VOL.27
2019年卒業
田中慈さん

やれるか分からないけどやる(ドイツ大学院留学体験記)

初めまして。田中慈(めぐみ)と申します。私は2015年に上智のドイツ語学科に入学し、卒業した後、2019年秋からミュンヘンにあるルートヴィヒマキシミリアン大学の『外国語としてのドイツ語』(Deutsch als Fremdsprache)という言語習得のメカニズムや外国語の教授法について学ぶ分野の修士課程で2年半学びました。私自身がドイツ大学院進学に興味を持った時に、このブログを何度も読んだので、この度お声がけいただいてとても嬉しかったです。以下では、自分がドイツの院進を決めた経緯、出発前の準備のこと、大学院での学生生活、そしてその後の進路について少し書きました。読んでくださる皆さんが、少しでもドイツの大学院進学についてイメージしやすくなってくださったら嬉しいです。

1.上智ドイツ語学科からドイツ大学院へ
まず私がドイツ語学科生だった頃について。私は上智のドイツ語学科でドイツ語を学びはじめました。初期の文法のテストで良い点数がとれず、同級生には既習者や優秀な子も多かったため、自分のドイツ語にはあまり自信がありませんでした。ようやく4学期目になって、在外履修カリキュラムで半年間ミュンヘンにいったことをきっかけに、一気にドイツ語の語学力が伸びました。当時通った大学付属語学学校では、半年間でA2.1からB2.2までレベルが上がっていったので、猛烈な勢いで勉強していました。留学はじめの頃は、授業中に堂々と発言する他の国の留学生にすっかり圧倒されて、後ろの席でほとんど発言できない生徒でしたが、上智の前半3学期間で文法を一通り学び、基礎を固めたため、周りより文法をできているということがだんだん自信につながり、次第に授業中も発言し(前の席にもいくようになり)、多くのクラスメイトと話せるようになりました。今振り返ると、在外履修に行かなかったら、ドイツ語を使うことにこんなに積極的にならなかったと思うので、その土台を作ってくださったドイツ語学科の先生方には本当に感謝しています。

その後で私がドイツの大学院に興味を持ちだした経緯についてですが、まず在外履修の期間にドイツ語が上達したことで、ドイツ人や留学生の友達とドイツ語で話せる事柄が多くなり、ドイツ語を介して見える世界が一気に広がりました。今まで外国語体験が教室英語に限られていた私にとって、日本語以外の言葉を通して世界の物事を観察したり感じたりするというのは、本当に新鮮で刺激的なことでした。帰国後、上智にいるドイツの学生達とタンデムをしたり、ZDF(ドイツ第二テレビ)Mediathekの色んな番組を見たりするようになって、ますますドイツ語で話されている内容やその世界観に興味を持つようになり、言語とある文化圏でその言語を使用する人々の思考の関わりについて知りたいと思うようになりました。そしてそのためには、ドイツ語が実際話されている場所に長期間身を置いて、周りを観察する必要があるのではないかと思いました。加えて、3年生以降の授業でアンゲラ・リプスキー先生の外国語習得研究のゼミと木村先生の日独社会研究ゼミをそれぞれ2年とり、そこで多くのドイツ人留学生と言語について授業中話し合ったことやグループワークをしたことや、当時上智でゲストとして講義をしてくださったフローリアン・クルマス教授の多言語主義(Mehrsprachigkeit)の授業の中で、言語間の翻訳の可能性(意味はどの程度、言語に制限されるか)について言及されたことも、ドイツの院で言語と思考の関係について学びたいと思うきっかけになりました。

ただ当時は同じ進路を考えている人が周りにおらず、周りで就職活動がはじまっていたため、進学したい気持ちはあるけれど、留学を決断するまで至っていませんでした。正規の外国留学というのは、能力がありタフな人がやるイメージがあったため、自分にできるか自信がありませんでした。私の中で大学の留学といえば半年~1年のものだけだったのが、急に新しい選択肢が出てきたので、自分でも自分の考えに戸惑ってしまいました。その時にこのドイツ語学科卒業生ブログで山岸さんと岡野さんの記事を見つけて、そういう道に進んだ方が実際に最近のドイツ語学科卒業生にいたんだということにとても勇気づけられて、実際に両親にドイツでの修士留学について話してみました。当時、私が普通に就職をすると考えていた両親は、この提案を突拍子がないと本当に驚き、はじめはあまり歓迎していませんでした。そして私自身も、両親を説得できる自信がなかったため、親にさまざまなタイミングで『本当に興味があるんだよね…。先輩で行った人もいるんだよね…。』と語調弱めにぼそぼそ言い続けながら、大学ではドイツ語学科の多くの先生方に相談にのっていただき、インターネットで情報収集を行っていました。ほぼ同時期に赤坂のドイツ文化会館(上智から徒歩20分ほど)1階にあるドイツ学術交流会(通称: DAAD)を訪れ、そこで、DAADの奨学金に応募できること、そしてDAADでドイツの留学について詳細な情報を多く集められることが分かったことで、留学の選択肢が現実的になり、両親を説得しやすくなりました。ただ説得自体には3年の冬から4年の春まで半年かかりました。

奨学金の応募に関しては、4年生の初夏に準備を始め、10月末に応募書類の締め切りがあり、リプスキー先生に推薦状をお願いしました。自分が読んでも照れるようなありがたい推薦状のお言葉を頂いた後、先生に面接の練習にも付き合っていただき、その後、3月末に合格通知が届き、無事に奨学金をもらえることになりました。それから上智を卒業し、5~6月に複数の大学へ応募書類を提出しました。その時にも、DAADの職員の方に相談しながら、ドイツの大学院のHPの募集要項に載っていた必要書類を集めて送りました。それぞれの大学から入学許可の通知が来たのが6~8月で、最終的には多言語主義、そして認知言語学も扱っているミュンヘン大学の外国語としてのドイツ語学科で学べることになりました。

2.大学院生としての2年半年
大学院の授業が始まってからはかなり忙しく、最初の学期では9つ授業(4つ講義、2つゼミ、3つ演習)をとっていました。学科ごとに忙しさはかなり異なるらしいのですが、私の学科では次回までに読むものや、Moodleにアップする課題が多くあり、友人によると忙しい学科だったそうです。特に大変だったのは学期末のゼミ論で、1か月で30ページの外国語のゼミ論を書かなければなりませんでした。これまで短期間で論文を書く経験がなかったため、出来ると信じ込んで着々と進めるしかありませんでした。ただドイツ人の友人や留学生の友達を見ると、誰も焦っている人がおらず、何とかなるでしょという感じだったため、自分との温度差を感じました。

コロナ禍の影響で、2,3学期目の授業は残念ながら全てオンラインに切り替わりました。学生にとっても先生にとっても、これまでに経験したことがない環境だったので、最初はみんな大変そうでしたが、慣れてしまうと皆こちらの方が楽そうでした。ただオンラインの授業では他の人がZoom上の小さいボックスの中にしか見えないため、相手の雰囲気があまり伝わってこず、私としては相手から(特に先生方から)人間としてきちんと認識されているんだろうかという不安はありました。ゼミ論や修論では先生や友達からアドバイスをもらうことが結構大切だったので、相手とどうやって距離を近づけられるか結構悩みました。実際は授業中に質問したり、同級生にメッセージをSNSで送ったり会ったりすることで、不安はかなり消えていきました。

写真:学業中行き詰った時は、街の中を流れるIsar川側沿いをよく歩いていました(以下、それぞれ夏と冬)。

最後の修士論文作成は、1~3学期まで90単位とらなくてはならなかったことと、毎学期の授業の課題で手一杯になっていたこともあり、私は4学期目に準備を始め、5学期目に書くことにしました。修士課程の同期が40人ほどいましたが、半数以上が5学期目に修士論文を書いていましたし、6学期目に書いている人も結構いました。修士論文のテーマ決めでは通常、3学期間のゼミで扱ったテーマから自分の関心の合うものを探すか、既に先生が研究でこれまで扱ってきたテーマを取り上げ、新しい問いをたてます。しかし、私はその中でぴったりしたものがなかったということと、上にも書いたように元々言語とその文化圏に住む人の物の観方の関係に興味があったので、3学期目の認知言語学のゼミの枠で、特定の分野の単語(私の場合は感情の状態を表現する語彙)がどのような言語習得・言語使用の過程で文化的な意味を獲得するのか、また日独バイリンガルがその違いをどう捉えるのかということを修士論文のテーマとして扱いました。修士論文作成の時はゼミ論で論文作成に慣れてきたとはいえ、とにかく時間のプレッシャーに追われました。限られた時間の中で、テーマを設定し、論文をたくさん読み、そして質の良い論文を見つけ出し、それらを軸にまとめ、協力してくれる被験者をさがし、インタビューの文字起こしやデータをまとめる作業まで全てできるか。その後のドイツ語での執筆とドイツ語話者による修正の時間のことを考えると、毎日が時間との闘いのような気がしていました。一方でできるだけ妥協しないで、内容で自分が納得できるものを作りたかったので、こだわればこだわるほど時間が足りないような気がしました。この期間は友人や先生に相談して自分の限界、つまりどこまでできるか予測をたてることが何より大切だったように思います。

3.皆さんへメッセージ
そんなこんなで修士論文を提出して無事卒業しましたが、今振り返ると自分にできるという保証が何もないまま、手探りで目の前のことをやっていった2年半だったと思います。非常に充実していた半面、今考えると焦りすぎた・不安になりすぎたと思うことも多かったです。もし今、これからドイツで勉強を頑張りたいと考えている子達に何か伝えるとしたら、『あまり気負いすぎないで、興味をもったことに対して時間をかけて考えながら、できるだけ頭を自由にして楽しんで学んでほしい。』と言いたいです。成績を残せるかということもあまり気にしすぎないでほしいです。学びは人と比較できないので、遅いかなと思っても何も焦ることなく、自分のペースと好奇心を大切に、知りたいこととじっくり向き合ってください。

そしてドイツの大学へ進学するか悩んでいる方達へ。卒業後すぐに進学する人も、一度働いてから大学院に進む人も両方ともドイツには多くいます。自分に合うと思う方法を選んでください。どちらの方が良いとかは多分ありません。行くか行かないかたくさん悩んで、ひとまず別の方向に進む決断をするのも全く悪いことじゃありません。もし結果的に行かないと決めたとしても、その時期に自分が求めることや自分に必要なことを真剣に考えたことが、後々自分の人生との向き合い方に必ず活きてくると思うので、今たくさん考えたことに自信をもって前へ進んでください(⌒∇⌒)。ただ、あと一歩踏み出す勇気がほしい方に。私は自分自身の経験から、ドイツの大学院で一所懸命学んだ期間は、志望分野の知識だけではなく、自分の世の中への観方や人生への考え方を形成していくために間違いなく大きな良い影響を与えたと思うので、行きたいという気持ちが大きければ、是非勇気をもって一歩踏み出してほしいです。たくさん失敗もあるかもしれませんが、それらは長い目で見て自分の糧になっていくはずです。安心して失敗をたくさんしてください。応援しています。

最後に卒業後の進路について少し書かせてください。私は帰国した後、数か月間の休みを入れて就職活動を行いました。ドイツの大学院を卒業したものの、すぐにドイツ系機関で採用されるのは難しく、今年に入ってからようやく、上にも書いたドイツで研究する人のための奨学金支給等、日独の学術の発展のための多くの支援を行っているドイツの公的学術機関、ドイツ学術交流会(DAAD)の東京事務所で働かせていただけることになりました。自分も留学準備の時、ドイツ学術交流会の職員の方々から、ありとあらゆる面で親身にサポートしていただいたので、次は自分がドイツの大学で学びたい学生さんたちのお手伝いをできることをとてもありがたく思っています。ドイツの大学学部・大学院留学を考えている方がもしこの文章を読んでくださっていたら、ドイツ学術交流会のWebサイトからご相談ください  (https://www.daad.jp/ja/about-us/contact/)。現在は電話とオンライン相談を行っているので、継続してお力になれればとても嬉しいです。それではまた!

写真:修士を卒業した後、証明書と大学のGeschwister-Scholl-Platzで撮りました。