卒業生Blog:大学院への進学①

エクス・マルセイユ大学での犯罪史研究~予想外の博士課程進学~

永井亜実(2015年次生)

私は2019年3月に上智大学外国語学部フランス語学科を卒業し、同年9月にフランス政府奨学金留学生としてエクス・マルセイユ大学の修士課程史学研究科に進学しました。そして現在は同博士課程3年目で19世紀フランス犯罪史を研究しています。

◆フランス大学院留学
2019年9月に留学した時点では、2年間悔いなくやり切った後に日本で就職することに決めていました。語学力を向上させたい、海外で勉強してみたい、という憧れを1度かなえることができれば良い、と考えていたからです。

学部生時代ではなく、大学院に個人留学した理由は2つあります。少しでも時間とお金にゆとりを持ちたかったから、そしてより専門性を極めたかったからです。実際に、フランス語の学習、語学試験準備(大学院留学にはDALF試験のB2かC1が必要)、アルバイトと奨学金審査といった資金調達、研究したいテーマの深掘りなど、大学卒業までの期間全てを留学の準備にあてることで、万全の状態でフランスに来ることができたと思っています。
それから2年が経ち、絶対に縁のない道だと思っていた博士課程進学を決めた理由は驚くほどシンプルです。「19世紀のフランス犯罪史」という、フランス語学科3年生の時に初めて興味を持ち、修士課程でさらに発展させた研究テーマをとことん追求してみたくなったからです。

◆上智大学フランス語学科歴史学ゼミでの学び
当初の卒業論文のテーマとして選んでいたのは、現在とは全く異なる「フランス植民地のベトナム」でした。その文献探しのために大学図書館に行った際、19世紀のパリの暗黒小説(犯罪や貧困などいわゆる社会の「闇」を主題とする小説)について扱った本に偶然目が留まり、「これだ!」という直感なようなものを感じて急遽テーマを変更することしました。そして卒業論文の『フランス暗黒小説の誕生と流行』では、19世紀のパリにおいて小説や新聞を通して犯罪を娯楽として消費する大衆文化の誕生と犯罪の描かれ方(犯罪の種類、犯罪者の社会的地位、それに対する登場人物の反応等)を、産業革命による貧富の差の拡大、社会主義思想、近代ジャーナリズムといった視点から分析しました。

◆フランス語学科の強み
どの分野にも共通することですが、語学は授業さえ受けていれば自然と身に着くものではありません。特に初めて習う言語であれば、「復習」とひとえに言っても何から手を付けたらよいか、どれくらの時間をかけたら良いのか、分からないことも多いです。しかしフランス語学科時代を改めて振り返ると、綿密に組み立てられた授業プログラムと定期的な(しかも割と高頻度な)テストによって、勉強の計画が立てやすくなっていたと思います。期間は4年間と限られているので、1回1回の授業の目標設定と内容が明確で、先生方からのフィードバックもとても丁寧です。1・2年生の時は情報量に圧倒されながらついていくのに必死でした。授業、宿題、テスト勉強で余裕がない中で、本当に自分のフランス語力が伸びているのか疑問を持つことも多かったです。先生にMerciと言いたかったのになぜかThank youが出てしまうバイリンガル初心者あるある、何度繰り返しても暗記できないスペル、例外の多い文法、知らない単語とイディオムが多すぎて全然進まない翻訳など、毎日苦労は尽きませんでした。しかし、2年生の読解で予習として配布された文章を初めて辞書無しで理解できたときに、フランス語をやってきて良かったと感動したのを覚えています。その文章自体は短いものでしたが、自分は進歩しているのだとはっきり分かった、それまでで1番私のモチベーションを上げてくれた瞬間でした。

◆エクス・マルセイユ大学の強み
フランス語圏最大規模の大学と謳われるだけあり、エクス・マルセイユ大学では文系から理系までの幅広い学問領域が113もの研究機関によって網羅され、フランス国内外のネットワークも充実しています。図書館の蔵書とデータベースもとても豊富で、マイナーな本もそろっているため、これまで必要な資料が手に入らなかったことはありません。授業を担当する先生方も、常に生徒に寄り添ってくれている印象があります。修士1年目の1学期、フランス語のレベルが追いつかず各授業の先生に助けを求めたことがあります。その際授業のレジュメを作ってくれたり、課題図書のページを減らしてくれたりと、特別措置を取ってくれました。このように、フランス人学生だけでなく留学生にとっても勉強しやすい環境が整えられているからこそ、フランスに着いて半年でロックダウンという異常な事態の中でも課題と修士論文を進めることができたのだと思います。ただ、修士課程を終えるまでの授業や講演会がほぼ全てオンラインになってしまったことは今でも残念に思っています。対面であれば、グループディスカッションやプレゼンテーションの練習がもっとできたはずだったからです。現在は全てのプログラムが対面で行われているので、みなさんが留学する際にはフランス語学科で培った語学力を思い切り活かしてください。


街の中心にある本キャンパスからバスで20分の研究所内の図書館。本棚の間から見える中庭の景色がとても好きです。

◆修士課程のカリキュラムと研究内容
修士課程は論文執筆がメインであるため、授業数はあまり多くありません。2年目になると必修の授業は週に2回のみで、せっかくフランスの大学にいるのだからということで、他学科の授業もいくつか聴講していました。少し詳しく、カリキュラムを載せておきますね。

▶2019-2020
必修 : 週3回の研究手法論・学期ごと3回のゼミ出席・論文執筆と口頭試問
選択必修1:歴史人類学、表象史、植民地史、経済史、美術史、社会史、ジェンダー史から2つ
選択必修2:第2外国語

▶2020-2021
必修 :学期ごと3回のゼミ出席・論文執筆と口頭試問・2か月のインターンシップ
選択必修:歴史人類学、表象史、植民地史、経済史、美術史、社会史、ジェンダー史から2つ

評価方法は授業によりますが、学士課程では筆記試験と10分のプレゼンテーション修士課程ではWord文書3~5ページのブックレポートが主です。
修士論文は、文献・史料調査と指導教授との定期的な面談によって1年に1本完成させます。研究テーマを決めるのも指導してもらいたい教授にコンタクトを取るのも学生自身です。私の場合、日本での奨学金審査の書類に受け入れ大学と指導教官を明記する必要があったため、大学院に登録する1年半前には教授とメールのやり取りをしていました。

学士論文のテーマでもあった「19世紀パリの犯罪表象」を引き続き研究することに決めていて、修士論文での研究対象を実在した2人の死刑囚に絞りました。パリの国立古文書館に保管されている恩赦請求(死刑囚が減刑を求めて提出する書類)と当時の新聞から、犯罪者がいかにステレオタイプにあてはめられて描写されているかということについて分析しました。死刑囚のそれまでの人生、犯罪の動機、牢獄での最後の日々が新聞において小説のように語られ、死刑囚を恐れつつも悲壮なダークヒーローとして称える世論と、いかなる理由があろうとも犯罪は「野蛮な行為」として冷徹であろうとする司法権力、この二者の対照的な態度を比較することがこの研究の要でした。

2年間で最も印象深かったのは2020年の10月に参加した「復讐と怒りの歴史人類学」についてのセミナーでした。当時博士論文を終えたばかりのパリ大学のドクターの発表を聞き、自分もこんなに複雑で面白いテーマを研究してみたい、とこの時初めて博士課程を視野に入れました。


ロックダウン前日に慌てて図書館で借りた本。修士論文を書くにあたってお世話になりました。


2年目に研究したプルマン事件(1844) の記録。紙が薄いのに筆圧が濃くてとても読みづらかったです。本当に読ませる気はあったのかと書き手に問いたくなるようなものに何枚も遭遇します。

◆博士課程での研究生活
現在執筆中の論文のテーマは19世紀フランスの去勢罪です。「去勢」というと主にイタリアのカストラート、中国の宦官、性犯罪者への刑罰で知られています。しかし私の研究で扱っているのは、違法医療行為としての性器切断と、男女関係のもつれや隣人同士のトラブルといった個人の復讐を動機とする傷害事件です。2020年のセミナーに感化されていることが明らかですね。
博士課程に所属する人たちは「学生」と思われがちですが、正しくは研究をするために雇われる職員のような立ち位置です。登録は指導教授の許可さえあれば誰でもできますが、3年間お給料をもらうことのできる博士契約生になるにはコンクールに合格する必要があります。大学の夏休みや冬休みは関係なく、休みを取りたい場合は有休を申請する必要があります。テレワークが可能で、会議や学会がなければ家や図書館など各々好きな場所で研究を進め、調査のためにエクスを何日か離れることもあります。私は年に一度パリの国立古文書館、国立医学アカデミーと国立図書館へ行き、それ以外ではこれまで20以上の県立古文書館で去勢罪の裁判記録を探してきました。博士課程契約でもらえるお給料とは別に、研究所がフィールドワークの資金援助をしてくれるのでとても助かっています。博士論文のための史料調査は夏前に予定しているグルノーブルとシャンベリーが一旦最後になりそうです。来年は研究旅行が恋しくなるでしょう。
また、博士課程の醍醐味は自身の研究だけではありません。単独行動のイメージが強い博士ですが、同僚はもちろん、大学内外の研究者、教授やスタッフと関わる会議や学会への参加と企画をすることができます。たまにケータリングを頼んでのランチやティータイムも企画してくれます。

博士課程はプレッシャーと時間との戦いで、大変なことも多いです。それでもみんな自分の仕事に誇りを持っていて、後悔はしていないし、やめることも考えない。研究とは何とも不思議なパワーを持っているのだなと実感しています


1878年にマルセイユで起きた事件の裁判史料の中に入っていた、加害者女性が元恋人とその父親にあてた手紙。検察官の公式な書類だけでなく、このように事件の張本人たちの生の声を聞けることもしばしば。
パリの国立医学アカデミー。この階段を上っていくと。。。


アカデミーの図書室に着きます。特に18世紀以降の医学に関する史料が所蔵されています。それより古いものを閲覧するには、こことは別の国立図書館に行く必要があります。


他の研究グループと合同で開催されたポスターコンクール。課題は博士論文のテーマをポスターで紹介すること。横の2人も同じ研究グループに所属していて、それぞれ1位と2位を獲得していました。私は観客賞をいただきました。

ガレット・デ・ロワとブリオッシュ・デ・ロワを食べて新年をお祝いする公現祭(épiphanie)が研究所で開催されました。お菓子だけでなくシャンパンや生フルーツジュースも用意されていて、同僚たちと大はしゃぎでした。