リヨンとリヨン第3大学での様子
私は、大学の交換留学制度を利用して、10ヶ月間、フランスのリヨンにあるリヨン第3大学に留学した。それまで訪れたことのなかったリヨンを留学先に選んだのは、パリ、マルセイユに次ぎフランスで3番目に大きく、また、大学が多く集まる学生都市であること。そして、パリ、マルセイユまでは電車で2時間。さらに足を伸ばし、スイス・ジュネーブまでも電車で2時間、イタリア・トリノまでは車で4時間と、フランス国内やフランスの隣国へ移動する際のアクセスが非常に良いことが理由だった。また、国際政治や安全保障に関心があったため、リヨン第3大学でそうした授業が受けられるということが決め手となった。私が所属した法学部にはアジア出身の留学生は私1人しかおらず、留学生のほとんどがヨーロッパと南米の出身だった。また、リヨンはイタリアに近いことからか、大学には多くのイタリア人留学生がいた。
リヨンの魅力
10ヶ月間の留学生活を終え、リヨンを選んで良かったと感じたのは、リヨンが若者の多く集まるインターナショナルな街であるということだ。リヨンには世界のみならず、フランス各地から学生が集まる。パリ、マルセイユ、リール、ボルドー、トゥールーズなど、フランス全国から集まった学生たちは、リヨンの良さを“若者が楽しめる文化・芸術イベントが一年を通して開催されていること”と口を揃えて言っていた。確かに、留学中、大小の規模の違いはあっても、毎週なにかしらのイベントが街の各所で開催されている。私も、週末には友人たちとそうした場所によく足を運んでいた。リヨン特有のイベントで言えば、毎年開催される、映画祭「Festival Lumière」、 光の祭典「Fête des Lumières」、 夜の音楽フェスティバル「Nuits de Fourvière」などが挙げられる。さらに、美術館、オペラ、劇場、ジャズクラブなど音楽や芸術を楽しむ場所が数多くあり、文化・芸術に関心を持つ方は充実した留学生活を送れるだろう。
1948年から営業するジャズクラブ。毎週水曜日はプロやアマチュアのミュージシャンによるジャムセッションが行われる。
またインターナショナルという面では、リヨン滞在中は、まさに世界中から集まった留学生たちと交流を行った。フランス人やフランス語圏出身の友人とはフランス語で、そうでない場合は英語で会話し、フランス語と英語を半々の割合で使用し生活していた。両言語を使って留学生活を送れたことは、私にとって非常に有意義であった。また、私の友人たちは英語もフランス語も堪能で、彼らからは「どちらの言語も極めたい」というモチベーションをもらった。フランス語だけでなく、英語も使って留学生活を送りたいと考えている方には、そうした環境に身を置きやすいという点でもリヨンはおすすめの留学先だ。
初夏の夕方、Parc de Tête d’Or内のガゼボの下に設置されたピアノを子供が演奏していた。
ウクライナ人留学生との出会い
以下からは、そんなインターナショナルな街リヨンでの留学生活で、特別心に残った出会いについて紹介したい。それは、ウクライナ出身の若者たちとの出会いだ。私は、前述した通り国際政治や安全保障を勉強しており、ロシア・ウクライナ戦争が始まって以降、その動向にとりわけ関心を持っていた。そんな私がリヨンで出会ったのが、ロシアのウクライナ侵攻後に留学にやって来たというウクライナ人の若者たちだった。彼らのほとんどはフランス語を勉強したことも、フランスに来たこともなかったという。彼らの1人は、戦争勃発後、勤めていた仕事を辞めフランスへ留学にやって来たこと。そして、彼の兄が兵士としてロシアと戦っていることを私に教えてくれた。私が「ウクライナの人々がどれだけ大変な思いをしているのか想像してもしきれない」と伝えると、彼は「ウクライナで起きている惨状なんて誰にも想像もして欲しくないよ」と言った。その言葉には、ウクライナの人々が想像すらして欲しくないほどの悲惨な状況下に置かれているということと、ウクライナで起きているような痛ましい出来事を誰も想像しなくても済む、平和な世界であってほしいという彼の思いが現れていた気がする。私は留学中、リヨン第3大学で防衛政策の授業を履修していた。防衛力や軍事オペレーションについて扱うこのような授業で、戦争下の市民の存在がフォーカスされることはごく少ない。思い出してみれば、上智大学で履修していた国際政治や国際関係の授業でもそれは同様であった。そんな授業の中で扱われる「戦争」を、私は知らないうちに単なる国際情勢の出来事の一つとして捉えていた気がする。しかし、ウクライナ人学生たちとの会話を通して、人々から家族や友人、青春や夢を一瞬にして奪ってしまう戦争の悲惨さを改めて痛感した。彼らとの出会いは、安全保障や国際政治を学ぶ上で、戦争によって翻弄される人々の存在を忘れてはならないという大切な教訓を私に与えてくれた。
最後に
留学中は、難民問題に関心を持ちアムネスティインターナショナルで人権活動を行うドイツ人の学生や、将来、パレスチナ・イスラエル問題に携わるためアラビア語を学ぶイタリア人の学生と友人になった。世界のあらゆる問題に関心を持ち、実際に行動を起こしている彼女らにはたくさんの刺激をもらった。また、世界各国からリヨンに集まった友人たちとの交流を通して、彼らの出身国や世界で起きていることがより身近に感じられるようになった。彼らとの出会いは、私にとって一生の財産である。リヨンは、様々なバックグラウンドや夢を持つ同世代の若者たちに囲まれ、知識や視野を広げることのできる非常に魅力的な留学先だと思う。ぜひ、留学を考えている方には留学先の候補の一つとして検討してみてほしい。
女性に対する暴力撤廃の国際デーに合わせ、フェミニサイドに抗議する展示が市役所近くの広場に置かれた。