二都市での留学

田中 夢希

 私はちょうど半年ほど前まで、1年間フランスに留学していた。そのうち前半をナント(Nantes)、後半をレンヌ(Rennes)という街で過ごした。私の学科では、二つの異なる都市に留学する人は少ない。この二つの都市と、それを通じて学んだことについてお話ししていきたい。

 ナントとレンヌについて

 ナント(Nantes)
フランスで最も住みやすい街と呼ばれている。ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏の首府。フランスの西側中部に位置し、6番目の規模を誇る街である。30年前から経済の活性化、文化事業、とりわけ現代アートの振興を目指して大規模な都市計画が行われている。

 レンヌ(Rennes)
ブルターニュ地域圏の首府。ナントから車で1時間ほどの場所に位置し、10番目の規模の街である。14-16世紀以前の伝統的な木組みの家がいまだに存在し、歴史的景観を維持している。土曜日にはフランスで2番目に大きいマルシェ(朝市)も開催される。

 フランスの都市を地図で見ると、それぞれが孤立していることに気づく。過去の城下町の名残と、広い国土が要因だ。この二つの都市も車で1時間、大草原の中を走り抜けなければならない。かつてはこの距離が更に文化や人が交わりにくい要因にあったため、今でも都市ごとの特色が強い。

 この二つの街の特色を一言で表すなら、ナントは「挑戦と現代アートの街」、レンヌは「まさにフランスらしい街」である。

 
それぞれの街の色

 私は散歩が好きだ。歩いていると、小さなことから大きなことまで様々な発見がある。さて、ナントは「挑戦と現代アートの街」、レンヌは平穏な「まさにフランスらしい街」とはどういう意味か。
 ナントは都市政策の一環で、街中に現代アートをちりばめている。イル・ド・ナントにある動く象、月面モチーフのトランポリン、毎年夏になると広場に出現する巨大なアート作品、エルドル川のモニュメント…あげればきりがない。しかも、半年に一度ほど新しい作品と入れ変わるものも。街を見ていて変化が目まぐるしく、本当に飽きない。特に寮の目の前のロワール河には船が常に停泊していて、1~2か月ほどで船が入れ替わる。なんとスペインから来た海賊船が止まっていたこともある。

停泊中の海賊船

海賊船停泊中の風景

  また、イル・ド・ナントには鉄骨と植物で作られたへんてこなツリーがある。なんと、300メートルの人工ツリーを作ろうと計画して作った試作らしい。300メートル!!総工費はなんと数百億だという想定だそうだ!!なんと大それた計画だろうか。しかしそれを実行しようと挑戦するところが、この街の良さなのかもしれない。インフラや制度だけでなく、このような街を彩るアートと挑戦による日々の変化が生活を豊かにしてくれていた。

  一方、レンヌで散歩していて思うのは、「ここはまさにフランス」だということだ。伝統的な建物に石畳、白髪マダムたちがヒールを鳴らし優雅にお買い物をしている。街中でよく目につくのはマルシェ(朝市)、パティスリー、古着屋、手芸屋。私のイメージしていた通りのフランスが目の前にある!ナントとはまた違う良さがあった。

街並み

レンヌの街。1720 年の大火災で街はほぼ全焼し、城壁外にあった一部の家だけが今も残る。

 街頭風景だけではなく、レンヌは他の点もフランス的だ。ナントのような勢いのある変化はなく、時間そのものがゆっくりと流れているように感じる。プロジェクトへの取り組みも非常にスローペースだ。

 余談だが、私はレンヌで一番危ないといわれる通り「la rue de la soif(渇きの通り)」に住んでいた。通りの一階は全てバーとナイトクラブで形成され、週末は酒とたばこの臭いや客の騒ぎ声で溢れる。イメージとしては、ディズニー映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出てくる海賊街の酒場を思い出していただくといい。一種の街の名物スポットであった。私はその通りにある建物の屋根裏部屋に住んでいた。16世紀以前からの木組みの家だ。

昼間のrue de la soif。夜になると魑魅魍魎の巣窟になる。

昼間のla rue de la soif。夜になると荒くれ者の巣窟になる。

 2月のある日、レンヌ市長が私の部屋に訪ねてきた。私の部屋の正面にある建物にプロジェクションマッピングをする予定で、私の部屋から投影機設置の様子を写真に撮りたい、とのこと。また、1か月後には実行する予定だと話していた。歴史的建造物を傷つけず、景観も壊さない方法としてプロジェクションマッピングは生まれたのだろう。なるほどと感心し、私は家の正面にそれが投影される日を待ち焦がれていた。結局その日以降、投影機が働くことは一度もなく、私の願いは叶うことなく、私は4か月後の帰国日を迎えた。ああ、まさにフランス…。このように日本では体験できないことをより多く体験できたのは結局はレンヌだった。

 留学で得たもの

 私が都市を変えてよかったと思ったことは、同じフランスの、車で1時間しか変わらない街でもこれほど文化や雰囲気に違いがあることに気づけたことだ。旅行で他の街を訪れる時も、差異に敏感になり、楽しくなった。そしてそれらを通じて、私はどんな街に住みたいか、何を重要視する人間なのか、将来どんな風になりたいかと自分について考えるようにもなった。良いと思っていた部分と嫌いな側面との思わぬ因果関係が存在していることもある。また、フランスに留学してよかったと思うことといえば、貴重な友人を得たことだ。哲学の国の住人である彼らは、遠慮なく疑問をぶつけてくるし、それを議論するのが大好きだった。「なんで日本は自殺が多いの?」「なんでいじめが多いの?」「なんで日本人はそんなにフランスが好きなの?」いろんな質問が飛んでくる。既存のデータではなく、自分で考え、仮説を立て、確信につながるデータを集めて、議論する…そんなことを繰り返す日々は、非常に有意義なものだった。

「なぜ留学したの?」「留学で何を得たの?」留学経験者なら、嫌という程聞かれる質問だ。私が留学したかった理由は、率直に言うと早く一人暮らしがしたかったからである。授業中の居眠り常習犯である私は、語学へのモチベーションはあまりなかった。留学中に机に向かった時間もさほど多くはない。それでも、留学は私にとって有意義なものであったと自信を持って言える。

「選択よりも、選択した先で何をするかが大事。」

 これは留学前に高橋暁生先生から頂いたお言葉だ。留学中、悩み立ち止まる度にこの言葉を思い出していた。急遽都市を変えると決めて、それに見合う結果が残せるか不安だった12月もそうだ。やりたかったらとにかくやってみる。ダメならダメで、失敗から何かを学ぶ。ただ後悔はしないよう、全力で。この留学で、そんなポジティブで挑戦的な姿勢を身につけられたのではないかと思う。これからもそのスタンスを忘れずに、貫いていきたい。