外国で、外国語を使って学習すること

大橋 貴子

 私はフランス西部、アンジェ市にあるアンジェ西カトリック大学教育学部で、2018 年9月から交換留学生として勉強しています。今年の5月末まで滞在の予定です。ここでは、自分の挫折とそこからの再起を中心に、私のフランス留学生活をご紹介したいと思います。

アンジェ城。重厚な中世建築の城に、イリュミネーションはあまり似合わない。

アンジェ城。重厚な中世建築の城に、イリュミネーションはあまり似合わない。

 異文化・異言語の中で学んで生活する留学においては多かれ少なかれ誰もが困難に直面するものです。 私の場合は留学以前には自分のフランス語力と学習全般の能力に自信を持っていただけに余計に、フランスでの学習の中で壁にぶつかるたびに絶望していました。挫折のことをお話しする前に、留学前と留学中の状況の落差をよりよく感じ取っていただけるように、出発前の私について少しばかり自慢させてください。外国語学部フランス語学科ではほとんどの学生が大学 1 年生からフランス語を学び始め ます。その一方で大学入学以前からフランス語に触れている人も毎年数名いて、「既 修者」と呼ばれます。私はそのような既修者の一人で、高校 1 年生の時から第一外国語として フランス語を学んできました。学習年数が 3 年も長いので同級生達の中で抜きんでるのは当然の成り行きでした。最高評価の「A」以外の成績を取ったことはありませんでした。フランス人の先生方とも難なくコミュニケーションを取ることができました。2 年生の終わりに受 験した TCF(フランス語能力検定試験)では C1 を獲得し、一部の先生方から「あなたなら留学中に学部の授業を履修しても心配いらない」という激励の言葉をいただきました。相対的に自分はできるという優越感が私に自信とモチベーションを与え、フランス語を学ぶことが楽しくて仕方ありませんでした。周りとは違って私ならフランスでもほどなく授業についていけるようになるだろうと根拠もなく考えていました。従ってほとんど不安を感じることもなく、期待に満ち溢れて私はフランスにやって きました。しかし現実は甘くはありませんでした。日本の大学で好成績を取っていた程度のフランス語ではだめだったのです。

 フランス語がさっぱりだから何一つ上手くいかない。何も分からない。教授や同級生にどのように質問すれば良いかさえもわからない。今まで私に根拠のない自信を持たせていたフランス語学習におけるすべての成功体験を消し去りたい。学習年数のわりにレベルが低すぎて笑われそうだからフランス語を 5 年半学んでいるなんて恥ずかしくて言えない。私のフランス語は間違いだらけで日本語訛りが強くてみっともない。私はフランスでは無価値な人間だ。早く日本に帰りたい。

 授業開始以来私はずっとこのような気持ちを抱えてきました。このネガティヴな感情は今では流石にかなり弱まりましたが、まだ一部は心に残っていて今後の留学生活でも完全に消えることはないでしょう。

 授業についていくことはできません。教授陣のフランス語を 6,7 割聞き取ることはできでも、聞き取れた言葉を理解するのには現地学生の何倍もの時間がかかります。そのフランス語の聞き取りも常に上手くいくとも限りません。その場で正確に綴ることができない単語がいくつもあるのでまともにノートを取ることもできません。このようにフランス語「を」理解する段 階で躓いているので、フランス語「で」授業内容を理解することなど到底できないのです。ディベートやグループワークではさらに大きな問題が加わります。現地学生のフランス語は教授陣 と比べると早口かつ時に不明瞭なので聞き取りの難易度は上がります。そのうえ頭の中に言いたいことがあっても、自分がフランス語でどのようにそれらを表現したら良いかすぐには分かり ません。私の口から出るフランス語が発音や語彙の面において現地学生に圧倒的に劣るせいで、その言葉で話される内容までもが周囲より劣っていると感じてしまい、ディベートに不可欠な批判的思考を失うこともしばしばです。グループワークで最も耐え難いことは自分の存在が他のメンバーにとって間違いなく負担であるという事実です。どんなに開き直ろうとしてみても、 手段であるはずのフランス語すらままならない人間が、授業の理解が不十分なためにパッとしないアイディアしか出さない人間が、何の役に立つのでしょうか。グループワークのメンバーが私に優しければ優しいほど、私は彼らに対して申し訳なさを感じるのです。

 留学前は学習面で多少の困難に直面しても努力してそれを取り払うことができました。そしてそうすることのできる自分を信頼していました。ところがこちらでは、人生で経験したことがないほどの劣等感を持ったために、そこから這い上がる気力すら失って絶望してばかりでした。自分が自分でなくなってしまったような感覚を覚え、最初の 1,2 か月は悲嘆にくれていました。

 けれどもここ最近、自分がだんだん前を向くことができるようになったような気がします。 何が私を変えたのかは自分でも正確には分かりませんが、学部の授業の同級生達とようやく打ち 解けることができたのが最大の要因だと思います。彼らの多くは私に気持ちよく挨拶をし、目 が合ったら微笑み、私のフランス語は上手だと言って励ましてくれます。留学前は周囲からのこのような些細な働きかけに心が動かされたことはほとんどありませんでしたが、こちらでは、フランス人学生の中で一人疎外感を抱いている分、周囲のちょっとした優しさが身に染みるので す。私は彼らと話すときも聞き返すときもそれほど緊張しなくなりました。彼らと机を並べて 学ぶことに居心地の良さを覚え始めました。私が彼らのようにフランス語を上手く話せないか らと言って私の思考そのものが彼らに劣っているわけではないのだと気づき、自己否定の気持ちも以前ほど覚えなくなりました。授業の予習復習により時間をかける、ディベートで話題 に上りそうなことを予想してそれに関する自分の意見をフランス語で書いてから授業に臨む、 分からないときはそのことをはっきり言う…など困難に立ち向かうための努力ができる人間に再び戻れました。

 もちろん、毎回の授業の後にノートを貸してもらう、同じことを一から説明してもらう…など周囲の助けなしでは学習することのできない現状を、完全には受け入れることはできません。それでも、周囲の学生は、私に接する時、同情からではなく、留学生として言語面でのハンディキャップを抱える私をサポートするのは当たり前という態度で私を助けてくれるのでみじめな思いはしません。 私が留学を通して学んでいるのは、フランス語や教育学に限らず、人への寄り添い方なのかもしれません。

教室の張り紙

教室の張り紙

「誰かに寄り添うことは、前に立つことでも、後ろに立つことでも、代わりになることでもない。隣 にいることなのだ。」(Joseph Templier*)という意味のフランス語が書かれています。数えきれないほどの挫折を経験し、その度に周囲から助けられている私はこの言葉に心を打たれて思わず写真を撮りました。

 私が留学先として選んだアンジェは、フランス西部、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏のメーヌ・エ・ロワール県にある、メーヌ川沿いの中小都市です。フランス語では« taille humaine »、英語では“friendly sized” とよく言われるように、おもな見どころを徒歩で難なく回りきることができるくらいの大きさの都市です。また、アンジェは古き良き時代と新しい時代が共存している街です。中世に建てられ たアンジェ城、古代から中世にかけてこの地を支配したアンジュ―一家の栄華を偲ばせる『ヨ ハネの黙示録のタペストリー』(アンジェ城内にあります)、フランス国内で最も美しいといわれるフランス語などは古き良き時代の象徴です。その一方で 19 世紀末に設立されたアンジェ 西カトリック大学、中世に設立されたアンジェ大学、エンジニア養成校、商業・経営学校など 多種多様な高等教育機関が立ち並び人口の 1 割を学生が占めているため、この街は若々しい活気に満ち溢れてもいます。パリ、マルセイユなどの大都市に比べれば知名度が低く世界各地から観光客を引き寄せるほどの観光地もありませんが、その分落ち着いていて、勉強に専念するに は最適の街と言えるでしょう。

 この町で私が通っているアンジェ西カトリック大学は、フランスでも数少ないカトリック系の私立総合大学です。 この大学は今年およそ 150 人の交換留学生を受け入れており、大半は EU 圏内から来た学生で、日本人は私を入れて 2 人だけです。交換留学生は時間、時に能力(授業によっては一定レベル 以上のフランス語能力が求められます)の許す限り異なる学部・異なる学年の授業を履修することができますが、私は一つのことに専心したかったので教育学部 1 年生の授業を専ら履修しています。大学全体の交換留学生担当者は、履修登録用紙を提出しに行った時など顔を合わせるたびに授業の様子を尋ねて励ましてくれますし、私の所属する教育学部の交換留学生担当教員は、履修相談の際には各授業の概要を教えてくれた上に、私が履修する授業の教員に私のことを前もって伝えておいてくれたりもし、全体的に留学生に親切な大学だという印象を持ちました。また 交換留学生は週に 1 時間半、付属語学学校の教員たちが開講しているフランス語の授業を受けることができます。その授業では、新学期が始まってすぐに行われるプレイスメンステスト(今年は記述式試験でした)の結果に応じて 4 つのクラスに振り分けられます。私の所属する一番上のクラス(B2-C1 レベル)では学生たちがフランス語をかなりのレベルまで身に着けていることを前提としてフ ランス語そのものの学習よりもニュース映像、新聞記事の要約や意見文の執筆、プレゼンテーションに時間が割かれています。

 遠く日本を離れて、1 年近くの期間、非日常の中で日常生活や観光旅行を通してフランスを知ること、フラ ンスで生活することはとても楽しいです。その一方で留学本来の目的に立ち返ってフランス語を、さらに私の場合ではフランス語で学ぼうとすればするほど一学習者としての自分の未熟さを思い知らされ、苦しいのも事実です。到着以来 4 か月が経ちフランスでの生活にはかなり慣れましたから、今後は勉学にもっと専心しそれに伴う苦しみにも真正面から対峙して、残り半年に満たない留学生活を十全に活かしたいと思っています。

 

*Joseph Templier (1921-2017) 神父、Panorama誌元主幹

Université Catholique de l’Ouest Angers