日本語教育学コースJapanese Language Education Course

海外で教えるということ

海外に行くと、英語がどこでも通じる、と思う人が多いだろう。サラエボもこの例には漏れず、ほとんどの人たちは英語などを自由に操っている。一方で、日本語はどうだろうか。通じるはずがない、その通りである。日本語はサラエボの人たちにとってほとんど馴染みのないものであり、日本の文化などについても、インターネットで調べて出てくるようなものしか知られていない。サラエボの人々にとって日本は完全な異文化であり、同様に、我々にとってもサラエボは全くの異文化である。異なる文化に入り込み教えるという行為は、慣れ親しんだ日本国内で教えることとは全く異なる。それが海外で教えることの難しさでもあり、同時に魅力でもある。

まず、日本国内で教える場合との大きな違いは、教育者自身が外国語環境に身を置くことである。言葉も文化も違う国に赴くことを魅力的に感じる人もいれば、恐ろしく感じる人もいるだろう。しかし、これと同じようなことを日本にいる日本語学習者は日々行っている。日本で日本語を学ぶ学習者達は、自分が生まれ育ったのとは違う環境、いわば、コンフォートゾーンの外側で日々生活している。一歩外に出れば異文化、テレビをつければ異文化、そんな状況で日々フラストレーションを感じたり、達成感を覚えたり、自文化との違いにショックを受けたりしているのである。海外で教えるということは、教師でありながら学習者と同じ立場を経験するということでもある。

海外で教える上では、自分の常識を疑い、高い柔軟性で持って対応することが求められる。異国の地では予想だにしないトラブルが起こる。海外では常識や価値観が違うことなどわかっているつもりだったが、自分が日本での「当たり前」から脱却できていないことを痛感する出来事があった。その出来事はサラエボ大学の設備に関するものであった。近年はほとんどの国で、パソコンやWi-Fiなどの設備が整っており、サラエボ大学も例外ではなかった。教卓にはデスクトップが置かれ、大学のWi-Fiにもアクセスできる。そう聞いて意気揚々と授業に向けてスライド資料を準備した。ところが、実際に大学の教室を訪れ、私の想定が見当違いだったことに気が付くこととなった。教室のデスクトップを立ち上げると、懐かしい起動音と共に、薄い青の画面が映し出される。「Windows 7」。画面にはそう書かれていた。この目を疑った。何年ぶりにこの字面を見ただろうか。古いパソコンであってもさして問題はないはずだろうと思いつつもPower Pointを開くと、かなり古いバージョンのものであった。そのバージョンでは、話す内容をメモしておいたり、次のスライドが見えたりする便利な機能が使えなかったため、補足用のメモなしで授業に望むことになった。こうして出足をくじかれたわけだが、これは私が勝手に、大学のパソコンといえば最新かそれに近いものがあると思い込んでいたために起こったことである。この出来事を通して、いまだに自分が常識にとらわれてしまっていることに気が付いた。しかし、この内省的気づきこそが海外で教えるということの面白さなのではないだろうか。自分の常識は通用せず、臨機応変に対処していかなければならない。ホワイトボードマーカーが乾ききっていたり、クイズ大会ができるwebサービスを利用しようとしたらWi-Fiが弱くてサイトが落ちたりするが、それでもクラスを続ける必要があるのである。自分の暮らしが常識だと思っていては、海外での暮らしは成り立たない。こうして世界の広さを体験できるのは、海外で教えることの醍醐味だろう。私がサラエボでこれだけ驚いたということは、サラエボの人たちは日本語を勉強しながら、同じような驚きに直面しているはずだ。私たちの常識は彼らにとっては大きな衝撃に違いない。

言葉を学ぶことは、文化を学ぶことでもある。日本語学習者は、日本語を学びながら、日本の文化にも触れていく。私たちの当たり前は彼らの目には奇妙に映っているかもしれないし、日本語学習者も自分たちの常識が通用しないことに驚きつつも日本文化を理解しようとしているはずだ。教師が日本語学習者と同じような状況に身を置くことで、学習者が異文化に生き、異文化を学ぶ様を肌で感じることができる。学習者の気持ちを理解することで、学習者をサポートするには何ができるのかなどと思案を巡らせ、より良い教育者を目指すことができるはずだ。そうした思案の末、国内では見えないものが見えてくる。加えて、普遍的なもの―例えば、相手の文化を理解し尊重する姿勢―を学ぶこともできよう。将来、国内で教えるつもりであってもこのような体験は貴重な財産となる。コンフォートゾーンの外側には、誰かの視点が広がっている。そんな視点を体験することで、実践的かつ内省的な学びを得ることができるのである。
日本語教育者に興味を持っているみなさんには、是非おすすめしたい。