1976年

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La Cortesana / Los arboles mueren de pie

 

私は1976年にイスパニア語学科に入学しました。私の大学生活は、すべて語劇に始まり語劇に終わったといえます。新入生オリエンテーションウィークの頃だったと思います。1号館の講堂で、Victor Ruiz Iriarte のLa vida privada de mamáが上演されていました。それを見た瞬間、私は語劇の魅力に引き込まれてしまいました。入学して間もなく、まだ東京生活に慣れず、戸惑いのさなかにあった私でしたが「叩けよ、さらば開かれん」の心持で語劇サークルの門を叩きました。一緒に入部した新入生が土井迫さん、中村さん、広崎さん、私です。この四人のメンバーは卒業まで語劇で活動しました。途中、高雄さん、末松さん、福田さんが加わります。頼りになる諸先輩と、そして頼もしい後輩たちと共に私たちは四年間を駆け抜けました。
 

1年のときの語劇の顧問は故マヌエル・ディエス先生でした。ディエス先生は台本をご自分でテープに吹き込んでくださり、私たち一人ひとりにそのテープが配られました。演目は、La cortesanaだったと思います。記憶がちょっとあやふやなので、間違っていたらご指摘ください。邦題が「背徳の城」でした。内容は、財力も権力も名誉もある熟女が、犯した罪ゆえにしだいにその持てるものを失っていくというものだったと思います。と思いますというのは、まだ1年の頃で内容までよく理解していなかったからです。私の役は、その熟女の若いつばめの愛人でした。田舎から出てきたお嬢さん(?)でただ髪が長かったがための配役だったと思います。先輩方はその長い髪をカーラーを使って美しい縦ロールにしてくださいました。素顔で通していた私でしたが、しっかり舞台メイクをほどこし、アイシャドーやアイラインもばっちり入れていただき、もう別の人格になった心地でした。自分とは違う人間・人生を生きてみることができる。それが語劇の魅力かと思います。
 

2年になり、ハイメ・フェルナンデス先生がスペインから帰国され、語劇の顧問になってくださいました。フェルナンデス先生は、Lope de Vegaや近松門左衛門などを研究されていらして、私たちの劇の内容まで踏み込んでご指導くださいました。また、劇合宿などでは、一緒に作品研究をしてくださったり、ときにはルンバを踊ったり、またある特別の日にはミサを立ててくださったり、私たちを全人間的に指導してくださいました。
 

2年のときの作品は、Alejandro Casona のLos árboles mueren de pieでした。邦題は、「立ち枯れ」でした。未来に希望を失い、死のうとしていた女性が、ひょんなところから、ある男性から自分の老親の死期が間近いので、夫婦を演じてほしいといわれ、その死を踏みとどまることから話が始まります。老いた母親は、嘘と知りながら、その二人を喜んで迎え入れるのでした。一方死のうとしていた女性と夫婦を演じていた男性との間に、次第にほんとうの愛情が芽生えていきます。この作品では、私はその若い女性の役をやらせていただき、先輩から美しいサーモンピンクのドレスを借りて、髪はちょっと金髪風に整えていただきました。二人の愛情が芽生えた証として、キスシーンがありました。実際にはキスはしませんでしたが、これも当時の私としては緊張の体験でした。

 

1976年入学(第11期生)高橋正江   2012年7月1日記