パリ郊外でたくましく生きる

市川 ふみ

 私は上智大学の交換留学制度を利用し、パリ・ナンテール大学に留学しています。パリ・ナンテール大学はパリ西部の郊外に位置する公立大学で、パリ中心部からRER(高速郊外鉄道)で20分ほどの場所にあります。1968年の五月革命の発端となった大学、エマニュエル・マクロンやニコラ・サルコジの出身校としても知られています。多様な学部がある総合大学ですが、特に人文科学や社会科学の学部が充実しています。私は社会学科の授業を履修し、社会学の基本的な理論や、それを応用して様々な社会現象について学んでいます。

パリ郊外とは?
 
パリ郊外というと移民、犯罪、貧困などを連想する人が多いと多いと思います。確かにそれは間違っていません。パリ北部の郊外には治安の問題からフランス人でも近づきたくないというような地域もあります。ナンテールも、薄暗い曇り空の下ずらりと並ぶ団地、建設中のコンクリートの建物、稼働しているのかわからない工場、線路脇にこれでもかと描かれたグラフィティ……。初めて駅に降りた時ディストピア映画の世界に迷い込んだかと思いました。ですが日々通っていると、この風景にも慣れ、移民としての自分の姿が街に溶け込み、愛着すら湧いてくるので不思議です。大学寮があるサンクルーという街はパリ南西部の郊外にあり、また違った様子をしています。寮を出て散歩してみると、遠くに見えるエッフェル塔、高い塀に囲まれた邸宅、控えめにライトアップされた街路樹など、パリの喧騒から離れた静かな雰囲気に心落ち着きます。
 このようにパリ郊外と言っても様々です。パリも近くでありながら、観光では絶対に行かないようなリアルなフランスも見られる郊外。長期留学には一つの選択肢だと思います。

サンクルーの夜景。高台にそびえる教会がシンボルです。(友人撮影)

サンクルーの夜景。高台にそびえる教会がシンボルです。(友人撮影)

落書きが生む議論
 
ナンテール大学で数ヶ月過ごし、ここには学生が様々な意見を持ちそれを積極的に表明するという伝統や校風があるように感じました。まず目につくのが大学構内の落書きです。どこを見ても何かしらの落書きが視界に入ります。特に興味深いのがトイレの個室にある落書きです。単純に人の幸せを願う言葉からやゴミ箱の設置要求、性差別反対、動物の毛皮や食肉の反対に至るまで様々な意見が文字となって書かれています。あるメッセージのすぐ近くに反対意見が書かれるものまであり、トイレの落書きから議論が生まれているのが面白い現象だと思いました。トイレという公共の場でありながらプライバシーが守られる特殊な空間がそれを叶えるのかもしれません。

大学の広大な敷地では、羊が草刈りをしています。

大学の広大な敷地では、羊が草刈りをしています。

まさかのボイコット
 
大学校舎の封鎖、期末試験のボイコット。こんなこともナンテール大学では行われました。ことの発端は12月。政府が一部の国からフランスの大学に来る留学生の登録料の値上げを発表して以来、それに反対する学生による建物の封鎖、期末試験の延期などが続きました。その後大学当局としても反対の立場を表明しましたが、同時期に進行していた黄色いベスト運動とも連動し、抗議活動はバカンス直前にも終わりませんでした。日本人の私にとって、学生と深く関わりのある留学生登録料の値上げについて大学内で抗議することは理解できましたか、マクロン政権に反対する政治的な問題までもが大学に持ち込まれて学生全体を巻き込む事態に発展することに疑問がありました。現地学生に話を聞いてみると、大学の中にも労働組合とつながりのある学生会などが存在し、そのメンバーが中心となって活動しているのが理由の一つだそうです。私が履修していた授業では試験の2時間ほど前にクラスメイトが集まりボイコットの実行について集会が行われていました。実行を決めると試験教室の扉の前に学生が立ちはだかり教授や大学職員との対立が見られました。

一時封鎖された文学部棟のバリケード。

一時封鎖された文学部棟のバリケード。

大学生も一市民
 
日本での大学生時代は「人生の夏休み」と比喩されるように、社会から切り離された特殊な時期、モラトリアムを謳歌する自由な時期と認識されることも少なくありません。しかしナンテール大学にいると大学は社会の一部であり大学生も社会の一員であるということを実感させられます。落書きもボイコットも困る人がいるという点では正しい行為なのか、それでも権利として認められるのか、考えても簡単には結論は出せません。しかし、おかしいと思ったらあらゆる手段でそれを表現する人、さらにそれだけで終わらず、賛否に関わらずその異議申し立てに耳を傾ける人がいることの存在、時代にただ絶望するだけではなく、将来を自らの手で構築していく姿勢に何か希望のようなものを感じました。