講演会

上智大学イスラーム地域研究所・京都大学ケナン・リファーイー・スーフィズム研究センター主催 オンデマンド連続講演会
イスラームにおける聖性の継承:
預言者、聖者の血統と聖遺物

(Sophia Open Research Weeks 2023企画)
オンライン公開 2023年11月13日(月)/20日(月)~12月3日(日)

質問と回答

  1. 森本一夫(東京大学東洋文化研究所教授)「世界に広がる預言者ムハンマドの一族」
  2. 新井和広(慶應義塾大学商学部教授)「インドネシアにおける預言者ムハンマドの一族:高貴な血統を持つ生身の人間」
  3. 三沢伸生(東洋大学社会学部教授)「オスマン帝国とイスラームの聖遺物」
  4. 小牧幸代(高崎経済大学地域政策学部教授)「南アジア・イスラーム世界と聖遺物信仰」

Q01: [講演1への質問]初めて知ることが多く、たいへんに勉強になりました。ありがとうございました。ムハンマドには男系の子孫がいないとのこと、その点からムハンマドの子孫はいないのだというような見解は、ムスリムの間にはないのでしょうか。[11月15日投函]

A: お話を聞いて下さり、またご質問を下さり、ありがとうございます。まず申し上げないといけないのは、今回のお話は、ムハンマド一族に対するプラスの意味での特別視が宗派の枠をこえて相当に広まるにいたったある時期(お話のなかでは10~15世紀と申し上げておりました)以降の状況を主として念頭に置いていたということです。そこにいたるまでの過程では、一体誰がムハンマド一族に当たるのかという問題をめぐって、アリーの一族以外の人々も含んだ色々な勢力による綱引きがかなり激しい形でありました。その中で、まさに仰るように、娘を通じた直系など直系ではないのだという主張がなされることがありました
 ただ、アリーの子孫(ファーティマ以外の女性からの子供の子孫も含む)は、ファーティマを通じた直系の血統を主張しなかったとしてもムハンマドにとっては父方のおじの子孫ということになります。それは、ムハンマド一族としての立場を主張して対立したライバルのうちでも最も重要であったアッバース家(アッバース朝の王家)と同等の立場であり、父方をたどるかぎり、それよりムハンマドに近い立場というものはありえませんでした。その意味で、やはりアリーの子孫というのは、ムハンマド一族を称するに当たって強い優位性を持っていたということができます。ファーティマを通じた直系の主張は、ある意味、アッバース家とのライバル関係のなかで強調されるようになったものと言うこともできます。[回答者:講演担当者、森本一夫]

Q02: [講演2への質問]ジャカルタで暮らしていたことがあるのに、ハドラミー知りませんでした。そんなにたくさんいるのでしょうか。それとも数は少ないけれど、インドネシア人だったらハドラミーという人たちがいることは当たり前に知られているのでしょうか。預言者に関係なくてすいません。あっ、もちろん興味深く拝聴しました。[11月16日投函]

A: インドネシアにアラブ系がいることは結構知られています。政治家や大臣、それから宗教学者で有名な人にアラブが混じっているからです。ハドラマウトに関する書籍も少数ながら書店に並んでいます。
 ジャカルタですとチョンデット Condet 地区とタナ・アバン Tanah Abang 地区にアラブがたくさん住んでいて、店の名前を見るとハドラマウトの地名や家族名がついていたりするので見る人が見ればすぐに分かります。しかし華人と比べてアラブはインドネシアの人々との混血が進んでいますので外見からアラブを見分けるのは少し難しいです。アラブだとすぐに分かる人もいれば、ジャワ人と見分けがつかない人もいます。[回答者:講演担当者、新井和広]

Q03: [講演2への質問]東南アジアからたくさんの学生がイエメンに留学していると知って驚きました。彼らの留学費用は誰が負担しているのでしょうか。家族でしょうか。それとも充実した奨学金がインドネシア側あるいはイエメン側であるなどするのでしょうか。預言者一族に直接関係のない質問ですいません。[11月21日投函]

A: ハドラマウトへの留学の場合、送り出し側のインドネシアにコーディネーターが複数いて(やはりハドラミーです)、アラブの実業家が出資する奨学金を出していることもあります。もちろん自費で行く人も相当数いると思いますが数は把握できていません。
 いずれにしても優秀な人はエジプトやサウジアラビアに留学すると思いますのでハドラマウトへの留学はマイナーだと思います。[回答者:講演担当者、新井和広]

Q04: [講演4への質問]イスラームにも聖遺物という考え方があるとは知らず、大きな関心をもって見させていただきました。以前にキリスト教の聖遺物に関する本を読んだことがありますが、聖者の遺骨が多い印象があります。しかし、今回のお話しではあまり遺骨は出てきませんでした。イスラームでは遺骨を聖遺物にすることはないのでしょうか。[11月23日投函]

A: イスラームの聖遺物信仰に関心をもってご視聴いただき、ありがとうございます。私がこれまでに調査研究をしてきた範囲では、預言者や聖者の遺骨を聖遺物として信仰している現場に出くわしたことはありません。たった1つだけ、預言者の教友のものだとされる「抜けた歯」というのはありました。さて、キリスト教(カトリック)と違って、イスラームではなぜ遺骨を聖遺物としないのか。幾つか理由はあると思いますが、そのうちのひとつは、おそらく、ムスリムが死後、できるだけ早く埋葬することを、イスラーム法で義務づけられていることと関係していると思われます。また、死者は最後の審判の際にアッラーの前で生前の行いを裁かれたのち、天国または地獄に行くことが決まるのですが、そのときに土の中から起き上がって、アッラーの前に立たなくてはなりません。以上の理由から、キリスト教(カトリック)の聖遺物信仰のように聖者の遺体を切り刻んで多数の教会・修道院や信徒が遺骨を分有し、信仰の対象とすることができないのだと思われます。[回答者:講演担当者、小牧幸代]

Q05: [講演3への質問]恩賜行列で届けられる御物はメッカで聖遺物になるのでしょうか。また恩賜行列に参加するのは役人とか軍人なのでしょうか。とてもおもしろい行事だと思いました。講演ありが等ございました。[11月26日投函]

A: ご質問有難うございます。どんな宗教でも華々しい「行列」というものが尊重されますね。日本の神道、京都の八坂神社の祭礼である「祇園祭」もとても華々しいものです。恩賜行列の場合、時代の政治的最高権力者の威厳を示す行為でもあり、極めて豪勢でした。行列に加わるのは、宗教関係者・役人の選ばれた者、そして護衛・群衆整理にあたる軍人です。地方の為政者も行列を迎えるために人員を配して万全の出迎え体制をとっていました。寄贈される御物は、高価な金品であったもので、メッカの関係者へ配られる贈り物もありますが、御物は預言者ムハンマド時代の聖遺物と同様に聖なる物として扱われました。お見せしたスライドにあったように御物を収めた天幕がイスタンブルに持ち帰られてトプカプ宮殿で宝物とされたようにです。ただ、ワッハーブ運動に際してメッカが襲撃された際にこうした宝物がおのおのどう扱われたのかを今回は調べることができませんでした。将来の調査課題とさせていただきます。[回答者:講演担当者、三沢伸生]

Q06: [講演4への質問]とても勉強になりました。イスラームの聖遺物についての授業があるので最高の事前学習になりました。聖遺物のレプリカを大切に扱わなくてはならないというのも気持ち的にはよくわかるのですが、大切に扱わないと呪われるみたいな、聖遺物が呪物になるみたいなこともあるのでしょうか。[11月26日投函]

A: 大学の講義の有意義な事前学習になったとのことで、大変嬉しいです。ご質問に対する回答は、まず「呪い」という言葉を考えることから出発します。日本語では、神が人間に災厄を及ぼすことを「祟り」と言います。神以外の存在、つまり人間や動物による災厄は「呪い」と呼ばれます。このような使い分けがイスラーム世界にもあるのかどうか、歴史的・地理的な背景も踏まえて精査しないことには分かりません。しかし、聖遺物が放つ恩寵バラカは神に起源するものですので、ご質問は「祟り」に関すると理解します。さて、イスラーム的な世界観に神の祟りが存在するのでしょうか。イスラームを含む一神教において、神は全知全能です。ムスリムが「神の怒り」と怖れるような災厄は、六信の「定命」(神が予め定めた運命)と解釈されることもあるでしょう。もしかしたら、何らかの悪行の報いと理解する人もいるかもしれません。しかし、聖遺物が放射するバラカ(神の恩寵)が、不幸や不運をもたらしたという言説は、これまでに見聞したことがありません。バラカという言葉は、肯定的な意味でしか用いられないのです。ですので、レプリカの聖遺物を粗末に扱ったとしても、気づいたときに改めれば、罰はくだらないと思われます(でも、もしかしたら、「警告」はあるかもしれません。かつて、私は、北インドのシーア派の聖地を参詣した際、驚喜して、聖地に「挨拶」をせずにバシバシ写真を撮りまくりました。後日、写真屋さんにフィルムを現像に出したところ、現像を失敗されてしまいました。しかも、失敗されたのは、その聖地に関係する箇所ばかりでした。現像屋さんからは深く謝罪され、新しいフィルムを手渡されました。そうして、私はその聖地に再度参詣し、今度は「挨拶」をして写真撮影に臨んだのでした)。ということで、前置きが長くなりましたが、ここから回答です。レプリカの聖遺物だけでなく、預言者や神の名前、さらにクルアーンの章句が書かれた印刷物の全てにも当てはまることですが、それらの「聖なるモノ」を意識的に粗末に扱うという発想が、イスラーム世界的には、そもそもないように感じます。ですので、前例なし=回答不可というのが、本心です。ムスリムなら、決してそのようなことはしないからです。ただし、聖遺物が放射するバラカによって生じた「変化」を、普通に考えれば幸福・幸運であるにも関わらず、不幸・不運と捉えるケースもあります。それは、講演動画でも言及したサルマン・ラシュディの「預言者の髪の毛」『東と西』(平凡社)に描写されている通りです。何を幸福・不幸と考えるのか、それはその人次第なのです。追伸:大学の講義でも、この件、先生に質問してみてください。[回答者:講演担当者、小牧幸代]

Q07: [講演1への質問]大変興味深く拝見いたしました。非常に世俗的な質問で申し訳ありません。聖者廟前の物乞いなどは、緑の帽子を被っている者と被っていない者で身入りが違いそうですが、この帽子は売買できたりするのでしょうか。また婚姻の際に有利になると想像する血統証明書も同様に入手できるのでしょうか。教えていただけると幸いです。[11月28日投函]

A: 拙い話を聴いていただき、ありがとうございました。私の話の一つのミソは「聖」なるものと「俗」なるものの連続性、両者が表裏一体の関係であることでもありますので、ご質問はポイントを見事に突いたものであると思います。
 緑の帽子やショールは明らかに市販品です(売られているのを見たことも何度もあります)。そして、それを買うのに何らかの権威を伴った証明が必要である、というようなレベルでの統制が行われているようには思われません。買い手に対して売り手が「あなたはムハンマド一族のメンバーなのか(=これを被る資格があるのか)」と質問するとか、ムハンマド一族として知られているわけではない人が近所のお店でそうした品を買っていると近所の噂になってしまうとか(=噂になるのが怖くてなかなか買えるものではないとか)、そうした、草の根レベル、コミュニティ・レベルでの圧というものが存在する、ということであろうと思います。
 血統を証明する文書が売り買いされているのは間違いありません。あそこの何々という系譜学者が書いた証明は危ない、あるいはどこそこのかくかくしかじかという機関のものは信用ならない、というような言葉は、よくインターネット上でも見られます。また、権力者が大金を積んで、というような話も散見されます。[回答者:講演担当者、森本一夫]

Q08: [講演1への質問]上智に通ってる先輩から教えてもらって拝見しました。イエスやブッダと違って子孫がいるというだけでも驚きでした。ムハンマドの血を引いた孫が二人いて、どちらの子孫かという区別は大切なのでしょうか。見た目などで区別できるのでしょうか。思いつきみたいな質問ですいません。[11月28日投函]

A: ご質問ありがとうございます。新鮮な知的刺激を少しでも味わっていただけたようならば幸いです。さて、アリーとファーティマの二人の息子、ハサンとフサインそれぞれの子孫の間の区別についてのご質問なわけですが、以下、箇条書きで答えさせて下さい。

  1. お話のなかで触れた、シーア派の聖職者の黒ターバンや、イランその他での緑帽子などについては、ハサンの子孫とフサインの子孫の間に区別はない。
  2. シーア派最大の分派である十二イマーム派(イラン、イラク、レバノン、南アジアなどに分布)について言えば、ハサンが2代目イマームであったのを除くと、残りの11人のイマームのうちアリー(初代)とフサイン(3代目)を除いた9人は全てフサインの子孫のある特定の系統の人々である。したがって、同派の人々の間では、ハサンの子孫よりもフサインの子孫の方が格が高いと見なす傾向が見受けられる。
  3. モロッコの場合、最初に同地に定着してイドリース朝という王朝を築いた人々がハサンの子孫であった。後に、このイドリース朝がモロッコというまとまりを作った大本であると観念さ れるようになったことなどもあり、この国ではハサンの子孫の方が主流となっている(ハサンの子孫の方がフサインの子孫より「格上」と考えられていると言えるかどうかまでは私の知識と知恵が及びません)。
  4. ということで、大きくまとめるならば、ハサンの子孫とフサインの子孫は同格ということになっているが、宗派や地域などによって両者の関係の理解にはニュアンスがありうる、ということになるであろう。
以上でお答えになっていれば幸いです。[回答者:講演担当者、森本一夫]

Q09: [講演3への質問]近代以降、聖遺物が博物館に収蔵されるようになりましたが、そのような場所に収蔵され鑑賞されるよりも実践的に用いられるべきだ、つまり、第4講演のインドの事例のように、聖遺物を通して一般民衆に神の恩恵を広めるべきだといったの声はみられないのでしょうか。[11月29日投函]

A: ご質問有難うございます。どんな宗教でも個々人の間には意見の相違は存在します。今回、最後のほうで御紹介したワッハーブ運動は厳格に偶像崇拝の禁止を訴えて、19世紀初頭に占拠したメディナにおいて預言者ムハンマドの墓を破壊するなど、物品の崇拝を厳しく戒めていました。このように聖遺物に関する考えは個々人で必ずしも一様ではないでしょう。しかし現在のトルコでは紹介したイスタンブルのエユップの廟には熱心な参詣者が絶えませんし、トプカプ宮殿の聖遺物は多くの外国人観光客の無関心さと対照的に多くのイスラーム教徒が熱心に見学しています。またスライドに示したように現在のエルドアン大統領は宗教政党AK党の党首でもありますが、特権的に聖遺物の櫃を自らあけるという栄誉に浴しましたが、それは政治的宣伝のためではありません。このように現在のトルコでは聖遺物を布教に用いるということはみられず、「有難く」拝むということが圧倒的に多いです。また聖遺物を拝むという行為はイスラーム教に限らずキリスト教や仏教にもみられます。[回答者:講演担当者、三沢伸生]

Q10: [講演2への質問]預言者の末裔が組織を作っているというのがともておもしろいと思いましたが、国を超えるような組織もあるのでしょうか。「世界サイイド連盟」みたいな。あと、スワヒリ地方にもハドラミーは多いと大学の授業で聞いたのですが、そこでも今回のお話しと似たような状況が見られるのでしょうか。[11月29日投函]

A: 預言者一族の組織はさまざまな場所にあります.実質的に全世界をカバーしている組織はありませんが、ジャカルタのアラウィー連盟はシンガポールやマレーシア(さらにはブルネイやフィリピン南部)あたりまでの血統は把握していると思います。そのような意味ではたとえインドネシアで設立された組織であっても国境はあまり意識せずに活動していると言えます。
 スワヒリのハドラミーについてはあまり知りませんが、やはり預言者一族は宗教的な面で活躍しているようです。特にアラウィーヤというタリーカはインドネシアでもスワヒリでも見られます。[回答者:講演担当者、新井和広]

Q11: [講演1および2への質問]今回の講演ではムスリム諸社会でムハンマドの系譜の一族が尊重され特別視されているというお話がありましたが、ムスリム諸社会以外の社会(日本など)では一族の人々はどのように存在し、また彼らがどう感じているのか気になります。[12月3日投函]

A: 今回のお話で、私が「ムスリム(諸)社会」と呼んだのは、ムスリムによって構成され、それゆえ多かれ少なかれ彼らそれぞれのイスラーム理解がそのあり方に影響を与えている社会のことと考えていただければと思います。したがって、日本にも、日本の小さなムスリム社会があるということになります。そこでのムハンマド一族の立場や役割には日本という環境に応じた特殊性があるに違いないと思いますが、同時にそれは、私がお話のなかでお示ししたさまざまな要素(考慮すべき「定数」と「変数」)を組み合わせて読み解いていけば解けるようなものなのではないかと思います。
 なお、現に日本にもムハンマド一族の血統を称す方々はいらっしゃいますし、その中には日本の国籍を持つ方も当然いらっしゃいます。そうした方々が、日本社会における生き方を模索していく上で、ムハンマド一族の血統を称すわけではない方々と何か違った動きを示すかどうか、それについては残念ながらお答えする準備がありません。
 もう一つ補足させて下さい。中東のレバノンはムスリムだけでなくさまざまな宗派のキリスト教徒など、多くの宗教・宗派に属す人びとが隣り合わせで暮らしているのを一つの特徴とする国ですが、そのレバノンにはムハンマドの直系子孫を称しながらキリスト教徒であるという方々がいます。そうした立場の一族に属す方とお話ししたことがありますが、元々はムスリムであったご先祖がキリスト教に改宗したという話でした。そういうことも当然あり得るという例として参考になさって下さい。。[回答者:講演1担当者、森本一夫。講演2担当者、新井和広の了解を得ています]


*本講演会は、JSPS科研費 JP19H00564、JP21KK0001、JP22H00034 および日本私立 学校振興・共済事業団学術研究振興資金の助成を受けた研究の成果です。

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