日本のなかのリトル・ブラジル

みなさん、こんにちは。今回のteacher_blog担当の飯島真里子です。私の「太平洋日系移民史」の講義では、戦前、海外に渡った日本人移民の歴史と日系人の文化について学びます。「日系人ってどんな人たちなんだろう?どんな文化を持っているんだろう?」と疑問を持つ学生も多いので、一年に一回、日本のなかの日系コミュニティ見学にいきます。下の写真を見てください。みなさんは、どこだと思われますか?

上智大学外国語学部英語学科 教員日記-oizumi

(飯島撮影)

これは、群馬県の大泉町で撮影されたブラジルスーパーの写真です。大泉町は、全人口の15%を外国籍者が占め、その大部分がブラジルからやってきた日系人です。大泉には、パソソニック、富士重工、味の素などの大企業の工場があり、日系人はそのような工場や近隣の町(館林や太田など)のお弁当屋さんなどで働いています。日系人のほとんどは、1990年の入管法改正を機に日本にやってきて、リーマンショック、東北大震災を経験しながらも、日本で長期間住むことを決めた人々です。


日本にやってくる日系人は、日本人移民の子ども、孫の世代で、必ずしも日本語が流暢とはいえません。また、「血統的」に日本人であっても、ブラジル生まれ・育ちであるため、日本で住み始めた時のカルチャーショックは大きいのです。さらに、工場での重労働、日本人社会からの冷たい目、連れてきた子どもたちの教育など、日本で生活してみると多くの問題が発生します。そのような問題を解決する手助けをしているのが、今回学生と訪ねた際にインタビューさせて頂いた大泉日伯センターの創立者高野さんご夫妻です。高野さんご夫妻も、戦後ブラジルにわたり、1980年末に日本に戻ってきた元ブラジル移民です。1990年代、増加する日系人問題に心を痛め、日系ブラジル人子弟のための教育機関「日伯学園」(現在生徒数120名)も設立し、現在、センターは大泉ブラジルコミュニティと地元社会を結ぶ「架け橋」的存在となっています。

(大泉日伯ブラジルセンター、飯島撮影)



様々な問題を抱えている一方で、日系ブラジル人の日常生活の支えとなっているのが、ブラジルの商品を売るお店です。西小泉駅から5分ほど歩くと、ブラジルの食材や服飾品を売るお店が78軒ほど連なっています。私たちはいくつかのお店に入り、店員の方とお話をしたり、ポンデケージョ(ブラジル風チーズパン)を味見させてもらったりしました。ここでは、私たち日本人が「マイノリティ(少数派)」となり、日系ブラジル人が「マジョリティ(多数派)」となります。しかし、日系ブラジル人の人々は、私たち(マイノリティ)を温かく迎え入れ、積極的に話しかけてくれます。逆に、日本社会でマジョリティである日本人は、マイノリティの人々を同じように迎え入れているのだろうか、というような疑問がふと頭をよぎります。


今回の大泉の滞在時間は5時間ほどで、コミュニティを理解するには不十分です。しかし、この少しの滞在だけでも、五感を通じて、色々な情報を得ることができます。また、「マジョリティ」から「マイノリティ」への立場の転換は、私たちが日頃見過ごしてしまう社会的な問題を気づかせてくれますし、心がかよったコミュニケーションの大切さを教えてくれます。東京から約2時間半-是非リトルブラジルに足を運んで、日本のなかの移民コミュニティを体験してみてください。(飯島真里子)