移ルンです

青木大地

雪が溶けて川になって流れていったり、つくしの子が恥ずかしげに顔を出したりしてきました。もうすぐ春ですね。在外履修生としてボン大学に留学して半年が経ち秋、冬、春と季節が移り、そしてこれから夏まで交換留学生としてボンに滞在します。「ボン」と聞いてピンと来る人は世界史を勉強していた方か、ベートーヴェンのファンの方か、熱心なハリボー好きの方くらいだと思います。日本では有名ではありませんね。高校時代に世界史を狂ったように勉強していた僕でさえも西ドイツの首都だったなとギリギリ知っていた程度です。

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しかし住んでみるとすぐに気に入ります。ライン川沿いに位置する街自体はその規模相応の穏やかさで、暖かい日には外のベンチでぼーっとしたくなる街です。因みに外のベンチでぼーっとしていたらズボンに鳥のフンが落ちて来ました。大学の本館は見事なまでに美しく、その前に広がる芝生の庭では暖かい晴れの日に多くの人がそこでくつろぎビタミンDを補充しています。大学の施設は街に点在しており、まるで街全体がキャンパスのようであります。バスやトラムの本数も多く、街中には店舗が充実しているので衣食住にも困りません。とても暮らしやすい街です。

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大学近くの高台から望めるライン川

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よく昼寝をする芝生の庭

在外履修生が参加することになるJunior Year Programは履修から住居、ビザなどの事務関連のことまで留学生に対し厚いサポートをしてくれるので安心して留学ができます。留学生向けに様々なイベントが用意されており、時にはベルリンやハイデルベルクなど遠い街にも連れていってもらえます。授業は週4日朝3時間のレベル別ドイツ語コース(B1-B2)とドイツのメディアの授業を取っていました。またイラン人の友人に週2回ペルシャ語を教えてもらい、こちらは日本語を教えるというドイツなのに類稀なるタンデムを組んでいました。

メインとなるドイツ語コースは前半に文法問題をひたすらやり、後半は議論や文章を読む時間で両方ともかなりドイツ語の力を高めてくれました。先生はハイカラでハイテンションなマダム先生でとても楽しい授業をしてくれました。クラスメイトはアメリカ人、台湾人がほとんどで日本人は自分しかいないという構成でしたが、それがとてもありがたい環境でした。おかげで1日のほとんどを日本語ではなくドイツ語(と英語)を使わざるを得ないという状況が常だったので語学を勉強しに来た身分としてはとても良かったです。

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ドイツ語コースのメンバー

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ペルシャ語のタンデムパートナー

 

さて半年間ボンという街に住んだだけで「ドイツはこんなところ」と断定するのは軽率でありますが、住んでみて初めて見えてくるものがありました。日本人が偏向的に想像しているであろうドイツ、ひいては欧州の姿が移り変わっていることです。

ボンに到着した後の数日で「この街ムスリムが多い」と気づきました。男性は見た目でムスリムかどうかは判断することは難しいですが女性のムスリムの場合はスカーフを着用していることが多いのでそれでわかりました。戦後の労働力不足のためトルコをはじめとする国々から一時的な労働力として人々を迎え、その2世、3世がドイツに住んでいるということは有名です。ドイツの他の地域はどうなのかはわかりませんが、ボンやケルンは周辺地域が工業地帯であったことから移民が多いのは納得できます。

さらに近年では中東情勢の混乱からメルケル首相が多くの難民を受け入れることを表明して話題になりました。こうしたことからドイツには中東地域等からの移民が多くいるということはある程度知っていたのですが、ボンに到着して改めてその多さに驚きました。難民の認定が少なく、政治や芸能人のスキャンダル報道ばかりが話題になる日本では、一応はこうした欧州における移民、難民に関する報道はされていますが、十分ではなく、なんとなく縁遠い話と感じてしまいます。しかしドイツに来てこのことが本当に起こっているのだなと痛感させられました。ドイツという国民国家を建国したゲルマン民族がかつて欧州に大移動して来たように、中東をはじめとする他地域から欧州への「民族大移動」が始まっているのです。長らくキリスト教社会となっていた欧州が、イスラーム教徒の奔流で大きく変容しつつあります。多くの人が欧州に逃げる理由は内戦や紛争によるものですが、その背景には紛争・内戦地域だけでは収まらない複雑な歴史が絡み合っています。世界の歴史は民族が移ルことで時代も移ル。世界の歴史は現在に繋がっており、そして今まさに歴史の転換点にいるのだと実感しています。

ドイツ人と移民・難民の軋轢は存在しているとも感じます。ドイツ人の友人曰く、「ドイツ人からすると、移民たちはドイツに住んでいるんだからドイツの社会(=キリスト教世界?)に合わせて欲しいが合わせない。移民たちからすると自分たちの習慣や宗教を尊重して欲しいのにドイツの文化を押し付けてくる。だから分かり合えない。」

確かに僕が住んでいる地区は、言い方は良くありませんが、いわゆる移民街です。そこに住む人々はほとんど移民です。もちろん全員がトルコからの移民ではありませんが。ヨーロッパとイスラームの関係を扱っている書籍に、移民はドイツに移住しても馴染めずに結局安心できる移民同士でかたまり、コミュニティを作ってしまうと書いてありました(これは留学生たちが同じ出身同士で固まってしまう現象にも似ていますね)。僕が住む地区はまさにそれが起こっているのです。そしてボンに住む人たちはその地区を一番危ない場所といって忌避しています。ボンの社会問題だと言う人もいました。住めば都、僕としては週21ペースで通っている美味しいケバブ屋やトルコ産の安価で美味い米が手に入る店があるので嫌ではありません。

欧州に住むムスリムがISに参加したり、感化されてテロを起こしたりする事件が多発していますが原因の一つとしてムスリムとして欧州にいることの窮屈さが挙げられています。また移民は言語や文化の壁もあり教育のレベルが上がらず結果としていい職につけないという問題も欧州ではあります。

1年間しかドイツで生活しない一介の留学生の自分はこれらの問題の当事者ではありませんが、どれも自分の眼の前で起きていることです。日本人だから、日本に帰ったら縁遠いからといって他人事として見逃すことはできません。在外履修はドイツ語学習や海外生活の術を身につけるだけではなく、日本からでは感じ得なかった移り変わる世界とそれが抱える問題の一つを知ることのできたいい機会でした。僕にはもう少しここで時間があります。移り変わるドイツの社会を見つめ次のステップへ踏み出す半年にしたいと思います。では。

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