みなさん、こんにちは。
学科教員の矢澤です。
今年度、サバティカル(研究休暇)をいただき、いま調査研究のためアフリカに来ています。
7年前にやはりサバティカルをいただいてアフリカに来ているとき、この教員ブログに2本ほど現地紹介の投稿をさせてもらいました。
今回も滞在した2カ国について簡単にご紹介したいと思います。
最近も、留学中のゼミの学生がカボベルデに行ったり、学科の卒業生が就職先の企業でアフリカ担当の部署に配属されたり、これからアフリカに行ってみたいという学科の学生がいたりと、アフリカとの関わりのニュースが学科生、卒業生のあいだからもちらほら聞こえてきているので、少しでも刺激になればと思います。
まずは、先々週まで2週間ほど滞在していたアンゴラから。
私にとっては、旧ポルトガル領アフリカ諸国5カ国のなかで、最後まで足を運べていなかった「宿題」の国でしたが、その理由の1つであったビザが昨年から(日本国籍者は)免除になったため、これを機に訪れることにしたわけです。
アンゴラはアフリカ有数の資源大国(石油、ダイヤモンド等)ということもあり、首都ルアンダも以下の写真にみるように高層ビルが建ち並び、遠目からはアフリカらしからぬ街並みにみえます。ですが、ひとたび街を歩いてみれば、その富はけっして人びとに等しく分配されているわけでなく、貧富の差が顕著であることにすぐに気づかされます。
首都の面する湾の奥には、かつてポルトガル人が建てたサン・ミゲル要塞があります。現在は国立軍事史博物館として一般に公開されています。建造物自体はかなり規模の大きなものです。内部には、アンゴラがかつて経験した植民地支配からの武装解放闘争や独立後の軍の歴史に関する写真、説明文、武器、車両などが展示されています。それにくわえ、ポルトガル人航海者や植民地総督の像も複数展示されています。これらは、植民地時代には街の広場や公園に立っていたということですが、博物館の学芸員に聞くと、独立直後にそうした植民地支配を象徴するような像に対し乱暴狼藉をはたらく向きもあったことから、要塞内に移されたとのこと。近年も、BLM運動と共鳴していくことになったRhodes Must Fallのような運動も起こっているので、そのようなことがあったことは想像にかたくありません。しかし、それを踏まえるなら、後編で紹介するモザンビーク島のヴァスコ・ダ・ガマの事例は興味深いです。
今回のアンゴラでの調査の一番の目的は、公文書館や図書館で植民地支配下だった20世紀前半のアフリカ人が発行した新聞紙面を複写して入手することだったのですが、滞在のもう半分は首都以外にあるアンゴラ史に関わる場所や博物館を訪れ、話を聞くことにあてました。地方に訪れてもっとも印象深かったのが、ひとつの国のなかにもかかわらず場所によって大きく異なる地勢でした。首都ルアンダは沿岸部にありますが、アンゴラの国土は内陸に向かうにつれ高地となっていきます。ルアンダの南500kmほどでしょうか、港湾都市のベンゲラから内陸のウアンボ(植民地時代はNova Lisboa、すなわち新リスボンと呼ばれていました。)に向かいました。標高1700mあまりのこの街は、人口でいうとアンゴラ第三の都市ですが、街の表情はルアンダとはまるで違います。高層ビルがたくさんあるわけではありませんが、緑豊かでこぎれいな印象です。高地であることは知っていましたが、実際に来てみるとこうも雰囲気が違うのかと実感します。ウアンボからは同じ高地のルバンゴを経由して、ふたたび沿岸部のナミベに向かいました。高地から海沿いの低地へと下っていくつづら折りの道と崖壁の絶景は観光名所にもなっています。たまたまですが、NHKのグレートネイチャーという番組で5月末に「アフリカ ナミブ砂漠に水の奇観!」という回を放送していましたが、そこでアンゴラ高原のことがとりあげられていました。観た方もいるのではないでしょうか。
ルアンダから南に800kmほどの沿岸部に位置するナミベは、植民地時代の昔、モサメデスと呼ばれ、当時はポルトガルからの植民者も多く入った町です。このあたりになると、ほぼ砂漠といった感じです。これより南、隣国ナミビアにかけてナミブ砂漠が広がります。寒流(ベンゲラ海流)の影響とのことですが、気温もいまの季節(7月上旬)だと朝夕は10℃ちかくまで下がったりもします。ずっと薄曇りで、コートを着ている人も珍しくありません。後編で紹介する、緯度のほぼ変わらないインド洋側のモザンビーク島と比べると、とても対照的です。
ところで、アンゴラは私のもうひとつの研究のフィールドであるブラジルと歴史的に深いつながりがあります。大西洋奴隷貿易において、ブラジルにもっとも多くの奴隷が運ばれてきたのは、アンゴラから現在のコンゴ民主共和国にかけての地域からだったとされています。首都ルアンダの南方の郊外には、国立奴隷制博物館があります。ブラジルでも奴隷に関する博物館等は訪れたことがありますが、送り出した側のアンゴラでどのような展示がなされているか興味がありました。残念ながら展示は期待していたほどの内容ではありませんでしたが、送り出した側の資料というのはどうしても受け入れ側ほど多くないというのはやむをえないところです。
最後にアンゴラの郷土料理をひとつご紹介しましょう。
写真は中央が牛モツとオクラの煮込み、右と左がつけあわせで、それぞれフンシとフェイジョンです。フンシはキャッサバやトウモロコシを粉にして水をくわえて練ったもの。現地の主食です。フェイジョンはブラジルでもおなじみの豆ですが、ブラジルではあまり黄色いものはみかけません。アンゴラでは黒いものもありますが、黄色いものもポピュラーだそうです。
続いては在外調査研究の後半2週間のモザンビーク編です。