入学後、基礎ポルトガル語の授業で、先生から話を伺う度にブラジル人に興味を持ち、留学したいと思っていた。サンパウロ大学を志望したのは、中南米最高峰レベルであると言われていたから、もう一つは、父が駐在していて街の様子を知っていたからだ。
そして、夢が叶って、1年間の留学をすることができた。現地では、人文科学部に在籍し、主に社会学を学んでいた。上智では、ネイティブの先生が話す内容をいつも理解していたので、少し余裕に思っていたが、いざ受講してみると1回の授業で分かったことは何もないということばかりで、失望した。しかし、次々に発言する学生の姿をよく見ていると、意見を言うだけではなく、たくさん質問をしていた。私も真似してみようと思い、1コマ1回、とにかく挙手する目標を立てた。最初は心臓の音が自分の声より大きいのではないかと思うほど緊張したが、いつも自身を奮い立たせた。次第に、「AはできなくてもBならできる」と自分の力や状況を客観視し、失敗を恐れずにチャレンジするようになった。その後、私が何かにぶつかった時に、咄嗟に代替策をとれるようになったのは、この経験があったからだと思っている。
また、学校の他に思い入れがあるのは、50人のブラジル人と中南米の留学生と生活していたヘプブリカだ。少数派である私達の常識は通じず、文化の違いに頭を悩ませることも多くあったが同時に、物事を多面的に見る良い機会だった。中でも印象に残ったのは、時間の使い方である。私は昔から暇ができると不安になってしまう人で、ブラジルでもいつも忙しく過ごしていた。それを見ていた友達に「一瞬一瞬に愛をこめて生きるの。そうすれば明日も笑っていられるし、その次の日もきっとそう!」と言われ、彼らがいかに友人や時間を大切にしているかを感じた。確かに日本は、安全で清潔で便利。世界の中では優等生な国かもしれないけれど、ここにいるだけでは気づかなかった、「幸せ」の考え方を学んだ気がする。
ブラジルでの多くの人との出会いや経験から、私の人生の選択肢は幅広く、豊かなものになり、自分自身が変わっていくことに楽しさや嬉しさを感じるようになった。春から身を置く環境は大きく変わるが、私は等身大の私を大切に、自分の道を歩んでいきたい。それが、私を送り出してくれた日本と私を受け入れてくれたブラジルへの恩返しだと思っている。 2017年にサンパウロ大学に留学・廣瀬かおり