ブラジリアでの出会いと学び
木岡由希子
ブラジリア大学
“Yukiko! Saudades de você!”
今でもこのようなメッセージを受け取ると、首都ブラジリアで過ごした10ヶ月間を懐かしく鮮明に思い出します。からりと晴れ渡った広く青い空にどこまでも続く地平線。整然とした街並みの中にある近代的な様式美の建物とあちこちに咲き誇るIpêの花。そこで出会った大らかで優しい人達と過ごした時間は一生の宝物です。
よく「なぜサンパウロやリオじゃなくて、ブラジリアを選んだの?」と多くの方々に聞かれてきたのですが、いくつか理由があります。1つ目はブラジリア大学ではポルトガル語の他に興味のあった教育学、人類学などの幅広い分野の授業が受講できたこと、2つ目は他都市と比べると治安が良く、大学近くの学生寮を紹介してもらえて安心して住める環境だったこと、3つ目はブラジリア大学の日本語学科の授業に参加できたことが挙げられます。特に学生寮での生活と日本語学科の授業は、留学生活の中でも多くの時間を費やし、結果としてブラジルと日本、双方の国について理解を深めることに繋がりました。
今でこそ楽しい記憶を沢山思い出しますが、始めの3か月はあらゆることに悪戦苦闘し、ただただ生活するのに必死でした。慣れない1人暮らしに加え、ポルトガル語をうまく話そうとするあまり空回りしてしまい、時には寮内でからかわれ、些細なすれ違いからぶつかることもありました。授業では留学生がただ1人の中、ブラジル人の学生と同じ量の読み物や課題を渡され、休日をまるまる使ってひたすら読み続けても終わらないこともしばしば…。また、他の日本人留学生と一緒に住んでいたので、人と比べて自分のポルトガル語能力のなさに落ち込むことも多々ありました。
それでもなんとかやっていけたのは、必死になっている私の姿を見て、手を差し伸べてくれた人達がいたからです。めげずに会話を続け、一緒にいる時間を増やした結果、寮の友人達と仲を深め、休暇になると一緒に出掛けたり、実家に招いてもらえるようになりました。日本語学科の先生方や友人達は、悩んでいる私をいつも明るく励まし続けてくれました。困ったことがあるとすぐに助けてくれて、一番に相談に乗ってくれました。授業内ではブラジルと日本のことをお互いに教えあい、彼らの役に立つ機会が増えたことで、少しづつ自信を取り戻していきました。半年が過ぎた頃には肩の力が抜け、ポルトガル語が自然と出てくるようになり、心からブラジリアでの生活を楽しめるようになりました。
この留学生活で得たことは書ききれないほど沢山ありますが、現地での生活を通じてその国と母国を知る客観的な視点を持てたことが私にとって一番の収穫だったと考えています。それはブラジリアというブラジル各地や世界中から人が集まってくる環境で学べたこと、ブラジル人の友人達と共に暮らすことで、日々の小さなことから文化の違いに接することができたからだと思います。そして何よりもブラジルで出会い、素のままの私を受け入れてくれた人達と日本で待っていてくれた家族や友人の支えのお陰です。
私の経験談からブラジルやブラジリアに魅力を感じて、留学する人が続いてくれたらとても嬉しいです。少しでも興味があったら先生方の他にも私を含め留学を経験した先輩が相談に乗るので、気軽に声をかけてみてください!
帰国直前にサンパウロ州にある友人の実家の農場にお邪魔した時の1枚です。ブラジルでは休暇を田舎にある別宅でのんびり過ごす人が多く、私も農場や家の仕事を手伝わせてもらって貴重な経験ができました!