今年、3年生の夏休み、多くの友人がフランス留学へ渡航する中、私はサークル活動で約2週間、カンボジアに滞在しました。
私 が所属している『CeeK』というサークルは「カンボジアに笑顔を築こう」という理念のもと、交流を通じた国際協力・教育支援の実現を目指す活動をしてい ます。具体的には国内で洋服や文房具、歯ブラシなどの物資を集め、現地の村にそれを提供するという、物資支援を通した交流を行っています。
このように私たちの活動は支援を目的とする活動ではあるものの、実際には逆に、私たちの方がカンボジアの人々から多くを学び、幸福を感じさせてもらっています。今回も、2年ぶりに訪れたカンボジアはまた少し私を成長させてくれました。
初 めてカンボジアを訪れた時からすぐに「貧しい子どもは可哀想」という先入観は消えましたが、2度目の今回も同じことを実感しました。というのも、私たちが 物資を運びプロジェクトをする村は決して豊かではなく、場合によってはその日暮らしも厳しいという環境です。しかし、村で出会う子どもたちは可哀想どころか、みんなが幸せそうに笑っています。言葉も通じない初対面の外国人である私たちにも無条件に向けてくれる無邪気な笑顔は本当に尊いものです。経済的には恵まれていても、様々なしがらみのせいで純粋な幸せを感じられない日本人のほうが「可哀想」なのかもしれないと思いました。幸せそうなのは子どもだけでは ありません。大人も「暮らしで何か大変なことはありますか?」と問いかけると、「大変なことはない、幸せです」と答えてくれるのです。日本の私たちは生活の豊かさに気づかず、どんどん贅沢になっているのではないかと改めて考えてしまいました。
私は2年前、その幸せそうな人々を見て、「幸せは生活の豊かさだけではない。無理な開発は必要ない」と学んだように感じました。今もその考えは変わりませんが、今年は、やはり目を背けてはならない貧困があることも事実だと気づかされました。
カンボジアには東南アジア最大といわれる湖、トンレサップ湖があります。そこには水上生活をしている人々がおり、今回、プレクトアール水上村にある家庭を訪問することができました。生活状況を尋ねると、魚を捕ることで生計を立てているものの魚を捕れない時は収入がほとんどなく、あっても1日の収入は5ドル程度ということでし た。住環境はすぐ下が湖であることも手伝って、一部は浸水し、クモなどの昆虫がたくさんいる状況で、私たち日本人には想像もできないような生活でした。
またカンボジアで観光客は、トゥクトゥクという乗り物をよく利用します。
私も何も考えずに利用していましたが、『戦争博物館』を訪れた際にたまたま 出会ったトゥクトゥクドライバーと話す機会がありました。彼は、「君たちは飛行機でカンボジアに来たの?自分たちの給料は月70ドル程度で家族を養わなく てはいけないから、飛行機に乗るなんて考えられない。うらやましい」と言い、また「トゥクトゥクドライバーは給料が安い上に、どんなに朝早くや夜遅くでも 観光客の要望に答えなければならないので、体力的にも厳しい」とも話してくれました。アンコールワットのある都市シェムリアップは観光が盛んで華やかな町で、貧しいというイメージはあまりありません。しかし彼の話を聞いて初めて、カンボジアでも華やかな観光の裏には貧困があることを知りました。私たちの活動においては、自ら足を運び、実際に自分の目で見る事に意味があると考えているため、来たこと自体を後悔はしませんでしたが、彼の話には心が痛みました。
この2つの経験は、貧困について改めて考える大切なきっかけになりました。今年も子どもたちの笑顔を見る幸せを得ましたし、村の人々の話を聞くと自分たちの暮らしを振り返り考えることになりました。先進国が途上国を開発・ 援助しようとすることは一方的にもたらす行為ではなく、先進国側の私たちこそ、そこで学ぶべきものが多々あると痛感しました。貧困生活を垣間みた2つの経験を書きましたが、「暮らしで大変なことはない。幸せです」と答えてくれたのは水上村で出会ったお母さんでしたし、トゥクトゥクドライバーは「娘のために 頑張れる」と家族写真を嬉しそうに見せてくれました。やはりカンボジアの人々の心の豊かさに、今後も私は学び続けることでしょう。