VOL.1
2012年卒業
一般社団法人裸足醫チャンプルー事務局・団体代表秘書
中原 一就さん

多様性を歓迎し、平衡に生きてゆく

現在はどこで、どのようなお仕事をなさっていますか。

東南アジアにあるミャンマー連邦共和国で、NGOの事務局員をしています。日本とミャンマーの事務所を行き来し、活動全般の事務仕事と現地プロジェクトのサポートをしています。

フランス語学科で学んでよかったと思うことは何ですか。

良くも悪くも、いろいろな価値観を持った学生と教授がいて、ひとつの価値観に縛られない環境があったことです。
もちろんフランス語が喋れるようになったというのは大きな財産ですが、それ以上に価値観のさまざまな人たちと交流できたことがよかったです。子供だった私は、ちょっぴり大人になれました。

在学中に一番印象に残っている体験は何ですか。

私は留学しませんでしたし、学園祭で活躍というわけでもありませんでした。そんな私の一番印象に残っているのは、凡庸かもしれませんが、フランス人とフランス語で会話できたことです。たしか1年の終わり頃、フランスからの留学生と交流する機会がありました。それまでは先生方としかフランス語を使っていなかったのが、初めてそれ以外の人とフランス語で「会話」をしたのです。もちろんスムーズに話せなかったですし、通じなかったことも多かったです。しかし、自分の中に蓄積された経験知を駆使しての交流は、それはもう嬉しいとか楽しいといった言葉で片付けられないくらい、最高の時間だったのをよく覚えています。

なぜ、現在の職場を選んだのですか?

一言で言えば、「将来のための勉強と経験のため」、そして「昨今注目のミャンマーに興味があったから」の2つです。
大学時代、特に食料と水の「安全保障」に興味を持ち、自分で農業ビジネスを展開して生きて行こうと思うようになりました。実験的に北海道で農業に勤しんだこともあります。その際に、経営や管理の視点が欠如していることに気付き、半年後に千葉の小売店に移り、仕入・販売業を経験しました。若者が少ないからか、いろいろとよい待遇をしていただきましたが、もっとさまざまな立場や場所から物事を考えられるようになりたいと欲を出し、半年後に小売店も辞めました。当時、所属していた学生サークルの代表から現在の職場を紹介してもらい、2013年3月に入社しました。
もともとNPO法人やNGO活動自体に興味はなかったのですが、国際的な環境で「持続性」や「キャパシティプランニング」などが勉強出来ること、そして「ミャンマーでの新規農業プロジェクト」というものが単純に面白そうだと感じたから、というのが一番の理由です。

私たちの仕事の目的は、寄付や物資支援ではなく、雇用支援による持続的な生活を提供することです。農業を中心に、帰還難民のための雇用創出を考えています。

最後にメッセージをお願いします。

若いうちから自分の場所を限定しないことです。
自分探しに一人旅をする人がいるでしょう。それで見つかることもあるんでしょうが、自分というのは絶対的なものじゃなくて、誰かとの対話・比較をする中で相対的に成り立っているものだと思います。だから、本当の自分を見つけたかったら知らない環境に飛び込むのです。これはムーミンのお話に出てくるリトルミイから教わったことです(笑)。新しい気付きのためには、同じ価値観を持たないような人と対話をすることが重要です。
大学時代は寮に住んでいたので、他学科の友達や後輩と話すことは多かったと言えると思います。そのうえで言うのですが、上智のフランス語学科には、かなり変な人が多いです。変っていうのはもちろん良い意味で。同学年だけじゃない、先輩たちも変な人ばっかりだし教授たちも、と言ったらまずいかな(笑)。こんな環境に飛び込んでみると、今まで知らなかった自分に出会えます。そしてそれを肯定してくださる先生方もいます。単純にフランス語を勉強するところではなく、自分を量るところとしても考慮してみてはいかがでしょう。