私は、2023年8月から2024年6月までの約1年間、フランスのストラスブール大学にて交換留学をしました。
私がストラスブールを選んだ理由は、高校生の頃に遡ります。毎週、世界遺産の映像を見る地理の授業があり、その際に初めてストラスブールの地を知りました。大きなカテドラルやコロンバージュ(木組み)の家々、人々が自転車に乗って街を走り回る様子やお友達同士が国境を越えて対面する姿を見て、ストラスブールの街が頭から離れなくなりました。そしてそこから漠然と「いつかストラスブールに留学に行ってみたい」という気持ちが芽生えました。以下では、ストラスブールとその周辺地域について、また私の留学中の学びについてご紹介したいと思います。
1. ストラスブールとそれぞれが個性的なアルザス地方、ドイツの都市
ストラスブールは、ヴォージュ山脈とシュヴァルツヴァルトの山々に囲まれるフランス北東部、アルザス地方にあります。ドイツとの国境付近にあるため、アルザス語と呼ばれるドイツ語に近い言語を話す人々もいます。歴史的に、戦争などの理由から、何度もドイツとフランスへ国が変化しました。このような背景から現在、ストラスブールは平和の象徴である「ヨーロッパの首都」として欧州評議会も設置されています。冬には「クリスマスの首都」と呼ばれるほどきらきらとしたクリスマスマーケットが街全体で開かれます。
ドイツの街、ケールへの買い物
ストラスブールの中心部からドイツのケールという地域へはトラムで約20分で行けます。私は週に1回、トラム(路面電車)に乗ってケールまで買い物に行っていました。たったの20分のことなのに、ライン川を渡った瞬間、そこは異なる言語の世界です。基本的にはドイツ語が話されていますが、フランス語も通じます。私も、ドイツ語の簡単な表現 “Hallo(こんにちは)”や “mit Karte bitte(カードでお願いします)”などの表現を使ってスーパーで買い物をしていました。隣接する街ですが、国が違うと物価も売っている商品も変わります。中でもフランスと大きな違いを感じたのはドラッグストアです。ドイツのドラッグストアは日本のお店と似ていて、親近感がありました。日常生活の中で、フランスとドイツのお店を比較するのはとても楽しく、毎回新しいものを見つけるたびにワクワクしていました。
アルザス地方とドイツの森林へのpetit voyage
クリスマスのイベントを通して偶然お友達になったフランス人マダムにアルザス地方そしてドイツのpetit voyage(小旅行)に何度も連れて行っていただきました。彼女は、ストラスブールに40年ほど住み、毎週ハイキングをする、いわゆるアルザス地方のスペシャリストです。アルザス地方の小さな町、「セレスタ」では、人文学図書館を訪問しました。人文学が、この小さな街でBeatus Rhenanusという人物によって生まれたということを知り、とても胸が躍りました。また、ストラスブールの近くにあるドイツの「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」では、ハイキングをしました。昔はアルザス地方一帯が海であったこと、地殻変動などによりアルザス地方は二つの山脈に囲まれる縦状に連なる土地になったという地形の変化の歴史も教えていただき、自然の力強さを感じました。それぞれの街が異なった歴史や特色を持っており、非常に楽しい時間を過ごすことができました。
2.留学中の学び
大学の授業
私は、ストラスブール大学の社会科学部(Faculté des sciences sociales)の1年生と2年生の授業、また日本語学科の授業や留学生用フランス語の授業を中心に受けていました。内容としては、ジェンダーや移民社会学、社会学基礎、日本語→フランス語への翻訳を、講義形式や少人数授業を通して学びました。私の関心のある 「移民・難民」のテーマについては“Migration et interculturalité(移民と異文化) “という授業や、 “Sociologie des migrations(移民社会学)”の授業を通して学びました。 前者の授業では、移民について社会学的観点(主に、移民が移動する一般的な要因について)から、人口統計学的観点(データを用いてどの国からの移民が何故多いのか、フランスやアルザス地方の移民について等)から、人類学的観点(実際の人類学者がフィールドで調査した結果について)から3人の先生方が輪講形式で授業を行ってくださいました。人々が移動する理由について、机上で学ぶ移動要因をすべてのケースに当てはめられるわけではなく、またそれぞれの事象において表面上だけでない隠された事実もあるため、文化人類学者の方々のフィールドワークが研究の根幹を担っていることを学ぶことができました。また、「日本は前向きな移民政策を取っていないにも関わらず、外国人の受け入れ数が世界的にもかなり多いため異質である」というお話があり、世界的に見ても日本が実質上は、移民大国になりつつあるのだと実感しました。日本を俯瞰してみると興味深い点が沢山見えてくることが改めてわかりました。
フランスと日本の授業の違い
フランスと日本の授業で異なると感じた点は学生の「質問力」です。もちろん、日本においても質問する学生は見られますが、フランスでは、何か一つでも「わからない」と思った瞬間に学生が手をあげ始めます。先生方もあげられた手に応えるように、すぐに質問を聴き、答えます。ほとんどの日本の学生の場合、先生に答えていただいたら、「ありがとうございます」で終わると思いますが、フランスの学生はそこでまた新たにあがった質問や、わからない部分は、徹底的に理解できるまで先生に問い続けます。このようにして学生と先生の間に会話のキャッチボールが生まれ、何分も時間が過ぎていくのです。また、フランスではレジュメやパワポがない授業が多かったため、学生はパソコンやノートに必死にメモを取っていました。この点は私もかなり苦労した点です。テストの際にも、授業で学んだことだけでなくプラスで、本の内容や自分が持つ知識を記述することが求められるため、色々な情報のインプットが必要でした。学生たちは書籍やニュースを通して日常的に知識を蓄積しており、私自身も大変刺激を受けました。
フランス語の学習
ストラスブール大学にはTandem制度(学生同士がそれぞれの言語を教え合う制度)があったため、何人かの学生とペアを組んでいました。例えば、学生Aさんとは週1で必ず会い、フランス語のWritingやSpeakingを教えてもらいました。小論文の正しい書き方やSpeaking力を上げるには何が必要かを的確にアドバイスしてくれたため、それをもとに練習を繰り返しました。また、前述したマダムとも毎週カフェでフランス語と日本語の言語交換を行っていました。1つのTopic、例えば、ヴィーガンやベジタリアンについての意見を考え発表し、追加で表現や知識を教えていただくという形式で行っていました。私自身、ヴィーガンやベジタリアンという単語を知っていても、その単語の厳密な定義やそれが生まれた歴史的背景などは知らなかったので、自分自身の知識を蓄える大変良い機会となりました。フランス語の練習を通して、フランス人の大切にする考え方を垣間見た瞬間もありました。Tandemの学生であるBさんと話をしていた際に、環境問題の話になりました。彼女は、日本に1年間留学したことがあるのですが、私が「フランスの家や大学はエアコンがなくて暑いね。」と言ったところ、Bさんは「日本はエアコンがあって涼しいけど、それは地球温暖化に大きく繋がるよね。だから私はエアコンが嫌いなんだ。」と言っていました。「エアコンをあまり設置しない」などといった日本とは異なる部分には、必ずその奥に深い考えや意図があり、そのような考え方が、各国・各地域の個性に繋がっていっているのだと感じました。「フランス語を学ぶ」ということを通して、フランス文化や人々の考え方にも触れることができました。
3.終わりに
ずっと憧れていたストラスブールで過ごせた1年間は、私にとって夢のような時間でした。ストラスブールという地域を愛する人々、日常生活のほんの小さな場面でも優しく接してくれる人々など、沢山の素敵な人に巡り合うことができました。そして自分自身の中で「常識」だと思っていた考え方を良い意味で変えることができました。このブログを読んでいる皆様も「ドイツとフランスの国境」という2つの文化が混ざり合うストラスブールへの留学を、ぜひ検討してみてください!