2013年

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El Gallinero 第8回公演

Sancho Panza en la Ínsula 『サンチョ・パンサ、島を統治す』
作者:Alejandro Casona (1903-1965, España) アレハンドロ・カソーナ

 

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ドン・キホーテの従者として冒険の旅に出かけたサンチョ・パンサはかねてから念願の「島」の統治権を手に入れた。それは、ある公爵夫妻が自分たちの楽しみのために企てた悪ふざけだった。そうとは知らないサンチョは大まじめに「島」で「領主」の仕事に取り組む。サンチョのもとには様々な難題を抱えた村人たちがやってくる。サンチョは持ち前の実践的感性で名領主ぶりを発揮するが、やがて自分の居場所は他にあることを悟る。

20世紀半ばに活躍したスペインの劇作家アレハンドロ・カソーナが、セルバンテスの『ドン・キホーテ』からサンチョのバラタリア島統治の話を短い戯曲にまとめた作品。教育者でもあったカソーナがセルバンテスのメッセージを分かりやすく民衆に伝える意図で書いた作品である。

12月にセルバンテス文化センターで開催された「スペイン語劇マラソン」にこの作品を持って参加し、神奈川大、清泉女子大、東京外大の語劇グループと交流公演を実現した。

 

公演日:
2013年12月15日(上智大学10号館講堂  外国語学部語劇祭)
2013年12月7日(セルバンテス文化センター東京、Maratón de Teatro参加)

演出:小林敬史
出演:江浦健太 安井紀生 小林敬史 井戸麻衣子 棚村瑞貴 早川真生 
   鈴木幸治 駒村茉実子

セルバンテス文化センター東京での公演の写真はこちらからご覧になれます。
Maratón de Teatro

 

ハイメ・フェルナンデス先生が、この語劇公演の公演パンフレット用に書き下ろしてくださったエッセイを以下よりご覧になれます。(イスパニア語本文の後に日本語訳があります。)

Sancho Panza

Jaime Fernández

      Según el título de la gran novela de Cervantes, su protagonista es Don Quijote. Y. sin embargo, su escudero, Sancho, es tan importante que sin él, Don Quijote no podría significar lo que en realidad significa. Sancho es esencial. Tanto que puede decirse que el personaje central de esta gran obra no es sólo Don Quijote, sino Don Quijote más Sancho, Sancho más don Quijote. Los dos, siendo tan distintos, no pueden concebirse por separado. En ambos, desde el primer momento había un vacío que necesitaban llenar. Y, por ello, tanto el caballero como su escudero salieron en busca de aventuras. Cierto que Don Quijote al principio salió solo, como caballero andante. Pero volvió a su aldea para buscar a Sancho, para tener alguien con quien poder hablar, dialogar. Porque, parece decirnos Cervantes, el ser humano es diálogo, es sociedad y es convivencia. Afirmación que es el significado fundamental de su novela.

      Si Don Quijote representa la búsqueda del ideal, Sancho, un mero labrador, representa la sabiduría del pueblo, lo cual queda expresado, con mucho humor, en la cantidad de refranes que dice cuando habla. Y esa sabiduría quedará aún más clara durante su gobierno en la ínsula. Es la ínsula que Don Quijote le había prometido, y que el duque burlescamente hace realidad. Sancho llega a la “ínsula”. Y, aunque los servidores del duque se burlarán de él y le harán ayunar sin compasión, Sancho pone toda su alma en administrar justicia y lo hace con humor, sentido común y una gran sencillez y bondad de corazón. Y cuando finalmente se da cuenta de que todo ha sido una broma de mal gusto, sabe aceptar la realidad.

     En conjunto podría decirse que la iluminación que Sancho ha obtenido es muy parecida a la que don Quijote obtendrá al final, y a la budista, como se expresa en el “tsukubai” del Ryoanji de Kyoto: “Ware tada taru wo shiru”.

      Sancho ha comprendido que él no ha nacido para gobernador, sino para labrador. Sabe también que ha sido burlado y acepta la burla, porque acepta la vida como es, es decir, porque acepta su vida: desnudo nací, desnudo me hallo: ni pierdo ni gano. Igualmente en su actitud final, en su despedida, no hay asomo alguno de rencor: Abrazáronle todos, y él, llorando, abrazó a todos, y los dejó admirados así de sus razones, como de su determinación tan resoluta y tan discreta

      Como conclusión, en los capítulos del gobierno de Sancho en la ínsula, se insinúa su crecimiento espiritual, la maravillosa talla humana que ha venido alcanzando a través de la novela, gracias a su contacto con don Quijote: humillación, silencio, retorno a su vida sencilla, comprensión y aceptación de sí mismo, ausencia de rencor. Todo ello indica el hombre que ha conseguido la libertad, el hombre que al aceptar la derrota de sus ambiciones, ha alcanzado, paradójicamente, la mayor victoria posible.

サンチョ・パンサ

ハイメ・フェルナンデス

タイトルから考えるなら、セルバンテスのかの名作の主人公はドン・キホーテということになる。しかし、もし傍らに従者サンチョ・パンサが控えていなければ、ドン・キホーテは真のドン・キホーテにはなり得ない。それほどサンチョは重要な役割を果たしている。サンチョは要の人物なのである。この名作の中心人物は、ドン・キホーテひとりではなく、ドン・キホーテ足すサンチョ、あるいはサンチョ足すドン・キホーテだと言えるかもしれない。ドン・キホーテとサンチョはまったく異質の人物だが、二人を別々に分けて考えることはできない。二人には、登場したその時からそれぞれに欠けた部分があった。だからこそ、騎士も従者も冒険の旅に出かけたのである。はじめ、ドン・キホーテは遍歴の騎士として一人で旅に出かけた。しかし、すぐにサンチョを探しに村へ戻る。話し相手、言葉を交わす相手が必要だったのだ。作者セルバンテスは、このドン・キホーテの行動を通して、われわれ読者にあることを伝えようとしているように思われる。すなわち、人間とは他者との対話の中で生きていく存在であり、他者との関わり合いの中で生きていく存在であり、共に支え合いながら生きていく存在なのである。セルバンテスの小説の根底を成すのはこの思想なのだ。

ドン・キホーテが理想の探求を表す人物である一方で、サンチョは田舎の農民が持つ知恵を表している。ことわざをたくさん交えて話す人物としてユーモラスに描かれたサンチョにそれが見て取れる。さらに、島の統治にあたっては、これがいっそう顕著になる。その島とは、ドン・キホーテが約束した島であり、公爵がサンチョをからかう目的で与えた島である。サンチョはついに念願の「島」に辿り着く。公爵の使用人たちはサンチョを愚弄し、無情にも食事を取らせないが、サンチョは全力で裁判を執り行う。しかも、ユーモアを交え、常識的に、優しく温かい心をもってことにあたるのである。やがてサンチョは島での出来事の全てが酷いからかいだったと気付くが、現実を受け入れる知恵を見せるのである。島の統治をとおしてサンチョが得た教訓は、ドン・キホーテが最期に得た教訓に似ていると言えるだろう。仏教の教えになぞらえるなら、京都の龍安寺の蹲踞(つくばい)に刻まれた「吾唯知足」の思想である。

サンチョは、自分は領主になるためではなく、農民になるべくして生まれてきたのだと悟る。からかわれたと知っても、それを受け入れる。サンチョは人生そのものをあるがままの姿で受け入れること、すなわち己の人生を受け入れることができたのだ。サンチョは「おいらは裸で生まれ、今も裸のままだ。何も失いもしないし、何も得ることもない」と言う。島を去るサンチョに人を恨んでいる様子は全くない。「皆はサンチョを抱擁し、サンチョは泣きながら皆を抱きしめる。サンチョの思慮深さや裁判で見せた決断力と謙虚な振る舞いは人々に感銘を与えた」のだ。

サンチョが島を統治する物語には、サンチョが遂げる精神的成長と素晴らしい人間性が描かれている。ドン・キホーテと旅することでサンチョは小説の中で成長してきた。すなわち、屈辱を知り、黙することを知り、素朴な生活へ回帰すること、おのれを理解し受け入れること、他者を恨まないことが大切であると知ったのだ。これは自由を手に入れた者の姿である。己の挫折を受け入れることで、逆説的に、最大の勝利をつかみとった者の姿である。

(翻訳 小林敬史 3年)

(筆者は本学名誉教授。日本における『ドン・キホーテ』研究の第一人者として知られる。今回の語劇公演では作品理解および台詞の発音指導で大変お世話になった。本稿は公演パンフレット用に書き下ろして頂いた。)