上智大学イスラーム地域研究所、京都大学ケナン・リファーイー・スーフィズム研究センター主催
オンデマンド講演会
ムスリムにみるつながりの風景:
部族、街区、タリーカ、インターネット
(Sophia Open Research Weeks 2025企画)
オンライン公開 2025年11月10日(月)~12月1日(月)
質問と回答
- 赤堀雅幸(上智大学総合グローバル学部教授、イスラーム地域研究所員)「変わりゆく部族のありよう:エジプトのベドウィンを事例に」
- 阿部優子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程)「エジプトの近隣社会『ハーラ』:住まいと暮らしをともにする人びとのつながり」
- 丸山大介(防衛大学校人文社会科学群教授)「友とともに、師とともに、神とともに:現代のタリーカ(スーフィー教団)における絆とネットワーク」
- 内山智絵(上智大学イスラーム地域研究所特別研究員)「SNS上に表れる(あるいは表れない)それぞれの宗教性:セネガルのムスリムのケースから」
Q01: [講演1への質問]少しむずかしかったですが、興味深く聞きました。講義の中で民族について英語ではnationとethnic groupの2つの表現が使われていたように思いますが、2つの違いは何でしょうか。[11月11日投函]
A: お問い合わせありがとうございます。なるべく簡潔に申し上げれば、古くから使われているのがnationという概念で、19世紀にはこの概念は一つの民族が一つの国家を形成するという国民国家(nation state)概念と強く結びついて使われるようになりました。このためそのような国家を作ろうとする運動をnationalism(民族主義、ナショナリズム)と呼びつつ、nationは「民族」と「国民」のどちらにも訳せる語になりました。これに対して、民族が必ずしも国家に結びつくわけではないという考えから、かつてnationと呼ばれた集団もtribeと呼ばれた集団も含めて、今日、何からの形で「民族性(ethnicity)」を認めることのできる集団を、等しくethnic groupと呼び、「民族」、「民族集団」、「エスニック集団」、「エスニック・グループ」などと日本語では読んでいます。もちろん、「民族性」とは何かという問題がそう単純ではないので、今なお「民族」とは何かという問題は議論の尽きないところであることには留意する必要があります。[回答者:講演担当者、赤堀雅幸]
Q02: [講演4への質問]何だかあまりにも思っていたムスリムのイメージと違いすぎでどう受け止めていいのか迷いましたw。でも最後までお聞きすると敬虔で自由というふうにも思えます。逆に日本人の宗教性が堅苦しいというような考え方もできるのでしょうか。[11月17日投函]
A: ご質問ありがとうございます。
まさに、一般に厳格なものというイメージを持たれているイスラームの違った側面をお見せしたかったので、嬉しく思います。
個人的には、日本人の宗教性が堅苦しいというより、一般に日本の宗教は表向き、人々の生活の中でも特定のエリアだけに居場所を限定されているのがイスラームとの大きな違いだと考えています。
例えば日本の仏教は、一部では「葬式仏教」と揶揄されるほどで(もちろんそうなったのには歴史的な背景がありますが)、特に現代では、多くの人々の日常生活の中で大きな存在感を発揮しているとはいいがたいと思います。「宗教」というと何か怪しげな、自分とは関係のないものであると咄嗟に考える人も多いでしょう。
他方、セネガルのムスリムの感覚では、1日5回の礼拝や年中行事によって1日の、あるいは1年間の生活のリズムもイスラームによって規定される部分が大きいでしょう。
さらに、人々の日常生活の中での言動や立ち居振る舞いにかかわる道徳的な価値観も多分にイスラームによって支えられていると思います。
イスラームはよく「聖」と「俗」を区別しない宗教だといわれます。
そのため人々の日常生活(多くの日本人が「俗」と考える部分)の中にも宗教が無理なく溶け込み、若者によるSNS上の楽しげな投稿と深い信仰心も矛盾することはありません。
以前セネガルの友人に、日本人は一般にそれほど信心深くないと説明したところ、それなのになぜ皆人を殺したりものを盗んだりしないのか?と心底不思議そうな顔をされました。
それでも我々の多くはそうしないだけの最低限の道徳心を持ち合わせているものですが、中には日本人のこういった道徳心が宗教の代わりになっていると考える人もいれば、こうした倫理観の根底には実は宗教的価値観が根付いているという言い方をする人もいます。
また、日本人はクリスチャンではなくてもクリスマスやバレンタインを年中行事として楽しむ人が多いですし、自分ではそれほど信心深いつもりはなくても、初詣の際などは結構熱心に神仏にお願いごとをしてしまうという人も多いでしょう。
さきほど日本の宗教の役割は「表向き」限定的と書きましたが、実際は目に見えにくい形で宗教的な要素が人々の生活の中に埋め込まれている部分もあると考えられます。
そういう意味では、日本人の宗教観には独特の柔軟さや自由さが備わっているように思われます。[回答者:講演担当者、内山智絵]
Q03: [講演1への質問]中東の遊牧民が父方に何代も祖先をたどるというのはわかったのですが、母方の親族は彼らにとってまったく重要ではないのでしょうか。感覚的にはありえない気がします。[11月17日投函]
A: お訊ねありがとうございます。もちろん母を通して血が繋がっているということにも意味はあり、母方父方問わず血が繋がっている人々を親戚として扱う考え方もあります。しかし、遊牧民を始めとして、部族への帰属を重視する中東の人々は血統(出自)と血縁は別のものと捉えており、血縁は父からも母からも繋がるが、血統は父からしか引き継がないと考えています。他方、アラブ系の遊牧民は父方のオジの子供など、同じ部族に属する人との結婚を好む傾向がかなり広範に見られ、これによって母方の親族も同じ部族の人間で、パートナーとは出自によって血統を共有し、また父方、母方双方を通じて血が繋がっているということも起こります。[回答者:講演担当者、赤堀雅幸]
Q04: [講演4への質問]イスラームのイメージが中東のものという感じだったので、とても興味深く拝聴しました。それで疑問に思ったのは、セネガルではSNSやインターネットの普及以前にはイスラームの知識はどう分け合われていたのでしょうか。大きな質問すぎましたら、概要だけでも教えていただけると幸いです。[11月24日投函]
A: ご質問ありがとうございます。イスラームの正しい知識を得ることはムスリムとしてよく生きるために非常に重要なことなので、一般にイスラームは学びをたいへん重んじる宗教です。そのため現代的なメディアの発達以前から、ムスリム社会には(もちろん中東以外でも)主に子ども向けのクルアーン学校に始まるイスラームの教育システムが必ずといっていいほど存在します。クルアーンの暗唱を終え、初歩的なアラビア語やイスラームの決まりごとを身に着けた後、イスラーム法やクルアーン解釈、さらに高度なアラビア語などを専門的に勉強したい人は、近隣で先生が見つからなければ師を求めて各地を旅するのも近代以前は一般的でした。こうした学びのネットワークを通じてサブサハラ・アフリカ各地にも中東やマグレブの有名な教科書が普及し、数百年が経った現代のイスラーム教育機関でも引き続き使われています。ちなみに、クルアーン学校(寺子屋のようなイメージのものです)はセネガルには今でも至るところに存在し、毎日通ってくる子もいれば、普段は一般の学校に通い、放課後や夏休みを利用して勉強しに来る子もいます。セネガルでは、最近はクルアーン学校が正規の教育機関として整備され、フランス語(公用語)や算数といった世俗の科目を学べるようになっているケースも多いです。[回答者:講演担当者、内山智絵]
Q05: [講演2への質問]ラマダーン・テーブルというのは最近始まったと言うことですが、貧者のために食事を提供するのはイスラームの伝統で、ラマダーンを始めとしていろいろな機会によく行われると学生時代に授業で教わったのですが、それとラマダーン・テーブルはどう違うのでしょうか。[11月24日投函]
A: ご質問いただきありがとうございます。
ご指摘いただいた通り、貧者への食事提供はイスラームの慈善のひとつのあり方として古くから行われてきましたし、現代でもラマダーン月以外にも行われています。また、街区のようなコミュニティ内部の住民同士が自分たちが住む建物の前の道にテーブルを出して一緒に食事を行うといった、慈善の性格だけでなく、共同体での共食の性格が強く表れるような実践もあります。一方で、道路や広場にテーブルをいくつも並べ、盛大に食事を提供するような慈善行為が著しく高まりを見せるのがラマダーン月です。
伝統的に行われていた慈善は、ラマダーン月の食事提供を含め、同じ街区に住まう比較的裕福な住民たちが、彼らの隣人で暮らしぶりをよく知る貧者に対して行うといったように、より身近な人びとによって担われていたのが一般的でした。講演でも触れたように、従来の街区では経済階層による地区ごとの棲み分けが緩やかであったため、救貧や慈善行為も街区での相互扶助の一環として行われていたということができるでしょう。
その後、街区が歴史的に徐々に変容を遂げる中で、社会全体の中での相互扶助や慈善の形も変わっていくことになります。現代のラマダーン・テーブルは、その一例で、特に公道や大通りに出されるテーブルでは不特定多数の人がその対象となっています。さらにラマダーン・テーブルを催すには、当局への申請と認可が必須となっており、こうした実践が公的な管理の対象となっている点も現代の特徴であると思います。
このように貧者に食事を提供するという行為自体は歴史的に連綿と続いてきていますが、それを取り巻く担い手や社会背景の変化により、質的な変化が訪れていると理解することができます。[回答者:講演担当者、阿部優子]
Q06: [講演4への質問]セネガルの若者たちが熱心に宗教活動を行っていることに感心しました。イスラム教のお祈りはアラビア語で捧げると聞いたことがありますが、全員がアラビア語に達者ではないでしょうし、若者らしく、この恋を叶えて欲しいなどといったお祈りを自国の言語で行ったりするのでしょうか?大学合格祈願のお祈りはあるようですが、あまり俗っぽいお祈りはそもそもしないものでしょうか?[11月25日投函]
A: ご質問ありがとうございます。おっしゃるとおり、ムスリムが1日に5回行う礼拝では「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」という文句をはじめ、アラビア語で決まった形式のとおりに唱える必要があります。しかし礼拝以外の個人的な神への祈願はその限りではありません。動画内では大学合格のための祈願をアラビア語で何と唱えたらいいかを教えるインフルエンサーの例を紹介しましたが、実際はアラビア語でなくても、このような定型文でなくても大丈夫です。また、内容も、イスラームの教えに反するものや、人を傷つけたりするものでなければ何でもよいそうなので、商売繁盛、病気平癒、あるいは恋愛成就など、皆いろいろと個人的なことをアッラーにお願いしていることでしょう。セネガルでは、これから長距離を移動する人の道中の安全や、これから始まる会合の成功などを、居合わせた人々がアラビア語の文句を唱えられる人を中心に祈願しているところをよく見かけました。なお、祈願についてはQ09への回答もご参照ください。[回答者:講演担当者、内山智絵]
Q07: [講演1への質問]細かいかもしれませんが、アラビア語を学んでいるので気になりました。息子たちや子孫たちを意味する用語にアウラードとバヌーがあるようですが、二つはまったく同じように使えるのでしょうか。それとも意味に違いはあるのでしょうか。[11月24日投函]
A: バヌーとアウラードと、どちらもその後に始祖の名前が来ることで部族名になるのは一般的ですが(バヌー・スライム、アウラード・アリー)、他方ではスィングルを祖先とする部族の名前がサナグラとなるというように、アラビア語の特徴ともいえる同じ子音の並びに対して母音の付け方を変えて部族名にする例もたくさんあります。
バヌーとアウラードに限って、どちらがより一般的に使われるかといえば、全般的にはバヌーの方が多いと見受けられます。他方、農村などで2~4世代くらい昔の祖先の子孫たちからなる、より小規模な集団はアウラード・誰それを名乗ることが多いです。バヌーはわりと大規模な集団に使う印象でしょうか。
同様に、有名な旅行会社トマス・クック&サンズ(トマス・クックと息子たち)と同様の会社名はアラビア語でもよくみますが、それらも比較的小さな集団なので、アウラードを使うことが多いです(たとえば、アブドゥルカーディル・ワ・アウラードフ、アブドゥルカーディルと彼の息子たち)。
なお、単語としての一般的な用法の別としては、バヌーとその単数形であるイブンは誰かの息子という血縁関係を指すのに対して、アウラードとその単数形であるワラドは同じように「息子」という意味で使うこともありますが、血縁などに関係なく、「少年」という意味で使うことも一般的であることは指摘できるでしょう。これは日本語で「オジ」が「叔父」と「伯父」の場合には親族を指すのに対して、「小父」は年配男性を指すにすぎないことを思い浮かべれば理解できるでしょう。[回答者:講演担当者、赤堀雅幸]
Q08: [講演4への質問]私は大学の「アフリカ×文化人類学」のような授業で「部族」という言葉は使わない方がいいという説明をざっくり受けたことがあり、また、私の個人的な言葉遣いの好みという面でも「部族」という言葉をあまり使いません。芸能人を含めアフリカに関するポジティブな発信をしている人でも、「この国には〇〇もの部族がいるんです!!」という言葉遣いをしているのを見ると、ここでいう「部族」とはどのようなニュアンスなのかな?とモヤモヤしてしまいます。内山さんが今回のタイトルにもあるこの言葉をどのように考えられているか、お聞かせいただければと思いました。また、セネガルでいうウォロフ、プラール、セレールなどの「民族」について発言したいとき、「部族」「民族」など、どのような表現をするのがいいのか、ご意見をお聞かせいただけますと幸いです。[12月1日投函]
A: 「部族」という言葉について、ご質問ありがとうございます。
今回のオンデマンド講演会では赤堀雅幸先生がエジプトのベドウィンの部族についてお話しされており、本企画のタイトルにある「部族」はそこから来ています。このベドウィンの文脈での「部族」が指すのは、共通の祖先まで具体的に出自を辿れる社会集団です。他方、アフリカについてもよく「部族(あるいは「~族」)」という言葉が使われますが、多くの場合それが指すものはこのような具体的な出自集団でなく、セネガルでいえばウォロフ、セレール、ジョラといった、言語や文化は共有しているけれど共通の祖先の存在がはっきりしているわけではない、より大規模な民族集団であると思います。このように、大前提としてアラブやベドウィンの文脈でいう「部族」が指すものはアフリカ研究などのそれとは異なります。私もアフリカ研究の文脈では「部族」という言葉は基本的に使わない方がよいと思いますが、中東研究ではその限りではありません。
赤堀先生のご講演でも、人類学などの歴史上、現在では等しく「民族集団(ethnic group)」と位置づけられる諸集団が、西洋人などの外部者が文明化していると判断したものについては「~人(英語でいうとnation)」、「未開」であると判断したものについては「~族(同じくtribe)」と分類されてきた経緯についてお話されています。また、沓掛沙弥香(2018)「ことばが映し出す世界観と象徴的暴力 : 『部族』という表現を問う」(『未来共生学』第5号)という論文では、スカンジナビア半島に多い「サーミ」、ナイジェリア南西部の多数派である「ヨルバ」、スペインで分離独立闘争を展開してきたことで知られる「バスク」、ウガンダの国名のもとにもなった「ガンダ」の4民族のうち、途上国に暮らす「ヨルバ」と「ガンダ」については、ヨーロッパに住む「サーミ」「バスク」に比べ、新聞紙上で「部族」「~族」という表現が使われることが明らかに多いことが示されています。つまり、こういった表現には「未開」「遅れている」というイメージがつきまとっており、その差別性こそがこの言葉の持つ最大の問題といえるでしょう。
「部族」「~族」といった表現を何と言い換えるのがよいかといえば「民族」などでしょうか。こちらもなんとなく途上国に結び付けて使われがちな傾向はありますが、日本の人口の大部分を占める人々を指して「大和民族」とも言いますし、本来ニュートラルな言葉です。なお、私は自分が書く論文などでは、(「日本人」とか「ペルー人」のようなナショナリティの話ではなく、民族名を指していると読者が了解していて文脈上混乱が生じないという前提で)例えば「ウォロフ人」「セレール人」という表現を使うことが多いです。そこはもちろんお好みで「ウォロフ民族」でもよいし、「ウォロフの人々」、あるいは単に「ウォロフ」でもよいと思います。
アフリカなどの文脈で「部族」「~族」という言葉はもう使わない方がよいというのは、多くの人にとってまだ一般常識にはなっていないと思います。これまで当たり前に使ってきた言葉なのに面倒だとか、悪意をもって使っているわけではないのに言葉狩りのようで窮屈だと感じる人ももちろんいるでしょう。しかし他者の尊厳にかかわる部分であり、また文脈次第ではセンシティブにもなりうるので、研究者としてはその辺はきちんとしたいと思いながらやっております。
[回答者:講演担当者、内山智絵]
Q09: [講演3への質問]たいへんに勉強になりました。基本的な質問すぎて呆れられるかもしれませんが、祈願は礼拝とはまったく別の行為なのでしょうか。そうであるように聞いていて思いましたが、両者の関係がよくわかりません。[11月24日投函]
A: ご質問ありがとうございます。おっしゃるとおり、礼拝と祈願は異なる行為です。
前者の礼拝はサラートといい、イスラーム教徒であれば実践すべき5つの行い(五行:信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)のひとつです。この礼拝は、夜明け前、日中、夕方、日没、夜の計5回実践することが義務づけられています。私たちが映像などでよく目にする、マッカ(メッカ)の方角を向いて額を床につけるお祈りは、こちらにあたります。
一方、祈願(ドゥアー)は、時間や形式、回数などが定められている礼拝と異なり、個人が自由に行う祈りです。祈願は礼拝の直後に続けて行われることも多いですが、基本的には礼拝とは別個の行為です。そのため、いつ何時行ってもよく、個人で行うだけでなく、今回紹介したタリーカのように集団で祈願する場合もございます。
「イスラームのお祈り」と聞いて真っ先に思い浮かべがちなのは前者の礼拝(サラート)ですが、祈願(ドゥアー)の方は私たちが通常寺社仏閣で行うような、家内安全や病気治癒を願うお祈りに近い実践と考えていただければイメージが湧きやすいかもしれません(なお、お祈りにつきましてはQ06の回答も合わせてご覧下さい)。
なお、預言者ムハンマドの言行録であるハディースには、「あなた方のうちの誰でも、祈るときは願い事をはっきりと表し、『神様、もしお望みならば、お与え下さい』などと言わないように。アッラーははっきり表すことを咎められないから」(『ハディース-イスラーム伝承集成』下巻、牧野信也訳)というムハンマドの言葉が記録されています。祈願(ドゥアー)は願いを叶えたい人びとの心情が表れる行為ですので、その意味で人間味あふれる実践と言えます。[回答者:講演担当者、丸山大介]
Q10: [講演3への質問]イスラム教やアラブ世界が男性中心であると漠然とした認識があり、アフリカでも変わらないのだろうと考えています。スーダンのタリーカには女性がいないわけではないそうですが、一般的に女性や子供の信者はどのように礼拝するのでしょうか?ズィクルのどの映像も荘厳で圧倒される感じですが、男性ばかりなのにも圧倒されました。最初のカーディリー教団のズィクルでは後方で女性が手を挙げたり、拍子をとったりする様子が見られましたが、女性や子供は夫や父親の礼拝について行って、別に礼拝するのでしょうか? また、サンマーニー教団がズィクルをやっている場所が美しいなと思いましたが、こちらはこの教団しか使わない場所なのでしょうか?[11月25日投函]
A: 【女性と子供の礼拝について】
モスクでは男性の礼拝区画と女性の礼拝区画が分かれているのが一般的ですので、男女は別々に礼拝します。イードと呼ばれる犠牲祭や断食明けの祭りの際には屋外で礼拝をすることがございますが、この場合も男女が同じ列に並ぶことはなく、少し離れた場所で別々に礼拝をするケースが一般的です。どちらの場合もマイクを通じて音声は聞こえますので、基本的には男性のイマーム(礼拝の先導役)の所作や発言に合わせて礼拝を行います。子どもは同性の親に付いていくことが多い印象です。ただ、はじめからきちんと礼拝をするというよりも、モスクにただ付いていく、親の横でモスクの中で走り回ったり、見よう見まねで礼拝をしたりする光景がよく見られます。子どもたちはモスクの雰囲気に慣れながら、徐々に礼拝の所作や意味を身に付けていくようです。
ズィクルに関しては原則的に男性のみが行う実践ですので、女性はズィクルの輪に加わることはありません。お気づきの通り、女性は後ろで手拍子を打ったり、声を上げたり、太鼓のリズムに合わせて身体を動かしたりすることで(間接的に)ズィクルに参加しています。
【映像を撮影した場所について】
サンマーニー教団がズィクルを行っていた場所は常設ではなく、年に1度の祭りに合わせて用意された広場の一角です。ご覧頂いた映像は、毎年イスラーム暦の3月に行われる預言者生誕祭(マウリド)の際のものです。マウリドの時期になりますと、スーダンの首都ハルツームの対岸にございますオムドゥルマンのハリーファ広場には30から40ものタリーカが集まります。タリーカがテントを張る区画は広場内でそれぞれ決まっており、各タリーカは決められた場所で日没頃からズィクルをしたり、預言者讃歌を歌ったりします(各タリーカは毎年ほぼ同じ場所にテントを張る傾向にあります)。ご覧頂いた映像はちょうど夕刻に撮影をしており、西に沈む太陽の色合いがズィクルの荘厳な雰囲気と相まって美しさを際立たせているようです。[回答者:講演担当者、丸山大介]
Q11: [講演1への質問]父系出自を辿る部族の成り立ちということですが、女性はどのような形で部族に属することになるのでしょうか。結婚して部族が変わることもあるということでしょうか。女性の名前はどのように表記されるのでしょうか。[11月30日投函]
A: ご質問ありがとうございます。中東やイスラームに関わる人類学にかかわらず、概説的な文章では事例で紹介される場合の主体が男性であることが多いので、ご質問はとても大切なポイントを突いています。時間がある場合には私も主語が女性である場合を紹介するように努めており、それで部族というシステムの理解がより深まることが確実です。
女性の場合も血統(出自)が父系であることに変わりはないので、彼女は父の部族に属し、そこから父へ父へと系譜をたどることになります。アブドゥナースィル・ハーリド・ハミード・サーリフ・……の姉妹にファーティマがいますが、彼女の名乗りはファーティマ・ハーリド・ハーミド・サーリフ・……、つまり本人の名前、父の名前、父方祖父の名前、その父の名前と続いて構成されます。
血統(出自)は変更不可能なので、結婚して夫と一緒に暮らすようになっても、彼女の所属する部族は変わりません。同じ部族の男性と結婚することも頻繁なので、変わりようもないことも多いですが、別の部族の男性と結婚した場合でも彼女の部族帰属は元のままです。その場合、彼女は部族の土地に寄留して暮らす別の部族の人間と言うことになりますが、結婚によって嫁いできた女性に限らず、そのようにして寄留している別部族の人間は実はたくさんいるので、とくにそのことが特別視されることはありません。むしろ、そうした寄留者たちは、平生はあたかも寄留先の部族の一因であるかのように振る舞い、扱われ、しかし、何らかの形で本来、その人が属している部族との関係が問題になったりしたときには、寄留先の部族と本来その人が属している部族の間の関係を取り持ったりする重要な役割を果たしたりもします。部族という集団からしてみれば、彼らは外交チャンネルを確保していくれる重要な媒介者ということもできます。実際、関係がうまくいっている複数の部族は前の代にその部族間で女性をやりとりしたので、次の世代でも同じようにやりとりするといういわゆる縁組(婚姻同盟)のようなこともよく行います。[回答者:講演担当者、赤堀雅幸]





