言語=手段

塚本亮司

 初めまして、ドイツ語学科3年でケルン大学に留学中の塚本亮司です。
 ケルン組3人目のブログということでなるべくかぶらない内容を書こうと思います。

とてつもなく時間のあった8月、夏休みはあっという間に過ぎてしまい、再び毎日半日の語学コースの日々に追われる9月に突入した最近です。さすがに、こちらにきてから半年経過しているので、生活には慣れ、忙しいながらも毎日楽しんで過ごせています。

実は僕は高校のときにもベルギーに留学していたので、これが2度目の留学でした。しかし、ホストファミリーにお世話になっていた当時とは異なり、寮に住み、日本でも経験したことのない初めての1人暮らし、なにも助けてくれないケルン大学(笑)といったように、全く環境の違った留学で最初の数ヶ月は意外とバタバタしていた印象があります。

ケルン大学にはドイツの中でも有数の大きな規模のerasmusプログラムがあります。そんな中、同居人になったスロバキア人の男の子をはじめとしたerasmusを利用してケルンに留学に来ている学生たちと関わることがとても刺激的に思えてきました。というのも、彼らと話しているとドイツ語のレベルはもちろん様々でありながらも、皆英語は流暢で、その上他国の人々とのコミュニケーション能力に非常に長けているということをまじまじと感じさせられます。

あるときポルトガル人の友人が、「ドイツ語が英語みたいに簡単だったらいいのに、、」とつぶやいてました。しかも当時彼はぼくよりも上のレベルのドイツ語コースを受けていて、英語はネイティブ並みにぺらぺら。とてつもない悔しさ、自分は今までなにをやってきたのだろうかという思いにかられました。

そんな彼らと付き合っているうちに、特にヨーロッパの学生たちにとっては、言語は本当になにかをするためのツールであって、そのため、日本にいるとあまり意識しない、CEFR(ヨーロッパ言語参照枠:a1-c2までのレベル分け)が当たり前に使用され、それがある人の言語能力を客観的に判断するための分かりやすい基準となっているヨーロッパ、という環境の中にいるということを身を持って感じ始めました。言語習得がゴールになりがちである日本人とは違って、ヨーロッパの同世代の学生たちの言語を自分のニーズに合わせて、そのレベルまで到達させる、といったような言語=手段という考え方がとても自分には刺激的に、また目標が定めやすいため効率的にも感じました。

3カ国語くらい話せて当たり前のような、日本からみたら、言語のプロフェッショナル集団の中に混じれて勉強ができている、ということ自体が恵まれた留学体験だと思います。自分も負けていられないとますます思うようになりました。このような経験をさせてくれている両親、サポートしてくれる友達に感謝しながら残りの半年弱をより有意義なものにしたいです。

 r-tsukamoto