ブログ読者の皆様、初めまして。ドイツ語学科4年の中津卓也と申します。ご縁があって今回の記事を執筆させていただくことになりました。交換留学の折り返し地点に立ちましたので、この機会を利用させていただき自己を振り返りたいと思います。また、このブログをお読みになっている多くの方は留学を検討している、もしくは関心がおありかと存じます。そこで老婆心ながら、私個人が思う留学と経験を共有したいと思います。皆様がご自信の留学について考え直す一助となりましたらば幸いです。個人的な思いも入り混じり冗長かもしれませんが、よろしければ最後までお付き合いください。
初の海外留学と一人暮らし
日本人の両親をもち、横浜生まれ、千葉県四街道育ちの自分は純粋日本製です。家族との海外旅行を除き、高校までいわゆる国際性とはほぼ無縁のまま過ごしてきました。当時はスポーツ、ゲーム、漫画、ラーメン以外興味が無く、英語は言うまでも無く日本語すら不自由でした。大学受験で世界史を勉強しているときに、二次大戦敗戦後に復興を経た日本とドイツの類似・相違点、人類史上初の試みとなる国際連合を中心とする国際体制と欧州を代表とする地域統合に関心を抱きました。結果的に国際関係論が学べる上智大学への進学にいたります。上智を選んだ理由に留学制度が比較的整っていたことがあります。海外留学を希望していましたが、東京での一人暮らしにも憧れており、両親から選択を一つに迫られました。もちろん一人暮らしも経験できる留学を選びました。しかし、入学後に留学生や帰国子女を目の当たりにし、外国語能力のコンプレックスに悩まされました。暗記力が乏しく、音感の無い自分は感覚的に外国語を学んでも上手くいかなかったのです。それでも、2、3年次米国トップクラスの大学で国際関係論を学びたいという思いは消えませんでした。そこで、藁にもすがる思いで外国学習法と第二言語習得論を学び、できるだけ科学的に勉強することにしました。基本的な日常会話や国際関係論の講義は英語である程度こなせるようになりましたが、基準には到達せず米国への交換留学を断念しました。結局、ずっと代替案として考えてきた、ドイツ語と英語も磨きながら国際関係論を学べるベルリン自由大学への留学することに決心しました。現地で自分の好きなように授業を取り勉強したかったので、留学が始まる4年次春までに卒業に必要な単位を全て取り終えてからベルリンに旅立ちました。
留学の価値
どうして長い人生の中で今海外留学したいのか。留学当初の自分は「日本の大学で十分に学んだから、海外特有の日本にない学習環境で自分の専攻を現地の言葉と国際言語の英語を用いて研究したい。日独政治比較とEU統合を学びたい自分にとって、EU統合の牽引者であるドイツ、そして、その政治の中枢であるベルリンは最適な都市でした。そのベルリンで研究機関・NGO等でインターンを通して、知識だけでなく、職業スキルも磨きたい。」との様な答え方をしていたでしょう。しかし、実際に現地に行ってみますとやはり語学の実力不足から大学で満足のいくような議論もインターンもできておりません。もちろん当初の考え方は今も変わっておりませんが、交換留学の節目である9月、あることをきっかけに自らの留学の価値を問い直すことになります。
このような公の場で書くのにはあまり適してないのですが、正直に申し挙げますと、留学中にとても大切な人を失いました。最後の場に居合わせることができませんでした。半年前に一時のお別れと思ったお別れが今生の別れとなってしまいました。今でもそのことを考えると身が引き裂けるような思いです。もし留学をしていなかったらと…。
「あなたの留学での1年間は日本でのそれと比べて価値があるものなのですか。」
私はこれからも自問し続けることになるでしょう。もちろん留学することで様々な国籍を交えてドイツ語や英語でコミュニケーションの場はより身近になりました。しかし、これは日本でできないことではありません。英語とドイツ語で国際関係論の講義を受講して欧米学生と議論を交えましたが、これもまた自分次第で日本でできることです。言語学習はインターネットを通じて世界と繋がりどこでもすることができます。加えて、上智大学では留学生の国際交流を含め、海外留学を疑似体験できる環境を自ら創ることができます。確かに、世間で言われるように欧米の学生は比較的日本人より議論の運びが上手い傾向にあります。ですが、彼らが必ずしも的を射た議論をしているわけでもありません。極端な場合にはその場を取り持つために議論をあたかも正しそうな言葉で言い繕うとしているように感じる場面もたたありました。正直な話、大学3年次に受講したゼミで交わした議論の方がよりクリティカルなもので生産的なものでもありました。自身と周りの取り組み次第では上智大学の授業が海外大学のそれに見劣りせず、時には優れていることさえあるのではないかと思います。
最近は「グローバル化」の影響で次世代日本人の国際化の必要性が声高に叫ばれて、留学を推奨する企業や大学も増えています。確かに、留学でいきなり異文化に飛び込み、洗礼的に異文化の価値観を身を以て経験するのも新鮮かつ冒険的でまた一興でしょう。留学にはお金がかかりますし、また日本での時間を犠牲にした上で海外でそれに相当する時間を過ごすことを意味します。多大なる費用がかかる留学なので、有意義なものしたいと皆が望むでしょう。その有意義の尺度をこのような観点で考えることも必要なのではないのでしょうか。
自分はこの観点から留学準備において努力したつもりでしたが、無意識に「留学して現地に行けば変わることができる。」と幻想を抱いていたのでしょう。どこかに「留学」というブランドに甘んじて語学面や研究面で準備を怠ってしまった自分がいた。そのツケを上半期で払うはめになりました。ドイツ語の国際関係論の授業はある程度理解はできるものの、ドイツ語母語話者に囲まれた授業についていくことができずに結局聴講で終わってしまいました。その原因となった不十分なドイツ語能力も大学の語学コースやタンデムを上手く生かすことができず留学前からあまり進歩してない実感です。大学の語学コースの授業数が少ないことやベルリンで気の合うタンデムパートナーを見つけることが難しいという環境的要因もあるのですが、結局は自分の殻から抜け出せなかった、中途半端にしかやることができなかった自分の不甲斐ないなさが原因です。しかし、いつでも自分の背中を押しくれた敬愛なる祖父や留学に理解を示してくれた家族の応援もあり、この留学をこれ以上無碍にしたくはありません。もちろん、自分も過去と未来の自分ためにも嘘をつきたくない。留学の目標を初志貫徹できるように、10月から秋学期から気をさらに引き締めて、また新しい一歩を踏み出してみせます。交換留学はあと半年ですが、目標であったシンクタンク・NGOでのインターン、希望の大学院に進学・卒業、国際機関への就職を経てから、本当の意味でいつか日本に帰国することを祖父と家族、そして、自分に誓って締めの言葉とさせていただきます。
最後までご精読いただきありがとうございます。