VOL.3
2009年卒業
株式会社 JALセールス
青山ヱリカさん

世界への扉としてのドイツ語

高校3年生の夏、私はドイツ語学科のオープンキャンパスに参加していた。いまだに心に残っているのはある一人の先輩、ドイツ人の先生に話しかけられ、さらっとドイツ語で返事をした光景である。このとき、私はドイツ語学科に魅せられてしまった。ドイツ語で話すことが「普通」、日常にドイツ語がある世界。私もこの場にいたい、と思った。

私がドイツ語を選んだのは、高校2年生の夏にドイツ・ベルリンに行ったことがきっかけだった。3週間のホームステイはとてつもなく長く感じた。日本語を勉強していて、英語はペラペラのドイツ人学生のいる家にもかかわらず、初めて1人で海外へ行った高校生の私は、すっかり怖気づき、まともなコミュニケーションができなかった。単純な私は、語学ができればコミュニケーションがとれたはずだ!と考え、ドイツ語を勉強しようと決心したのだった。大切なのは語学力だけではなく、話がしたいと思う気持ちである、と気づくのはまだまだ先である。
大学の1、2年生はまさにドイツ語漬けの日々。朝、目が覚めてはドイツ語のCDを聞き、授業を終えての帰り道は、どうしても馴染めない構文を使ってブツブツとひとり言。「この街灯は5時につけられなければならない」。絶対そんなこと言わないだろうに。
1年生の春休みにはドイツ・チュービンゲンの語学学校へ。教科書の中から、実生活へ、自分のドイツ語が飛び出した気がした。
2年生の夏には、あるプログラムで来日したドイツ学生と一緒に旅行へ。ドイツ学生とずいぶん楽しく話ができるようになった。流暢なドイツ語では決してなかったが、ドイツ語を勉強している、そしてそれを使っている自分が好きで、とにかく話がしたかった。
3年生はドイツでの1年。授業についていけず涙を流し、友達と仲良くなれず涙を流し、と泣いてばかりのスタートだったが、ドイツでの授業、生活、人との出会いは、私と世界の距離をぐっと縮めてくれた。そのときに出会った友人とは今でも、次は世界のどこで会おうか、と相談し合っている。

航空会社のセールスの会社に入って5年が経った。日本と世界をつなぐ仕事がいいなと漠然と思って入った会社だった。なかなか仕事でドイツ語を使う機会はないが、先日、仕事中にドイツ語しか話せないトルコ人に出会った。「誰かドイツ語を話せる人を」、と呼ばれた。日常会話と必要な情報を伝える程度だったが、初めて自分のドイツ語が必要とされ、役に立ったと思うと、久しぶりに心が熱くなった。それをきっかけにもう一度、ドイツとつながりを持ちたいと思い始めた。そうすると私生活でもドイツとのつながりが出てくるのが不思議なもので、ドイツのオーケストラの団員に会う機会があったり、留学先だったケルン大学のサマースクールに参加できたり。ドイツ=私のイメージを周りに持ってもらうことで、自分に出来ることが増えてきた。失敗もあったけれど、充実した時間を過ごしている。

ドイツ語は私にとって世界への扉だった。
小さいときから漠然と外国語を話す人に憧れ、英語が何かも知らないときから、話すまねをしていた。ドイツ語学科で出会った先生からからは、アジアを知る大切さもおしえてもらったおかげでアジアにも詳しくなった。コミュニケーションが苦手な私だったが、ドイツ語を話したい、という思いからいろんな人に話しかけるようになった。そうしたら世界に友達ができた。もう少し、ドイツの政治、経済、文化、歴史の知識を深めてもよかったなとも思うが、学生時代の私はドイツ語のことばかり考えていた。留学中にドイツに来てくださったドイツ語学科の教授にドイツの何が好きかと聞かれ、「ドイツ語が話されているところ」と答え、教授に苦笑いされたほどだ。
ただそのおかげで大学を卒業してからも、私の中には「ドイツ」という軸があり、それが目に見えない自信となって私を支えてくれている。そして今は、海外で働くことが、自分の新しい夢になっている。小さいときに描いていた自分になれているかはわからないが、世界へ出て行きたい。まだまだ、そんな夢をドイツは私に抱かせる。