私は、2023年9月から2024年6月までの約10か月間、スイスのジュネーヴで交換留学をしました。実際に10ヶ月間生活を送ってみた私がジュネーヴを一言で表現すると「人情味溢れる国際都市」です。そんな大好きなジュネーヴの魅力を最大限お伝え出来ればと思います。
1. ジュネーヴはこんなところ!
スイスには4つ(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)の公用語があり、その中でもジュネーヴはフランス語圏に位置しています。ドイツ語圏のチューリッヒに次ぐスイス第2の都市です。
アルプス山脈とジュラ山脈の間に位置しており、レマン湖(スイスの西端部に広がる三日月型の大きな湖で、ジュネーヴはこの湖の南に位置する)の西南岸以外は全てフランス領に囲まれています 。
多数の国際機関が存在する国際都市であると同時に、国連や赤十字発祥の地として、「平和の首都」とも呼ばれています。国際機関や企業の本社が多数存在するため、日常的に様々な言語や人種の方と出会える大変国際的で活気に溢れた街です。同時に、ふと見上げると、アルプスの壮大で美しい山々が見えるなど、自然を身近に感じることが出来る街でもあります。
ジュネーヴ最大のイベント 「エスカラード(Escalade)」
毎年12月初めに400年以上の歴史を誇るイベントが行われます。1602年にジュネーヴがサヴォワ公国に奇襲された際、市民が一丸となって勝利し彼らの独立と共和政を死守したことを祝う伝統の祭りです。私は3日間全日程に参加しました 。農民や兵士など中世の衣装を身にまとったジュネーヴ市民によるパレードは、大変迫力がありました。また、普段は閉ざされており、実際に戦いの際使われたといわれている通り道もこの期間は解放されます。中世にいるかのような感覚を楽しむことが出来ました。日本では体験できないヨーロッパならではの中世の雰囲気を体感できたと共に、ジュネーヴの歴史やその歴史に対する誇りを感じることが出来、大変意義のあるイベントでした。
2 ジュネーヴでの生活
多言語社会ならでは!
・商品
スイスのスーパーマーケットで販売している商品にはたいていの場合、仏語、独語、伊語、(英語)での表記があります。(商品によってその組み合わせや順番は様々です。)商品の説明書も丁寧に3、4か国語で表記されていました。
・電車
スイス国内を移動する際はスイス国鉄を利用するのが大変便利です。日本の新幹線のように、清潔感があり速くとても快適です。この電車の表記もやはり3言語。加えて、電車内でのアナウンスもやはり複数言語でした。(私が乗車した電車は仏語、独語、英語でした)特に興味深いのは、フランス語圏を走行中は仏→独→英、ドイツ語圏に入ったら独→仏→英というように、走行している地域によって言語の順番が入れ替わります。また、言語圏によって車掌さんの用いる言語も変わります。同じ国内で複数言語が用いられている状況は、日本で生まれ育った私にとって興味深いものでした。
・コミュニケーション
上記で述べたようにスイスには4つの言語圏あります。また私の出会った現地の学生のほとんど はスイス以外の国籍も持っていました。友人の1人はフランスとスペイン国籍の両親の元スイスで生まれており、3つ(スイス、フランス、スペイン)のパスポートを所持していました。 このような多国籍多言語の状況下で、人々はどのようにコミュニケーションを取っているのか大変気になりました。友人によると、フランス語圏では独・英語学習、ドイツ語圏では仏・英語学習が必須であるそうです(州によって異なるようですが)。また場合に応じ、イタリア語など他の言語を学ぶ場合もあるようです。その為か、現地の人が相手に合わせて複数言語を使い分けている様子をよく目にしました。複数言語を学んでいるからこそ、言語習得の大変さを理解している人が多く、留学生にも大変寛容でした。
世界一の物価
スイスの物価についてはよく耳にしてきましたが、円安も相まってその物価高は想像以上に驚くべきものでした。例えば、レストランでランチとしてパスタ1品を注文した場合、25CHF(当時1CHF=170円ほどであったため、約4250円)でした。日本と比べると2倍以上の価格!その為、基本的には毎日自炊することを心掛けました。食費の工夫として、フードロス削減を目標とする学生団体≪La Farce≫が企画する毎週開催のイベントで食料を引き取り、ジュネーヴから国境近いフランス(バスで30分ほどのアンヌマス地域)の大型スーパーに買い出しに行きました。慣れない自炊は、初めは戸惑うこともありました。しかし、自炊を心掛けたことで、日本では見かけない野菜や果物に挑戦してみるなど、現地の人々の暮らしを実際に体感出来ました。また、寮の他国の友達と一緒に韓国料理やインド料理を作ったり簡単な日本料理を振る舞ったり、留学中の思い出がたくさんできました 。
・寮生活
寮での話を出したので寮生活についてご紹介したいと思います。私は、ジュネーヴ大学が運営している≪Cité Universitaire de Genève≫という学生寮に滞在していました。大学は留学生受け入れ態勢が大変整っており、寮をはじめとした様々な手続きのサポートを精力的にしてくれます。その為、寮を一から探す必要はありませんでした。寮はジュネーヴ市の中心部にある大学からバスで20分ほどの郊外にあります。静かでとても落ち着いており、少し歩くと休日は子供達で賑わう広々とした公園があります。寮の隣には最近改修工事を終えた≪La Cité Bleue Genève≫というシアターがあり、寮に住んでいる学生は無料または特別価格で劇や演奏を観ることが出来ます。私も1度足を運んだことがあり、運よく世界的ピアニストであるマルタ・アルゲリッチの生演奏を聴くことが出来ました。
寮は基本的に1人につき洗面所付の1人部屋が振り当てられます。キッチン、シャワールーム、トイレは全て共用です。共用する部分が多いのではじめは戸惑うこともありましたが、部屋を出れば誰かと会って交流することが出来る空間が広がっており、1人暮らしになれていない私は孤独感を覚えることなく過ごすことが出来ました。また、皆互いのことを思いやり、共用スペースを綺麗に使うよう心掛けている印象がありました。出身国によって料理を作る時間帯が異なったり作っている内容にも個性が出ていたり、大学の授業だけでは知り得ない発見がありました。大学と同じく全ての大陸から多種多様な学生が集まっており、まるで小さな地球のような空間でした。
ヨーロッパの中央にあるからこそ!
スイスはヨーロッパの中央に位置しており、特にドイツ、フランス、イタリアへのアクセスが大変良いです。特に、ジュネーヴはフランス領に囲まれていることもあり、気軽にフランスの各地を訪れることが出来ます。ジュネーヴからフランス第2の都市リヨンまでは電車で2時間30分ほど、パリへは3時間30分ほどで行くことが出来ます。その為、大学の授業と両立しながら様々な場所を観光することが出来ました。
3 ジュネーヴ大学での学び
私が2学期間通っていたジュネーヴ大学は、16世紀に宗教改革を推進したジャン・カルヴァンによって設立されました。四ツ谷のキャンパスに全ての学部が集中する上智 大学とは異なり、街中に点々と大学関係施設がありました。その為、授業に合わせて街中を移動していました。
講義(学部)
Global Studies Institute(国際学部)と (社会科学部)の2学部の講義を履修しました。ジュネーヴ大学では最大2学部まで所属することが出来、自分の興味を持っている分野の講義を幅広く受けることが出来ます。多くの講義は通常の授業に加え、Tutorat(チュートリアル)という授業の2種類で成り立っていました。Tutoratは通常の授業の理解をより深めるためのものです。国際機関からのゲストスピーカーによる講演、教授または修士生による授業内容の補足や質疑応答、学生がプレゼンテーションを行いそれに基づいて皆で議論をする等、その在り方は様々でした。私が受講していた講義の中には200人以上が参加する大規模なものもありました。その為、 普段の授業では他の学生と交流する機会が少なかったのですが、Tutoratを通して他学生と意見交換を行うことが出来ました。特に≪Politique extérieure de la Suisse スイス外交≫と≪Institutions européennes et intégration européenne欧州機関と欧州の統合≫という講義では馴染みのないEUやスイスの制度について詳細に学びましたが、Tutoratでゲストスピーカーの方やTAの方がそれらをよりかみ砕いて説明して下さったお陰で理解が進みました。 全体的に講義内では、規模の大きさに関わらず、生徒と教授の間で挙手制による質疑応答が頻繁に行 われていました。また、ある学生の質問に他の学生が応答したり、学生間で議論を行ったりする光景もよく目にしました。決してとげとげしいという訳ではなく、活気があって自分の主張や疑問を他の人と共有しやすい雰囲気であると感じました。
フランス語の語学授業
ジュネーヴ大学ではフランス語の語学授業を各学期につき2コマまで無料で受講することが出来ます。私は2学期を通じて4つの語学授業を受講しました。アメリカやイギリス等の英語圏、ドイツやスペインなど他のヨーロッパ諸国やアフリカ諸国から来た学生、現地で働いている社会人の方など受講している人は多種多様でまさにジュネーヴそのものを表現しているようでした。特に≪Expression orale スピーキングを伸ばすため授業≫という授業はとても印象的でした。毎回お題があり、先生がそれに基づいた質問をいくつか提示します。その後グループに分かれてあらかじめ練習をしてから皆の前で発表するという内容です。例えば、メーデー(5月1日の労働者の日)がお題で自分の出身国の労働状況に関して皆に共有することがありました。各国によって状況が大きく異なり、毎回学びが多く大変有意義な時間を過ごすことが出来ました。また、授業のテーマに関するものからそれに派生した雑談など、沢山のことを毎回様々な学生と共有することが出来、とても楽しかったです。皆の前で発表する際は緊張もしましたが、フランス語で自分の言いたいことをいう度胸がつき、フランス語を学んでいることに楽しさを感じました。加えて、全員がフランス語を第2外国語として学ぶ学生であったため、フランス語の複雑さをお互い分かちあうことが出来たと同時にもっと頑張りたいというモチベーションにも繋がりました。
現地学生との交流
ジュネーヴ大学には「Tandem(タンデム)制度」という言語交流システムがあります。タンデムとは、2人1組で互いの母国語と学習言語を教え合う制度のことです。私の場合、日本語を学んでいるフランス語を母語(または上級レベル)とする学生とタンデムを組んでいました。タンデムを組むまでは大学がサポートしてくれますが、組んだ後は頻度やその内容などを自分たちで自由に決めることが出来ます。その為、自分達のペースに合わせて無理なく交流出来るのが大変魅力的でした。私は日本語学科の学部生達やその院生、経済史を学ぶ修士生など、複数のジュネーヴ大学の学生とタンデムを組んでいました。その国籍は、他国籍も持つスイス人、フランス人、イタリア人、日本人とスイス人のハーフなど多種多様でした。授業の課題や疑問を一緒に考えてもらうこともありましたが、私は主にフリートーク形式でたわいもない世間話から社会問題まで様々なことをタンデム と沢山話していました。留学等で日本に滞在経験のある学生がほとんどで、日本や日本語に関する質問をしてくれることが多かったです。国際都市の大学ならではのルーツが多様なタンデムと交流することで、日本について海外の視点から多角的に考察するきっかけになりました。日々生活する中で自分の語学力に悩むことも多々ありましたが、他言語を学ぶことの大変さや通じた時の喜びを互いに共有することができ、自分も頑張ろうと前向きになることが出来ました。一緒にスイス国内を小旅行したり、パーティーやご飯に行ったり、タンデム と過ごした時間はかけがえのない思い出になりました。
4 終わりに
初めて行く異国の地での留学は、私にとって大きな挑戦でした。しかし、出来ないことや初めての経験も、様々な人たちとの交流の中で、必ず乗り越えていけます。ジュネーヴは、国際都市で人種による偏見はなく、皆が居心地の良い自由な空間が広がっています。ジュネーヴの地元の人々と顔なじみになり、ジュネーヴでの生活に慣れていく中で、ジュネーヴをもう一つの故郷のように感じることが多々ありました。
『魔女の宅急便』のキキは映画で、「落ち込むこともあるけれど、私、この街が好きです」と言います。私も、言語や大学の学習の壁にぶつかり、心が折れそうなこともありました。しかし、大好きなジュネーヴの街と人々が、私に前向きに頑張る力を日々与えてくれ、困難に立ち向かって留学生活を充実させることができたと感じます。帰国した今でも、ジュネーヴを選んでよかったと胸を張って言うことができます。
語学や勉強に関する学びは勿論、留学は精神面でも自分を大きくしてくれます。その学びの場として、ジュネーヴに興味を持っていただけたら幸いです。