ポルトガル語学科教員の矢澤です。
連投になりますが、昨日の続きを投稿します。
今回の西アフリカ滞在の経緯については、前回の投稿をご覧ください。
カボベルデ、ギニア・ビサウのほかにセネガルやガンビアを訪れたのは、カボベルデからギニア・ビサウに向かうフライトの存在が不透明だったため、これらの国々を経由するのが確実だったということもありますが、これらの国には奴隷貿易に関連するUNESCO世界遺産があります。
それらにおいて、奴隷貿易関連の負の遺産がどのように展示され、どのように説明されているのかにも関心があったからです。
まずはセネガルです。
カボベルデからもっとも近いアフリカ大陸部の国がセネガルです。
もともとカボベルデ(緑の岬)という名称は、セネガルの首都ダカールにあるアフリカ大陸最西端の岬の名前からとられています。
つまり、「緑の岬」の沖合にある島々と意味合いから、その名がついたわけです。
ダカールからフェリーで30分足らずのところにゴレ島と呼ばれる小さな島があります。
ここはUNESCOの世界遺産のなかでも、いわゆる負の遺産の先駆けとされているところです。
かつて、この島は奴隷貿易の重要な拠点の一つでした。
島の海沿いの一角に「奴隷の館(Maison de Esclaves)」と名付けられた建物があります。
ここはかつて奴隷の取引に使われていた建物です。
「不帰の旅路への扉」と称される、海側に面した扉は、奴隷が奴隷船へと積み出されていった出口で、ここを出れば最後、二度と故郷アフリカには戻ってこれないという意味が込められています。
かつて訪れたことのある、ガーナのケープ・コースト城(同じく奴隷貿易の拠点として使われた)にも同じものがあったし、ベナン(かつて奴隷貿易が盛んに行われた場所の一つ)のウィダーの海岸にも「不帰の門」と名付けられたモニュメントが建っていました。
同じ主旨の世界遺産がセネガルの隣国ガンビアにもあります。
ガンビア川に浮かぶ小さな島、クンタ・キンテ島です。
クンタ・キンテとは、米国の著名な黒人作家アレックス・ヘイリーの著した小説『ルーツ』の主人公です。
ご存じの方も多いと思いますが、この小説はそのタイトルが示す通り、自らのルーツをアフリカにまでさかのぼる調査に基づいたものとされ、クンタ・キンテはアフリカで生まれ、青年期に捕らえられて奴隷船に乗せられ、米国へ売られていく、作者ヘイリーの先祖という位置づけです。
そのクンタ・キンテの故郷としてヘイリーが特定したのが、この島に近いガンビア川沿岸の村でした。
この島および周辺の沿岸部には、早くからヨーロッパ人が進出し、奴隷貿易を含む、様々な交易活動に従事しました。
下の写真からも分かる通り、とても小さな島です。
奴隷貿易の拠点としても使われた要塞の遺構があります。
この地域に進出したヨーロッパ人のなかにはポルトガル人もいました。
下の写真は島からほど近いガンビア川沿岸の村に残された、ポルトガル人の建てたチャペルの遺構です。
つづいて、旧ポルトガル領だったもう一つの国、ギニア・ビサウについて少しご紹介しましょう。
前回も触れましたが、ギニア・ビサウはポルトガルからの独立の過程でカボベルデと共闘しました。
アフリカ大陸全体の地図でみれば、両国は非常に近いし、同じポルトガル領だったことで、そうした経緯はごく自然にも思えます。
しかし、今回の訪問を通じて、少なくとも植生、気候上は両国は相当に異なっていることをあらためて実感しました。
乾燥が顕著なカボベルデに対し、ギニア・ビサウは緑が深く、河川など水資源にも恵まれています。
下はカシェウ州の幹線道路ですが、沿道まで草木が迫っています。
カボベルデではあまり見られない光景です。
首都ビサウは植民地期も中心都市だったため、ダウンタウンにはポルトガル人が建てた建物が老朽化しながらいまも残されています。
下はBissau Velho(オールド・ビサウ)と名付けられた地区の一角です。
一方、ダウンタウンの少し外側にある市場のある地区は、非常に活気に満ちています。
この地区を通る幹線道路の歩道橋上から撮りました。
右手奥の方に市場があります。
ブルーの車体に黄色の屋根は決まったルートを走るミニバス、白い屋根のクルマはシェアタクシーです。
タクシーの車種はベンツが多いです。
ビサウの市の中心部にある広場にたつモニュメントです。
左側面に弾痕らしきものが見られます。
1990年代末より続く内戦やクーデターのなかで、この広場に面する大統領官邸も攻撃され、一時は大きく損傷していたといいます(いまは修復されています)。
なので、モニュメントの方もそのなかで被害を受けたものと推測されます。
この国の影の部分を忍ばせます。
ビサウで旅行者や駐在員の行くレストラン然としたところは、あまり郷土料理的なものを出していないようです。
せっかくなので、ホテルのフロントで訪ね、ギニア・ビサウの人々が普段食べるようなローカル・フードを出してくれるところを教えてもらい、そこに行きました。
「日替わり定食」を訪ねると、Caldo branco guisadoだと店の人が教えてくれました。
ポルトガル語の直訳としては、「白い煮込みスープ」的な感じになるかと思いますが、ほかの日常的な料理として、パームオイルのスープやピーナッツを使ったスープのようなものがあるらしいので、「白い」というのはそういったパームオイルやピーナッツをベースにしていない煮込みスープという感覚で使っているのでしょうか。
牛肉と野菜を煮込んだスープがご飯にかかった状態で出てきました。
日本円にして約300円でした。
右上の緑色の添え物は、酸味のあるかなりの辛さの香辛料でした。
ということで、ごく簡単にですが、現地からお届けしました。
この後、リスボンに戻り、数日間滞在した後、日本に帰国します。
そして、年明けにはブラジルの方に行く予定です。
このときも、できたら現地からお届けしたいと思っています。
では、そのときまで。