研究会・出張報告(2009年度)

   研究会

日程:2009年9月25日~27日
場所:KKR江の島ニュー向洋

9月25日(金)
自由発表
発表1(14:20~15:50):
 白谷望「モロッコの合法イスラーム主義政党「公正開発党」―その政治参加と戦略―」
 コメント:荒井康一
発表2(16:00~17:30):
 貫井万里「モサッデク政権期(1951~1953年)における抗議イベントの分析―テヘラン・バーザールを中心として」→報告②
 コメント:溝渕正季
発表3(19:00~10:10)
 堀場明子「タイ南部パッタニーでの紛争」

9月26日(土)
テーマ「ナショナリズムとイスラーム」
趣旨説明:私市正年(12:50~13:00)
発表1(13:00~14:00)
 見市建「マイケル・フィーナーの研究紹介」
発表2(14:10~15:40)
 平野淳一「近代イスラーム改革主義者にみるイスラームとナショナリズムの諸相―ジャマールッディーン・アフガーニーの事例」(2時10分~3時00分)
 コメント:高岡豊
発表3(15:50~17:20)
 渡邊祥子「『マナール』誌における帰化者問題とアルジェリア・ウンマの形成」→報告③
 コメント:山尾大
発表4(19:00~20:30)
 北澤義之「建国期ヨルダンにおけるナショナリズムの展開とイスラームの位相」
 コメント:吉川卓郎

9月27日(日)
発表5(9:00~10:30)
 錦田愛子「パレスチナにおける国家形成とナショナリズム」→報告⑤
 コメント:横田貴之
総合コメント:木村幹(10:40~11:10)
総合討論(11:10~11:50)

全体報告①
全体報告②

報告④:
 北澤氏の発表では、ヨルダン・ハーシム王国建国期のナショナリズム形成について論じられた。その際、アラブ・ナショナリズムを掲げる政治団体のヨルダン国内での影響力の強さを議会選挙の結果を通じて分析している。さらに、ヨルダンのナショナリズムが今後どのように変容していくかについての提言がなされた。
 ヨルダンは、西欧国家によって「人為的な境界線」が引かれたこと、第一次世界大戦後から1945年まで英国の委任統治国家であったことから、英国に対する依存性が高い。また、パレスチナを守るという大義のもとに前フセイン国王による統治が行われ、加えて王家は近代化志向であるという特徴を持つ。域内関係に関しては、近隣国家からの政治的圧力とアラブ・ナショナリズムの浸透などの現象が見られる。
 このような背景を持つヨルダンでは、国民形成は基本的に「上から」なされた。この結果、パレスチナ・アイデンティティの隠蔽や東岸主導の国内政策が行われた。また、ベドウィンによる半自治的状態が続いていた地方ではナショナリズムの浸透が遅れるとともに、経済的な格差も生じた。これらのことから、「ヨルダン国民」としての意識の差異が生じ、市民形成においても都市住民と地方住民の二重性という現象が生まれた。
 しかし、1950年代にはバグダード条約反対運動の発生や、アラブ軍団の司令官である英国人、グラブ将軍の解任、スエズ運河問題などにより、民衆のアラブ・ナショナリズムへの支持が拡大した。この影響から、1956年議会選挙では、アラブ・ナショナリズム系政党が躍進することとなった。また、フセイン前国王自身も地域的規範への追随や、アラブ反乱を先導したハーシム王家の統治者というイメージ作りによる権力の正統性維持のため、もしくは個人的なアラブ・ナショナリズムへの傾倒のため、アラブ・ナショナリズムへ接近していった。結果、Sulaiman Nabulsi内閣では首相(外相兼任)、内相・国防相、厚生相・社会問題相はアラブ・ナショナリズム政党の党員から採用された。さらに、その後の1989年選挙でもアラブ・ナショナリズム政党の党員が躍進した。
 最後に、発表者は今後のヨルダンにおけるナショナリズムの方向性を提示している。その方向性とは、民主化による市民・国民形成か部族指導者というイメージを使用した国民統合によるヨルダン民族形成、すなわちベドウィン国家形成の2点であった。参加者からは、そもそも「ヨルダン人」であることが持つ意味や価値が不明瞭であり、台湾のように国家としてのナショナリズムを必要としなくても成立する事例なのではないか、という指摘や、国家としての枠組みを守るための取り組みは見られるが、それはナショナリズムとは異なるというコメント、植民地支配を受けていないためナショナリズム形成の機会を失ったのでは、という発言がされ、活発な議論となった。
 (堀内彩・上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士前期課程)