<当時のドイツ語学科>
なんと、私の卒業は半世紀以上も前!…改めてしみじみ人生を振り返っています。学科の定員が40人だった時代でした。女子学生としては第三期目だったこともあり、女性は四分の一ほど。キャンパスでは、ローマンカラーの神父が思い思いのスタイルで闊歩し、多彩な異文化の香りが満ち満ちていました。
一・二年次では、日本人教員から文法、読解を、ドイツ人教員からは、発音、聞き取り、構文、ドイツ史、ドイツ語史、ドイツ文学・文化論の味わいを徹底的に学ぶことで、文化理解の基礎をマスターできた、と思います。懐かしく思い出すのは、私たちがネイティヴの先生に対して抱いていたあまりに素朴な畏怖でした。学生の応答が「正しくない!」と、先生の彫の深い顔がたちまち曇り、大きな目がカッと見開かれるのです。ただそれだけなのに、その都度、私たち全員が震え上がったものでした。いま思えば、こうしたカルチャー・ショックは、日本と縁の深いドイツ国でさえ、当時はまだなじみの薄い、遠い異国と感じられたからでしょう。それにしても学生同士って、スゴイほど連帯感があるものです。
三、四年次になると、個々の学生は、「社会化」を目指します。ドイツ語を手段として、法律関係、国際社会・経済関係、文化関係の科目を主体的に選択し、それぞれのやり方で、社会的巣立ちの準備をはじめました。私は、語学を何らかの社会的資格に結び付けたいと願い、通訳・ガイドに必須の教養諸課題と実用語学に挑戦し、運輸省の通訳ガイド試験に何とか合格しました。「官報を通して合格を知ったよ!」と、当時の宇多学部長がわざわざ私に喜びを伝えてくださったことは、嬉しい思い出です。
<魅力ある課外活動>
ドイチェル・リング部は、先輩が初心者向けに文法講座、読解講座を開いていました。また毎年上演された語劇は、部員が心を一つにする教科外の楽しい学びの場でありました。H.v.ホフマンスタールの 『イエーダーマン』、H. v.クライストの 『こわれ甕』などなどドイツ語劇が盛り上がったものです。役者に選ばれた部員たちは、語学力を見事にグレードアップさせました。私はといえば音響効果、場内アナウンスと、裏方でウロウロしただけでしたが、チームが一丸となる心地よさ、充実感を満喫したものでした。
<ドイツ留学>
卒業後一年間、在日ドイツ大使館で通訳官としてたどたどしい社会生活を経験し、ついに(当時の)西ドイツ、ケルン/ボン大学での留学が決まりました。ケルンには一足早く留学していた婚約者が待っていたこともあり、文字通りドイツでの留学生活は、私の第二の人生を決定的に方向づけた、と言えます。迷わず比較宗教学と組織神学を主専攻に選びました。これは上智大学で学んだことと無縁ではありません。宗教研究の方法と目的、意味、そして具体的事象や現象を鮮やかに言葉で切り取り、叙述、分析、体系化してくれる講義、ゼミ、演習の面白いこと!内容の濃いこと!私にとって、ドイツ語が外国語ということもあるのでしょうが、言葉の力、言葉の構成力に目覚めたのでした。人気教授の講義ともなれば、200人、300人が詰めかける大教室の講義であっても、私語ひとつなく、皆が教授の話術と内容に惹きこまれていました。講義後、学生たちが三々五々感想、批判を述べ、結論を確認し合う真摯な学びの姿をかいま見て、刺激を受けたものです。
<異文化理解のもたらす豊かさに気づく>
こうして「異文化のドイツ」を理解するとは、どういうことか、少しずつ体験的に見えてきました。キリスト教神学や宗教哲学を学ぶのが本来の目的でした。ところが小柄な日本人はどこにいても目立つのです。ゼミの場でも、大学食堂でも、あるいは大学外であっても、始終ドイツ人から、「神道と仏教はどう違う?」「日本人は無宗教というけれど、本当?」「禅ってどういう意味?」「儒教って宗教?」「なぜ食前に『いただきます!』って言うの?」などなど、問いただされるのです。
カール・ラーナーの神学やカントの純粋理性批判を理解するのは、私にとって容易ではありませんでした。しかし何より恥ずかしかったのは、上記の様なドイツ人の素朴な問いに応えられない私の無知、無教養でした。いつしか私は、ボン大学日本語学ゼミの図書室の常連となり、古典文学、宗教史の書を読み漁りました。ドイツ人の好奇心に応えるという契機があったとはいえ、ドイツという異文化に身を置いたからこそ、遠い祖国の文化への関心が喚起され、また本質がよく見えるようにもなったのでした。なにより日本の伝統文化のメリット・デメリットが同時に把握できるのです。自己の文化を知るために合わせ鏡として異文化を必要とする、だからこそ自分自身の見方も相対化できるのです。こうした相対化の視点のせいで、何か選択を迫られても、両者の比較衡量が自然にできたばかりでなく、見知らぬ「異文化の他者」をも大切にする心を学びました。たとえば観葉植物をいつも枯らしてしまう不器用な私でも、子育てを無事に楽しめたのは、日本とドイツの育児書を適当に(!)併用したからです。両者の主張はいろいろと異なっていて、折々にドイツ版、日本版に頼っているうちに、子どもの方は、いつの間にか成人しました。自分の子を異文化の他者に譬えるのもヘンかもしれませんが、自己相対化の効果を感じた端緒でした。
私はその後、縁があり広島大学やドイツ語圏の諸大学で教鞭をとりました。その間脳裡を去来したテーマは、日本の諸宗教とキリスト教を対比させつつ、日本人は「倫理をどう考えて来たのか?」でした。異文化との対話から私が学んだことは、思い切って単純化すれば、次のようなことです。
日本文化は、「和」の論理に基づいて、人と人との間柄を重視します。それに対しキリスト教文化では、人間には神の似像としての尊厳があるという前提のもと、個々の人間の自立・自律を実現することが一義的に目指されています。日本文化が成熟するには、和という関係性を重んじる伝統に、キリスト教的な個人の主体性という観念を相乗すると理想的なのでは、と体験的に感じてきたのです。第三の人生を生きる今、一人ひとりがお互いの人格と生き方を認め合い、相手のより豊かな人間形成に喜んで手を貸すことができるような、そんな相互性に満ちた社会を期待したいのです。
上智大学が、文化の多様性そしてその意味の豊かさを若い人々に仲介する場であり続けて欲しいと願っています。
ボン大学へ提出の博士論文『神道史における女性の位置』1976年刊
異文化間対話の一つの成果『日本文化におけるキリスト教神学』2004年刊