「外国人」として過ごしたパリでの留学生活

佐々木美月

 私は2016年9月から2017年6月までの10カ月間パリに交換留学で滞在しました。留学先の大学はパリ第二大学です。パリのパンテオンという建物の近くにキャンパスが1つあり、リュクサンブール公園の近くにももう1つキャンパスがあります。パリ第二大学では法学・政治学・経済学を学ぶことができ、それぞれの学部があります。私の留学の目的の一つは、フランスで国際関係を学ぶことでしたので、政治学部に交換留学生として入りました。
 私は海外に行ったことがなかったので、フランスが私にとって初めての「外国」でした。そしてそこで初めて「外国人」になりました。「外国人」としての私が経験した苦い思いと素敵な出会いを紹介したいと思います。

学校生活
・授業に関して
 パリ第二大学にはフランス語の授業が豊富にあり、初級と上級のフランス語の授業をそれぞれ週に3回ずつ登録しました。
 初級フランス語の授業は基礎文法を扱っていて、すでに学んだ内容と重複する部分もありましたが、そのほかにもお店で使うフレーズや食べ物の名前など、日常生活に役立つことばや表現を教わりました。
 上級フランス語の授業はスピーキング・ライティング・リスニングの3つのカテゴリに分けられており、どれも日本でやってきた授業より難しいものでした。特にライティングの授業は大変で、毎週1つ小論文を書かなければなりませんでした。フランス式の小論文は日本式のそれとは形式が全く異なっていますし、そもそもフランス語で長い文章を書くことに慣れていなかったため、とても苦労しました。週の半分以上の時間を小論文に費やしていたと思います。しかし、この授業のおかげで自分のフランス語ライティング能力は大幅に向上しました。
 語学の授業以外には、国際関係論という授業を、現地のフランス人学生に混ざって受講していました。しかし、専門的な用語が多く使われるうえに先生の話すスピードも決して留学生向けではなく速かったため、最も大変な授業でした。ですが私が興味ある分野について知識を深めることができたので、受講して良かったと思っています。
・友達に関して
 私は大学でたくさんの友達を作りたいと思っていました。フランス人はもちろんのこと、ほかの留学生とも知り合えたら、留学生活がより一層充実するだろうと考えていたからです。しかし結論からいいますと、大学で友達はほとんどできませんでした。
 理由の1つとして考えられるのは、パリ第二大学にはアジア系の生徒がほんの少ししかいなかったことです。留学生のほとんどはエラスムスというEUの留学制度でやってきたヨーロッパ系の学生でした。(エラスムスの生徒とは、学生交流の促進を目的にエラスムス計画というEU加盟国間の共同教育プログラムを使って留学する学生のことです。)そんな状況にいつも心細さを感じ、自分から積極的に他の生徒に話しかけることができませんでした。
 もう一つの理由は言葉の壁であり、それは想像以上に大きかったのかもしれません。私はフランス語が流暢に話せず、それに加えて英語が堪能でもなかったので、フランス語しか使えない状況下での意思疎通に私も私と話す相手もとても苦労しました。そのうちお互いにだんだんと話すことが億劫になってしまい、いつまでも距離が縮まらなかったのではないのでしょうか。
 とはいえ、10カ月間に友達は全くいなかったわけではありません。素敵な人たちとの出会いは寮でありました。

寮生活
 私の大学は付属の寮を持っていなかったので、自分で住むところを探さなければなりませんでした。インターネットで「Paris Foyer」と検索をして、でてきたほとんどすべてのホームページから寮のサイトにアクセスし、どんどん申し込みをしました。約10の寮に申し込んだと思います。結局、パリ市内で空いている寮をさがすことはできず、パリの西郊外のSuresnesという町にある一般寮に入寮しました。
 この寮は学生、社会人問わず30歳までの人が入れる、若い人のための寮です。フランス人と外国人の割合は6:4くらいで、多くの留学生がいました。そのおかげで、寮の雰囲気は学校と対照的で、みんなが外国人に慣れていました。寮には食堂があり、そこで大体の人が夕食をとるのですが、来たばかりのころは毎回誰かに「どこから来たの?」とたずねられ、日本と答えると「日本行ってみたいよ!」と興味を持ってくれました。
 そのうち、いつも一緒に過ごす仲間ができて、留学中は彼らとほとんどの時間を過ごしました。彼らの国籍はさまざまです。例をあげると、イタリア、ポルトガル、スペイン、メキシコ、ドイツ、フランス、中国などです。日本人は私しかいませんでしたが、彼らのおかげで楽しい時間を過ごせました。フランス人の友達は、私のフランス語の勉強にとても協力的で、根気よく私のつたないフランス語を聞き、間違った話し方をすればすぐ指摘してくれました。他の国から来た友達も、私よりフランス語が話せたので、私のためにゆっくり話し、何度も繰り返してくれました。留学して8カ月くらいたち、私のフランス語が上達したあとは、会話中にわからない単語があればお互いに説明し、言い方を間違えたら指摘しあうことで、フランス語の語学力向上に一緒に努力しました。
 また、みんなそれぞれの国の文化について興味を抱き、お互いに尊重していました。例えば、私は自分の部屋を土足厳禁にしていたのですが、みんなそれを理解して、私の部屋に入るときは靴を脱いでくれました。イタリア人の友達は、この日本の文化がとても衛生的だと気に入り、彼女の部屋も土足厳禁にしていました。
 大学の留学生たちとは異なり、寮の住人と仲を深められた理由は2つあると思います。1つ目は、寮の住人がヨーロッパ系の人々だけではなかったことです。ヨーロッパとその他の地域から来た人の割合は半々でした。そのおかげで、どこの地域から来たかがあまり重要ではなく、フランスに集まった外国人の一人としてお互いに接することができました。2つ目は、過ごす時間の量です。寮にいる時間は大学にいる時間より多かったので、たくさんの時間を一緒に過ごすなかで、自然と仲良くなりました。そのおかげで、一生に残る素敵な出会いができたと思います。

モン・サン・ミッシェルで いつも一緒にいた寮の友達の内の何人かと5月ごろに訪れました。写真ではみんな薄着なのでわからないかもしれませんが、実際はすごく寒かったです。下も砂ではなく泥で、この後膝まで泥にうまって動けなくなりました。

モン・サン・ミッシェルで
いつも一緒にいた寮の友達の内の何人かと5月ごろに訪れました。写真ではみんな薄着なのでわからないかもしれませんが、実際はすごく寒かったです。下も砂ではなく泥で、この後膝まで泥にうまって動けなくなりました。


パリのディズニーランドで 私が最後にみんなで行きたいと言ったらみんなで行くことを企画してくれました。日本のディズニーよりは殺風景ですが、アトラクションに迫力があって、日本とは少し違うディズニーランドを体験できました。

パリのディズニーランドで
私が最後にみんなで行きたいと言ったらみんなで行くことを企画してくれました。日本のディズニーよりは殺風景ですが、アトラクションに迫力があって、日本とは少し違うディズニーランドを体験できました。

パリでの生活
 最後にパリという都市について感じたことをお話しします。
 パリは汚さと優雅さが入り混じった不思議な場所でした。道端やメトロはとても汚いと聞いていましたが想像以上です。トイレ事情も日本に比べると良くありません。対照的に、建物はとても美しいです。歴史ある建物が街並みを優雅に包んでいます。建築物の高さが定められているので、高層ビルは街中になく、空がとても広く感じられます。
 その一方で、パリは格差が目に見える場所でした。Champs-Elysees通りは特に顕著です。高級ブランド店が連なっている通りに、物乞いの人たちが裸足でいます。駅では、家族単位で物乞いをしている人々をみかけました。
 パリでは、あいさつがとても重要です。お店に入るとき、バスに乗るとき、誰かに何かを尋ねるとき、「Excusez-moi」ではなくかならず「Bonjour」と言います。これを言わないと、相手だけに「Bonjour」と言わせてしまい、とても気まずくなりました。

  以上がパリでの私の経験です。これから留学する皆さんに素敵な出会いがありますように!

オペラ座  ここでかばんの中から携帯盗まれそうになったので要注意です。

オペラ座 
ここでかばんの中から携帯盗まれそうになったので要注意です。