国連教育科学文化機関(UNESCO)の駐ベイルートアラブ地域事務所で、参画・共存型社会づくりのための社会科学研究や政策過程の支援に関わっています。具体例としては、近年のシリア難民の受け入れを、地方機関や市民団体との対話を政策レベルで進めていくものです。
学生の時から関心のあったアラブ社会の民主化、社会変容過程に、学術的かつ実践的に関わりたいと思っていました。異文化且つ多彩な同僚やパートナーと、流動的ですが、人権や社会正義といった共通の価値感で深く、広く繋がれるのが、職場としての国連の魅力でしょうか。実際に仕事を始めてからですが、相手政府やパートナーとの交渉や折衝にもかなりのエネルギーいり、この地域の社会変容の知識と同じ割合で、外交的なコミュニケーションや対人能力が必要な仕事だと気づきました。
応募から採用まで2年近くかかりました。まめにチェックしていた国連サイトで、この空席内容を目にしたときは、自分の経歴と希望の方向性にあまりにぴったり合っていて、大袈裟ですが、運命的なものを感じました。レバノン人の夫のキャリアや息子の教育を考えても、ベイルート勤務という条件は最も重要でした。国連の仕事は、正規・短期契約といった契約形態に関わらず、たいていが長くて2年、長くても4-5年で異動か終了します。このポストが正規職員のポストでなくても、別の組織であっても、きっと応募していたと思います。ポスト毎に得る経験や人脈こそが、次のステップにつながる鍵ですから。
フランスを歴史、言語、文学、文化、社会、政治、哲学と多角的に学んだことで、批判精神や論理性といった単なる文法学習を超える包括的なフランス語学力を得られたと思います。ちなみに初めての国連勤務は国連開発計画(UNDP)のレバノン事務所にJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)という日本政府支援枠組みから派遣されたのですが、日本人最終候補の3人の中で唯一フランス語ができたというのが、採用の決定理由だったと、その後パレスチナ人上司から聞きました。当時オフィスでの仕事の大半が英語でしたが、通訳がはいらず行われるアラビア語での会議も多々あり、アラビア語の勉強には苦心しました。その後ユネスコに移ってからは、パリ本部、マグレブ地域事務所、アフリカ事務所との連携で、フランス語は頻繁に使っています。
ジョリヴェ先生の「フランス社会論」の授業で、在京フランス人に実際にインタヴューをする夏休みの宿題がありました。友人と二人で、覚えたてのフランス語を駆使し、質問を考え、飯田橋付近で日本に来てまもないフランス人菓子職人に話しかけ、インタヴューをしました。その内容を文字にする作業自体は、地道なフランス語の学習という「点」が社会性をもつ「線」になるのを体感した瞬間のでした。さらに半年後、先生が出版された本の一部として、活字になった自分達の文章がまぶしく、書くキャリアを意識しました。
国連で働くためには、国連用語6か国語のうち2か国語ができること、開発につながる専門分野での修士号が最低条件です。修士号取得後すぐに国連の仕事を得る人はまず少数派で、大半はなんらかの経験や能力を売りにする「中途採用者」です。
将来国連で働く機会を得るためには、まずは開発地域にでかけフィールド経験を得るといいでしょう。インターネットやテレビでも世界中の旅は楽しめますが、異文化と接する楽しみ、往々にして理不尽な状況を図太く切り抜く「土地勘」は培われません。自らのリーダー性をクラブ、バイト、インターンといろんな活動を通じて磨きましょう。自分のコンフォートゾーンを広げながら、自分の向き不向きや、隠れた才能がよく見えてくると思います。