研究会・出張報告(2009年度)

   研究会

*セミナー「東南アジア・イスラーム研究の新しい展開へ向けて」
*南山大学アジア・太平洋研究センターとの共催
日時:2010年2月22日(月)~23日(火)
場所:南山大学名古屋キャンパスJ棟Pルーム

プログラム:
2月22日
司会:太田淳(中央研究院・台湾)
13:00-13:20 開会・趣旨説明 小林寧子
第一部 研究動向と展望
13:20-14:20 小林寧子「インドネシア・イスラーム研究:“二項対立の構図”を越えて」 →報告①
14:40-15:40 川島緑「フィリピンのムスリム、イスラーム研究:主要研究とそのパラダイム」 →報告②
15:40-16:40 服部美奈「東南アジア・イスラーム教育研究の展開と可能性」 →報告③
17:00-18:00 総合討論
コメント:青山亨

2月23日
第二部 研究発表
司会:服部美奈
9:30-10:30 光成歩(東京大学)「マレーシアの改宗係争からみる民事裁判所とイスラーム法」 →報告⑤
10:40-11:40 木下博子(京都大学)「現代インドネシアにおける中東留学経験者のもたらす影響:エジプト・アズハル大学出身イスラーム知識人の事例から」 →報告⑥
11:50-12:50 渡邉暁子(東洋大学)「フィリピン・マニラにおけるイスラーム改宗女性の連帯と活動」 →報告⑦
12:50 閉会の挨拶:川島緑

報告④:
コメント:青山亨
記録者:冨田暁(大阪大学大学院)
〈コメント〉
 青山氏から最初に、1980年代頃までの東南アジア研究の集大成の一つである『講座 東南アジア学』(全10巻+別巻1、弘文堂、1990-1992)の構成をもとに、その各論文の中でイスラームを扱った論考の数の少なさ、「伝統的世界観」や「ナショナリズム」といった当時の東南アジア研究の関心傾向を指摘し、それとは対照的な今日のイスラーム研究の興隆が述べられた。
 続いて、「ムスリム人口の割合による東南アジア諸国の類型」と「東南アジアのイスラーム化」の図表をもとに、各国におけるムスリム人口の割合がイスラームに対する問題関心とどの様な関係があるかが述べられ、各国の状況を考える際に、植民地期から国民国家形成期、さらには前近代にさかのぼって歴史を考えること、そのうえで、地域的な差異や状況を鑑みることの必要性が述べられた。
 最後に、各発表へのコメントとして、①イスラームの普遍性と地域の独自性の相剋という文脈のなかで、「インドネシア・マズハブ」は、インドネシア国内や他のイスラーム世界からどの様に考えられているのか。②教育学においては、学校制度内でのフォーマルな教育と制度外でのインフォーマルな教育の他に、中間形態としてのノンフォーマルな教育が想定されているが、東南アジアのムスリム教育・イスラーム教育において、それはどの様に取り扱われているのか。③東南アジアにおけるイスラーム復興の要因として、外部からの資金の流入を考える必要があることを考慮するなら、20世紀後半のグローバルな世界情勢・国際秩序が東南アジアのイスラームに影響を与えている事にもう少し注目する必要性があるのではないか。④東南アジアのイスラームにおける「近代性(モダニティー)」の問題を、単に西欧世界という外からの影響に対する対応・反応の問題としてとらえるだけではなく、東南アジアのムスリム自身がイスラームの中に「近代性」をどのように位置づけようとしているのかを考える必要があるのではないか。以上、4点の問いかけがあった。
〈発表者の応答および総合討論〉
 青山氏の問いかけに対し、発表者から以下の様な返答がなされた。小林氏からはまず、東南アジアのイスラームに関する一国主義的な研究の限界と東南アジア全体を描いた研究の欠如が述べられた。そして、インドネシアで独立後に唱道されるようになった「インドネシア・マズハブ(マズハブ・ナショナル、マズハブ・インドネシア)」は、当初は相続をめぐる問題でインドネシアの社会状況にあったイスラーム法が模索された。近年はジェンダー公正との関わりでこの用語は使われるようになった。興味深いことに、インドネシアではこのような問題に対して男性の論客も多く、そのような活動家を擁するNGOは特にアメリカの財団から外部資金を獲得している。ただし、今でも「インドネシア・マズハブ」を主張するムスリムは少数派である。他方、サウジマネーの流入はサラフィー主義のイスラームを醸成し、インドネシア・イスラームの表情を変えてきた。なお、ムスリムは改革派に限らずイスラームにモダニティ―があると考えているが、イスラームと多元主義の関係を考える際に、多元主義をどの様に捉えるかに差異があることも指摘された。川島氏からは、前近代に関しては、自身の専門が近現代であり前近代の史資料を直接扱っていないので、報告で扱うのは難しいが、歴史的に前近代にさかのぼって考察を行うことは重要であるとの回答があった。そして、外国からの資金流入と20世紀の世界情勢・国際秩序がフィリピンのイスラームに与えた影響は、フィリピンにおけるムスリム人口の相対的な少なさと、冷戦期フィリピンの反共政策の文脈において重要であること、また、現代の事例でも外国からの資金流入によってイスラームに影響を与える動きがあるが、ムスリムが実際にそれに対してどう反応していくかが重要であることが述べられた。そして「近代」を巡る問題に対しては、報告で触れたマフールのようにイスラームの中に「近代」を見出すという考え方が英語文献では主流となっている。しかしそのような考え方が現地の人々にどれほど影響を与えたのかということについては研究が殆どない。また、フィリピンのムスリムにとっての「近代」との出会いは、書物による知識を通じての観念的なものだけではなく、彼らがシンガポールやカイロで「体験」したこと、彼らが外の世界で感じた「後進性」、そして世俗主義や物質文明の進行に対する反応が、「新しい」ものを受け入れる際に重要であるとの回答があった。
 服部氏からはイスラーム教育においては元々ノンフォーマル教育が重要であり、現在のインドネシアにおいても、ダウワ運動などで様々なそうした教育が行われていること、外部資金の問題では、イスラームが「メジャー(マジョリティ)」である国がより「マイナー(マイノリティ)」である国に資金援助をしている状況が述べられた。そして、イスラームと「近代」は矛盾せず、「近代」を内包しているとの言説が20世紀からあること、そして、現在のインドネシアは「近代」とイスラームの関係の具体的なあり方に関して議論が積み重ねられている段階であるが、非アラビア語圏の課題としてアラビア語を母語としないムスリムがアラビア語のハディースやクルアーンをアラビア語圏の研究者と同じ水準で議論するためには、今以上の研究の蓄積が必要ではないかという考えが示された。
 続く総合討論では、まずは現代のインドネシアや東南アジアにおいて「都市化」、「工業化」、「合理化」という指標における「近代化」が進む中でのイスラーム、教育、「近代」の関係についての質問がフロアから出され、服部氏と小林氏から、「近代化」に対する対応は非常に多様であり一概には言えないが、女性の活動が活発になってきたことが今までにない動きであるとの回答が述べられた。続いて、発表者の三人に対して9.11事件とその事件がそれぞれの分野の研究状況に与えた影響とそれに対する考えを問う質問がなされた。小林氏からは、事件後に急進派に関する研究が増えたが、そうした研究の信頼性を図る際には、典拠を明確にしているか、歴史的考察に裏付けられた議論をしているかがポイントであることが述べられた。川島氏からは、事件後に関心が高まる中で、歴史的背景に関心を持たない、治安対策などの表面的な情報を求める傾向と平和構築に関する研究が同時に増えたが、そうした研究には規範的な傾向があり、それが現在の権力関係や富の配分を変えない現状維持に利用されてしまう場合があり、そこに問題があるのではないかとの回答がなされた。服部氏からは、調査を行う際に調査側が、プサントレンにおけるテキストや女性の状況を字義通りに、または自分たちの持つ固定観念から短絡的に解釈してしまう場合があり、調査される側がそうしたことに対して警戒心を持つことがあることが述べられ、調査を行う側はテキストが実際にどう解釈され教えられているか、女性達が自身の状況をどの様に捉えているかといった、当事者側の視点による考察が重要であることが述べられた。
 発表者とフロアの間では自身の研究や事例に基づいた議論が活発に行われ、イスラームと「近代」を巡る問題から、今後の研究展望に至るまで示唆に富む議論となった。
 (冨田暁)