを訪ねました。このように研究を通じた出会いを重ねていくうちに、歴史研究とは、単なる平面的な記録の検証ではなく、血の通った、人間の生き様そのものに迫ることであると思いました。これからも、人間の交流の歴史に光をあてて、異文化の接触、その時代の社会と文化の変容などについて、研究を続けていきたいと考えています。

上智大学の史学科は、日本史・東洋史・西洋史の3分野を、古代・中世・近世・近現代の時代ごとに学ぶことのできる、大変充実した学科構成であると思います。先学の研究蓄積から学び、原史料を読み、問いを投げかけ、解明していくという歴史学の研究方法は、この史学科で最初に学びました。特に、外国語の原史料を丁寧に読んで行く作業を、熱心に指導してくださったゼミの先生方からは、多くのことを学びました。それは、私にとって歴史研究を行うときの基盤であり、指針であり続けています。

19世紀パリ万博の会場だったシャン・ド・マルス

19世紀パリ万博の会場だったシャン・ド・マルス

史料の宝庫、フランス国立文書館

史料の宝庫、フランス国立文書館

上へ戻る