こんにちは、ハイデルベルクに留学している久嶋萌々子です。先学期は在外履修でヴュルツブルクにいました。気が付けばもう10か月。少し振り返ってみたいと思います。
入寮初日からキッチンの水が出なくて、必死に言うことを暗記して緊張しながらハウスマイスターのところへ行ったのが懐かしいです。ちなみに先週トイレが壊れましたが、以前のような準備はせずにハウスマイスターのところへ行きました。何と言われるかわからないし、長文で言うより単語を絞って話した方が伝わりやすいと思うようになったからです。もちろん正しい文法で自然な抑揚をつけて言うのも重要ですが、ふと思ったのが、日本語でも1文で一気に言うより、相手の反応を伺いながら話した方が、聞き入れてもらいやすいこともあるということです。外国語だとその大切さを身をもって感じます。
在外履修制度のおかげで、私は2つの街に留学できています。場所を変えたことで、ドイツ人、留学生、日本人も含めて、たくさんの人と出会えました。タンデムをしたり、ご飯を食べに行ったり、散歩したり、人と過ごす時間が日本よりもゆったり流れている気がします。ちなみに今一緒に住んでいるマラウイ人の子とは、マラウイの主食ンシマを手で丸めながら食べたり、お箸の持ち方を教えたり、ドイツで日本とマラウイという思いがけない異文化交流もしています。お互いの違うところをおもしろく思ったり、似ているところに親近感を抱いたり、前に話した話題を相手が覚えていてくれると嬉しかったりします。当たり前のコミュニケーションかもしれませんが、基本に帰れます。
ところで、ドイツで生活していると、日本のサービスの質の高さを感じることが多いのですが、必要以上かもしれないとも思います。例えば、洋服のタグに色落ち注意と書いてあっても日本ではあまり色落ちしません。でもこっちで売っている服は何も書いていないのに色落ちします。日本ではクレームを想定してそのようなタグをつけているのでしょうが、客が判断しないことも想定してタグを必要とする日本の考え、客が判断するだろうと信じてクレームにもどんと構えるようなドイツの考えの違いを感じます。そうは言ってもドイツにも、毎回感心するサービスがあります。それはカフェやレストランで食事をしたときに、どんなに人数が多かろうと、一人一人自分の金額だけを払えるというものです。店員が小銭のたくさん入った重そうな財布を持って机をまわることに、驚きました。また、少人数で店に行った場合は、注文したものを店員が控えていて値段を言われますが、大人数の場合、何を注文したか自分から申告することにも驚きました。そうできるのは、店員が客のことを信頼しているからだと思います。表面的なおもてなしは少なくても、実は信頼している部分もあるようです。もちろん契約書はとても細かい字でたくさん書かれていて、そこは契約書を使って成り立っているのだと思いますが…
最後に、私は写真が好きで、この一瞬を忘れたくないと思って、人・もの問わずカメラを向けてしまいがちです。外国だとなおさらです。でも実際は、写真に残っていないもの、たとえば人と話した時間、一人で考えた時間、のほうが自分の糧になっているなと、最近より一層そう思います。
上に書いたことは、どこかで教えてもらったことのあるようなありきたりの話かもしれません。でも、ドイツに来て、楽しいことも大変なことも普通なことも経験して、そのたびに人と関わって、そして、ドイツにいて留学という特別意識があるからこそ、振り返ろうとする自分がいて、自分の考えを整理しようとします。ここだからきっと、実感します。新たな自分に気が付くこともあります。人生で初めて、1年間日記を書き続けられそうです。振り返るたびに、言葉にするとこれだけかともどかしい気持ちになりますが、明日はもっとと前向きに、あと少しの留学生活を最大限に吸収して、毎日大切に過ごしたいと思います。留学いいですよ!