VOL.12
1971年卒業
ドイツ、デュッセルドルフ在住 美術家
定兼恵子さん

芸術活動を通じて東西の架け橋に

皆さん、こんにちは。

1971年、私はドイツ語学科卒業と同時にケルン大学に留学して、更に少しドイツ語を勉強し、結局デュッセルドルフの美術大学に転校し卒業しました。

それ以来、ドイツで美術家として仕事していますが、日本で芸大に行かずに、ドイツ語学科を卒業して良かったと思っています。文学も音楽も霊感の元になっています。

さて、2009年に発表しましたhegireヘジラという作品はゲーテの西東詩集との関わり合いから成り立ったものです。ドイツの抱えるまた世界の直面している問題、西洋文化対東洋文化またキリスト教対イスラム教の”争いごと”を、逆に肯定的に捕えようとしたものです。ゲーテに西東詩集を書かせた原因は、まさに14世紀のペルシャの詩人ハフェスでした。

ゲーテ(1749-1832) は作品「西東詩集」で西洋のキリスト教文化と東洋のイスラム文化とを結び合わせることを試み、美しくもエキゾチックな詩編を世に問いました。

私は、これまでに16世紀におけるポルトガルを媒介とした日欧の出会い(参照写真1 “Besuch”)、次に17世紀におけるオランダの仲立ちによる日欧関係2 “PARAVENTO REGALE”)を作品として発表して来ましたが、このたびは西のキリスト教文化と東のイスラム文化の交流に焦点を当てることを試みました。

ゲーテは、外交官であり東洋学者であるオーストリア人フォン・ハマー(1774-1856)の翻訳本を通してペルシャの詩人ハフェズ(1324?-1390)の詩を初めて読み、その人生に肯定的な抒情詩の中に鏤められた英知と美意識から霊感を受けて「西東詩集」の構想を練ることとなりました。(3ゲーテ「西東詩集」とフォン・ハマーによるハフェズの詩集独訳本) 

私は今回のプロジェクト“HEGIRE ヘジラ”のために、ハフェズの詩集とゲーテの詩集(西東詩集)からそれぞれ24の言葉を選び、24対のペルシャ語とドイツ語の言葉の組み合わせを作品化しました。そして各一対の言葉の間にフォン・ハマーの訳語を挟んでおります。それはハマーの翻訳なくしてゲーテはハフェズと出会うことがなく、従って西東詩集は生まれなかったに違いないと思うからです。

私は橋渡しとしての仲介の役割に関心を持つため、ここでもフォン・ハマーを是非とも登場させたかった。旧約聖書で預言者エリアスは神と人間の仲介をし、フランシスコ・ザビエルは日本とヨーロッパを結びつけ、フォン・ハマーはハフェズとゲーテを出会わせたのです。

ゲーテは西東詩集の中で、ハフェズの詩から影響を受けた言葉を多くそのまま使用しています。私はそこから典型的に意味深い言葉を24個選んだ後、ハフェズの詩からそれぞれに霊感を与えたに違いない言葉を拾い集めて対になる組み合わせとしました。例えば、ゲーテの詩句“愛する者にはバグダッドなど遠いものか”から“BAGDAD”を取り上げ、それと対となる“砂漠”という意味のペルシャ語„ﻥﺎﺑﺎﯿﺑ“をハフェズの詩から選びました。フォン・ハマーはこの言葉を“仲を裂く砂漠”と意訳しています。BAGDADという言葉を選ぶに当たっては、この言葉から今日の政治的宗教的緊張が連想される、という事実も考慮しています。

東西の両詩人の言葉は原語で、トルコブルーの釉薬をかけて焼成された菱形陶板にレリーフ状に刻印され、その二語の間にフォン・ハマーのドイツ語訳語がゴールドで焼き付けられています(8)  図案化されたアラビア語(ペルシャ語)は、幾何学文様や植物文様と並んで、イスラームの装飾美術の重要な要素となっています(「イスラームのタイル-聖なる青」INAX Booklet、1992より)。トルコブルーは砂漠の国ペルシャ(イラン)にあって、人々のあこがれる水の青と木々の緑を合わせた色であり、ペルシャ人が殊の外好む色とされています。

陶は伝統的に回教寺院建築に多用される素材であり、その色は多くトルコブルーです。このプロジェクトを作成するに当たって、ペルシャを初めとするイスラム教文化において伝統的な位置を占める色トルコブルーと素材セラミックを、ヴィジュアルな基調とすることを前提条件としています。文字表現に関しては、INAXミュージアム所蔵のタイル(5青釉浮銘文タイル/イラン/14世紀)を参照し、レリーフ状(浮銘文)としております。ハフェズのペルシャ語とゲーテのドイツ語の間に挟まれるフォン・ハマーによるハフェズの言葉の独訳語は、ゴールドで小さく鏡文字としてプリントした。フォン・ハマーの訳語は重要な役割を占めるが、主役ではないからです。

陶板一枚一枚の形は、イスラム建築に見られる装飾性を最小限取り入れたく菱形としました。(4イスファファンの寺院-INAX Booklet「イスラームのタイル-聖なる青」より) 

この陶板作品の全体像は、飛翔するフドフド鳥を表わします。フドフドは伝説上の鳥であり、ペルシャ文学ではサロモンがシバの女王に送った愛のメッセンジャーとして知られています。更にこの飛ぶ鳥の形に遁走の意味を込めることを意図しております。つまり“ヘジラ-遁走”。作品のタイトル“ヘジラ”には三重の意味が込められているのです。つまり先ずモハメッドのメッカからメディナへの逃亡を意味していますが、この年西暦622年がイスラム暦元年です。第二に、ゲーテは1786年の自身の密かなイタリアへの逃亡を“カールスバートからの私のヘジラ”と名づけています。更に、西東詩集の内最初の書「歌びとの書」の第一番めの詩は「ヘジラ」と題されています。

つまり、西東詩集は「オリエントへの精神の旅立ちであり、西方と東方を織り合わせようと試みる詩人の出発の書であるといえる」。(平井俊夫「ゲーテ 西東詩集-翻訳と注釈」1989より) 

ヘジラ:遁走または新しい出発。この言葉を通して、私は、西欧世界とイスラム世界が相互の対話に努めることへの私達の期待と希望を、言葉と形象で表現したかったのです。

共同通信記者(中央)と日本人来館者に作品紹介(右端が定兼)
1-sadagane

ヘジラ」  2009-10
トルコブルー釉浮銘文セラミック、金文字
24枚組み (各40x30cm)
計 120x300cm
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