未分類

  • 「英語と社会」

    <講義をする柴崎洋平氏> 2012年11月20日  先輩たちから話しを聴くキャリア教育の授業である「英語と社会」。本日の講師は柴崎洋平氏(1998年外国語学部英語学科卒)。柴崎さんは、学生時代はアメリカン・フットボール部の部員として部活中心の大学生活を過ごし「いつも教室の後ろの隅っこで遅刻しながら授業を聴いていた。Aを取ったことは恐らく一度もなかったのではないか」と自らの学生生活を振り返った。  卒業後、ソニーに10年ほど勤めた後、学科の後輩と二人だけで起業。最初は学生アルバイトを使って通訳や翻訳を行っていたが、現在では世界中の優れた人材を楽天やユニクロなど日本企業に紹介する仕事を行っている。5年間で従業員も50名ほどになり、海外に数か所も拠点を持つような規模まで会社を育て上げた。  世界の中で日本の就職活動や雇用形態がいかに特殊であるか、英語が素晴らしくできる英語学科の帰国子女の女子学生たちが就職活動で苦戦するのは何故か、といった話しはとても面白く、学生たちも熱心に聴き入っていた。特に新卒の就職活動に関して言えば、日本の大学生の就職活動は世界中で一番楽だ、という指摘は学生たちにとってかなり意外だったのではないだろうか。  自分の授業に出席していた卒業生の講義を聴くのは初めてで何だか新鮮だった。お忙しい中、講義に来て下さり、柴崎さんどうもありがとうございました!!<続きを読む>
  • ウォークマン

    2012年11月19日(月)  朝、バスの中で予習をしようと、授業で使う教材の音声を入れたウォークマンを起動させたら、収納データの最初から早送り状態で再生が始まって制御不能になってしまった。昨日の夜、バッハの無伴奏チェロ組曲ばかり何種類も転送したからウォークマンがお腹を壊してしまったのかも知れない。  授業の予習にも、語学学習にも、そしてもちろん心の安らぎのためにも、僕にとってウォークマンは欠かせない携帯品になっている。思えば、最初にウォークマンを買ったのは、大学1年生の5月頃(1983年)。リスニング力不足で英語学科の授業についていけなかったので、何とか挽回しようとして英語学習用に購入したのだった。当時3万円くらいしたと思う。もちろんカセット・テープ式。恩師ジョン・ニッセル神父のテープ・ライブラリーから小説の朗読やドラマの録音をダビングしてもらったり、在日アメリカ軍の放送であるFEN(現在はAFN)のニュースやラジオ・ドラマを録音したりして、せっせと通学時間に英語の音を聴いたものだった。  その後、MDディスクの時代を経てデジタル・データの時代になったが、ポータブル音楽プレーヤーはずっとソニーのウォークマンだった。デジタル式になって、かさばるカセット・テープやMDディスクを持ち歩く必要がなくなったのは本当に助かる。便利になったものだ。  ウォークマンがないと、とっても困る(中毒みたいなものだ)ので、移動の途中、秋葉原で途中下車して駅前の大きな量販店で16ギガの通常(S)タイプのものを購入。29年前に最初に買ったカセット・テープ式のものの半分くらいの値段だ。物を作る人たちが気の毒になる。  今度のウォークマンにはこれからどんな音が入るのだろう。自分でも楽しみだ。<続きを読む>
  • Balkanization of Plitical Parties 

    2012年11月18日(日)  今週の授業で扱う The Japan Times の記事はアルゼンチンでの大規模なデモとその背景についてという内容だ。アルゼンチンでは経済が破たんして猛烈なインフレーションに人々が苦しんでいる。そのために現大統領の支持率は31パーセントまで低下しているという。一方で、野党側についても、同じ世論調査では65パーセントの人々がその働き振りに不満をもっているらしい。数多くの分派に分裂し過ぎていて政府に対する抑制力を失ってしまっている、と記事には書かれている。もとの英文は次のように書かれている。  Argentina’s opposition parties remain weak and Balkanaized and face a credivility crisis, having lost control of Congress and nearly every other institution capable of restraining the goverment. ("Biggest Argentine protests in decade target president, crime" AP, The Japan Times. Saturday, November 10, 2012) 「アルゼンチンの野党諸政党は力が弱く、細分化されており、信頼喪失の危機に瀕している。国会だけでなく政府の行動を制御できる他の全ての諸機関に於いてもこれらを動かす力を失って仕舞っているのだ。」  何だか全く他人事とは思えない。衆議院が解散して来月末には衆議院選挙が行われる。選挙権は行使するべきだ、と思うけれど、、、。やれやれ、一体どうしたら良いのだろうね。<続きを読む>
  • 第2回ジョン・ニッセル杯

    <本選参加者と審査員たち> <運営を手伝ってくれた学生ヘルパーたち> 2012年11月17日(土)  生憎、時折土砂降りの雨が降る悪天候でしたが、本日午後13時より上智大学2号館17階国際会議場において、第2回上智大学全国高校生英語弁論大会(ジョン・ニッセル杯)が開催されました。全国から応募した185名から選ばれた20名によって行われた本大会は、昨年に引き続き、驚くべき高水準の争いとなりました。大会の後、ささやかなレセプションが開かれ、参加者とその家族や指導教員、審査委員をはじめ学生スタッフなどの上智大学関係者らが小一時間ほど歓談して楽しいひと時を過ごし交流を深めました。<続きを読む>
  • 英語弁論大会前夜

    2012年11月16日(金)    明日、17日(土)、13時から上智大学四ツ谷キャンパス2号館17階国際会議場で、第2回上智大学全国高校生英語弁論大会(ジョン・ニッセル杯)が開催される。最後の最後まで様々な準備があり、英語学科事務室のスタッフふたりには大きな負担をかけることになってしまった。全国から185名の応募があり、選ばれた20名の本選出場者が優勝杯をかけてスピーチに臨む。参加者の皆さんの健闘を祈る。<続きを読む>
  • ソフィア会常任委員会

    2012年11月15日(木)  18:30からS.Jハウスというキャンパス中央にあるイエズス会士たちの修道院1階の応接室で開かれたソフィア会常任委員会に出席。  ソフィア会というのは上智大学全体の同窓会で、会員数は10万人を超えている。常任委員会はその全体を統括する運営員会のような役割を担っていて、毎月第3木曜日に開催される。僕も昨年から委員に加わった。大半の委員は既にお仕事を引退されているような大先輩の方々で、恐らく平均年齢は65歳を超えているのでは、、、、と思われる。しかし、その大先輩方が皆さんとてもお元気で、僕などにはとても太刀打ち出来ない活力を発散させている。今日も、18時半までの授業を終えてからやや遅刻して参加した僕は、先輩方が熱心に討議を重ねている横で、ついついウトウトして仕舞った。ごめんなさい。  来年は上智大学創立100周年なので、ソフィア会でも様々な企画を計画している。上智大学管弦楽部の顧問をしている僕自身は音楽関連行事の担当、ということになっている。メイン・イベントとして、来年12月8日(日)13時半からサントリーホールで、オーケストラと合唱による創立100周年記念演奏会を予定している。皆さん、今から是非、予定に入れておいて下さい。<続きを読む>
  • 学科教授会と飲み会

    2012年11月14日(水)  15時30分から学科教授会。今日の議題は少な目だったのだけれど、14年度から予定されている外国語学部の大きな変革にあたって英語学科のカリキュラムをどのように調整するかについて、かなりの時間を割いて議論をした。大部分の学生が大学に入ってから初めて新しい外国語を学び始める学科が5つある外国語学部の中で、唯一英語学科だけが入学時点で既にかなり高度な専攻語(英語)の力を身に付けた学生を対象として授業を行っている。更に、英語学科だけが定員180名と他学科の3倍ほどの規模がある。そんな訳で、学部の中で英語学科だけがかなり特異な存在であって、他学科と共通の方針で何かを考ええたり実施したりすることはとても難しい。今日の学科教授会ではそんなことを改めて実感した。  18時30分。行きつけの居酒屋で「英文講読(シェイクスピア)」の受講生8名と飲み会。この2年次生向けの選択必修科目では、今学期は受講生がゼミの半分以下しかいなかったので、参加者たちととても親密な関係を作ることが出来ている。今晩も楽しいひと時を過ごすことが出来た。体力と財力がもっとあれば、もっともっと幾らでも学生諸君と付き合うのだけどね、、、。<続きを読む>
  • 日本のなかのリトル・ブラジル

    みなさん、こんにちは。今回のteacher_blog担当の飯島真里子です。私の「太平洋日系移民史」の講義では、戦前、海外に渡った日本人移民の歴史と日系人の文化について学びます。「日系人ってどんな人たちなんだろう?どんな文化を持っているんだろう?」と疑問を持つ学生も多いので、一年に一回、日本のなかの日系コミュニティ見学にいきます。下の写真を見てください。みなさんは、どこだと思われますか? (飯島撮影) これは、群馬県の大泉町で撮影されたブラジルスーパーの写真です。大泉町は、全人口の15%を外国籍者が占め、その大部分がブラジルからやってきた日系人です。大泉には、パソソニック、富士重工、味の素などの大企業の工場があり、日系人はそのような工場や近隣の町(館林や太田など)のお弁当屋さんなどで働いています。日系人のほとんどは、1990年の入管法改正を機に日本にやってきて、リーマンショック、東北大震災を経験しながらも、日本で長期間住むことを決めた人々です。 日本にやってくる日系人は、日本人移民の子ども、孫の世代で、必ずしも日本語が流暢とはいえません。また、「血統的」に日本人であっても、ブラジル生まれ・育ちであるため、日本で住み始めた時のカルチャーショックは大きいのです。さらに、工場での重労働、日本人社会からの冷たい目、連れてきた子どもたちの教育など、日本で生活してみると多くの問題が発生します。そのような問題を解決する手助けをしているのが、今回学生と訪ねた際にインタビューさせて頂いた大泉日伯センターの創立者高野さんご夫妻です。高野さんご夫妻も、戦後ブラジルにわたり、1980年末に日本に戻ってきた元ブラジル移民です。1990年代、増加する日系人問題に心を痛め、日系ブラジル人子弟のための教育機関「日伯学園」(現在生徒数120名)も設立し、現在、センターは大泉ブラジルコミュニティと地元社会を結ぶ「架け橋」的存在となっています。 (大泉日伯ブラジルセンター、飯島撮影) 様々な問題を抱えている一方で、日系ブラジル人の日常生活の支えとなっているのが、ブラジルの商品を売るお店です。西小泉駅から5分ほど歩くと、ブラジルの食材や服飾品を売るお店が7-8軒ほど連なっています。私たちはいくつかのお店に入り、店員の方とお話をしたり、ポンデケージョ(ブラジル風チーズパン)を味見させてもらったりしました。ここでは、私たち日本人が「マイノリティ(少数派)」となり、日系ブラジル人が「マジョリティ(多数派)」となります。しかし、日系ブラジル人の人々は、私たち(マイノリティ)を温かく迎え入れ、積極的に話しかけてくれます。逆に、日本社会でマジョリティである日本人は、マイノリティの人々を同じように迎え入れているのだろうか、というような疑問がふと頭をよぎります。 今回の大泉の滞在時間は5時間ほどで、コミュニティを理解するには不十分です。しかし、この少しの滞在だけでも、五感を通じて、色々な情報を得ることができます。また、「マジョリティ」から「マイノリティ」への立場の転換は、私たちが日頃見過ごしてしまう社会的な問題を気づかせてくれますし、心がかよったコミュニケーションの大切さを教えてくれます。東京から約2時間半-是非リトルブラジルに足を運んで、日本のなかの移民コミュニティを体験してみてください。(飯島真里子)<続きを読む>
  • 「英国研究A」

    <読み合わせをする学生たち> 2012年11月13日(火)  昨日の記事で触れた学生たちが実際に演劇を実践する授業は「英国研究A」という科目で、火曜日と金曜日の朝いちばん早い時限に開講されています。10人ほどのグループに分かれて、各グループごとにシェイクスピアのひとつの作品を原語のままで演じることが目標です。今年の演目は『夏の夜の夢』。学生たちは授業内で発表出来るように原作を60分以内で上演可能な長さに編集することから作業を始めます。  今はようやく台本が出来上がりつつあり、各グループで読み合わせが始まったところです。これからだんだん立ち稽古の賑やかな風景がみられるようになるはずです。<続きを読む>
  • &quot;People in the Wind&quot;

    2012年11月12日(月)  29年前、僕は現在自分の職場である上智大学外国語学部英語学科の2年生だった。ちょうど今日、11月12日は今年と同じように月曜日だった。1時限目の必修科目マーガレット・チェイス先生の「英文学」で、僕たちのグループはアメリカの劇作家ウィリアム・インジの "People in the Wind" という1幕劇をホフマンホール4階の大きな会議室で上演した。マリリン・モンローが主演した『バス停留所』という映画の基になった小品だ。  舞台はアメリカ中西部のバス停留所。長距離バスのお客たちが長旅の途中でバスを降りてしばし休憩する小さな食堂のような所だ。バスが到着し、乗客たちが入って来る。 酒に溺れて失職したアルコール中毒の元大学教授、姪を訪ねて行く途中の年老いた姉妹、ハリウッドで映画女優になることを夢見るナイト・クラブの歌手、そして彼女に付きまとうカウ・ボーイ。そこにその食堂をを経営する中年女性とアルバイトの女の子、更にバスの運転手が加わって、劇は静かに進行する。会話や酔っ払いの戯言からそれぞれの人生がチラリ、チラリと垣間見られる、という渋い内容だ。僕は初対面の女の子に言い寄って結婚を迫る無骨なカウ・ボーイの役だった。30年近く前のことだけれど、とても懐かしい。  日にちや曜日まで覚えているのは、特別な思いでがあるからだ。実は僕はこの劇の上演がきっかけで、同じグループにいたクラスメートの女の子と仲良くなって付き合うようになり、やがて結婚したのだ。先日、11月1日は結婚25周年だった。  いま、僕自身も学生たちに劇を上演させる授業を行っている。まだ、いまのところ結婚したカップルは出ていない。でも、そのうちに出るのではないかと楽しみにしている。<続きを読む>