外務省の在外公館のひとつで、フランス・アルザス地方のストラスブールに所 在する日本国総領事館の首席領事を務めています。(なお、本稿は、私の個人的見解に基づくもので、如何なる部分も外務省の公式立場を代表するものではない ことを付記させて頂きます。)当館は、管轄地域であるアルザス・ロレーヌ・フランシュコンテ地方及びオート・マルヌ県で、在留邦人の保護、政治・経済その 他の情報の収集・広報文化活動などの仕事を行っています。私は、館の次席として、これら業務全般に携わっています。
一方、ストラスブールには、いくつかの 欧州機関が所在しますが、その中に、欧州評議会(Conseil de l’Europe)という機関があります。欧州評議会は、第二次世界大戦後の1949年に設 立され、戦争の災禍を再来させないために、人権、民主主義、法の支配といった理念を欧州地域に確立することを目的として活動し、欧州人権裁判所を擁してい ます。日本は、この欧州評議会のオブザーバーとなっており、総領事は、大使として日本政府を代表して欧州評議会の常駐オブザーバーを務めていますので、私 は次席常駐オブザーバーとして、各種会合・活動に参加する等の所要の業務も行っています(2015年3月現在)。
外務省に専門職員として 採用されると、世界中の約50ヶ国語の中の1つが、研修語として指定されます。その後、入省後の一定期間を経て、当該言語が使用される国に在外研修員とい う形で通常2年間(3年のケースもあり)派遣され、その国の言語を習得するという制度があります。研修後、省員は、概ね当該研修語と関連する地域や案件に 関わる業務に携わることになります。
私の場合、採用試験もフランス語で受験しましたので、採用時に当然のようにフランス語が研修語になり、2年間のフラン ス研修(ポワチエ大学とリヨン第2大学にそれぞれ就学)を経て実務に就き、これまで在外勤務と本省勤務を行ったり来たりしました。
国内では、経済局、総合 外交政策局等で、日・フランス経済関係、G8(フランスもメンバー)関係、国連関係の業務等に携わり、在外では、現職に至るまで、在セネガル日本大使館、 在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部、国際連合日本政府代表部、在アルジェリア日本国大使館に勤務し、これまで何らかの形でフランス語を使う仕事をしてい ます。在外の勤務地も国連が所在するニューヨーク以外は、全てフランス語圏と言えますし、国連では、フランス語も公用語の一つであり、各国の外交官で、フ ランス語を母国語とする同僚が多数いましたので、ニューヨークでも仕事の場面では、英語とフランス語の使用機会は半分半分でした。
左:ニューヨークの国連本部広報局主催のシンポジウムに参加し(向かって1番右)、右:発表を行っているところ
外務省員の仕事は、政治、経済、法律、文化、社会、広報等あらゆる分野で多岐に亘ります。私自身、二国間の貿易経済協議や漁業交渉を行ったり、多数国間の条約交渉会合、また各種公式・非公式会合・イベント・セミナー・シンポジウム、様々な式典等への参加、内外要人の往来の対応、通訳、国際会議のアレンジ、報道担当等、今まで色々な仕事をしました。その内、ストラスブールでの勤務を終え、また、どこか別の勤務地でまた違う仕事をすることになりますが、これからも何らかの形でフランス語には関わっていきたいと考えています。
私は、帰国子女ではなく、留学はおろか旅行も含めて、海外に出たのは、就職後、前述の外務省の在外研修が初めてでした。高校に第2外国語制度があったため、元々、大学もフランス語受験でしたが、フランス語学科在学時期にフランス語の基礎をある程度固めていたので、初めてフランスに行った際、当時、成田空港でエール・フランス機に乗り込んだその瞬間、周囲が全てフランス語に切り替わったその瞬間からそれ以降、物怖じせず、あらゆる局面においてフランス語を使用して対処することが出来ました。
国際機関の世界では、フランス語は、英語と並ぶ公用語の一つです。国連では、英語とフランス語が作業言語とされ、他の公用語(スペイン語、アラビア語、ロシア語、中国語)と別格に扱われています。スイスのジュネーヴに所在するWTO(世界貿易機関)では、英語、フランス語、スペイン語が公用語。当地の欧州評議会では、英語とフランス語の2ヶ国語が公用語です。これら国際機関の公式会合では、公用語の間は常に同時通訳され、会議文書も各国語に翻訳されて、それぞれの言語で配布されます。また通訳が入らない非公式会合でも、誰かが突然フランス語を話し始めると、その場の皆が自然にフランス語で会話し始めるようなこともあります。このため、これら国際機関の業務に関わる各国の外交官や事務局職員は、当然のように2ヶ国語、3ヶ国語、時にはそれ以上の数の言語を駆使しますので、そういう環境で、日本人でフランス語が出来るというのは大きな強みです。
当時、朝日新聞社が主催するフランス語のスピーチ・コンテスト「コンクール・ド・フランセ」というものがあり、3年生の時、自分のフランス語の実力を客観的に知りたくて、これにエントリーしたいとクロード・ロベルジュ先生(当時)に申し上げたら、コンテストの本番直前まで特訓して下さいまして、結果、優勝することになったのは大変良い思い出です。
テーマは、「寿司を握るロボット」の話。どこかの回転すしチェーンで、人件費削減のために寿司飯を握るロボット(といっても80年代の話ですから、「人型」ではありません)を導入することにしたという話を聞いて、ロボットが握る寿司がベルト・コンベアを回ってくる訳ですから、まるでSF小説みたいだと先生にお話しました。これを「人のぬくもりが感じられない寿司」(les sushis qui manquent de chaleur humaine)という点を中心テーマにして、日本社会はこれからどんどんロボット化していくのだろうかという内容のスピーチをしました。ロベルジュ先生の前で何度も何度も練習して、発音、アクセント、強調すべき部分、ためる部分、マン・ツー・マンで細かい指導を受けました。フランス語学科在学中は、先生方皆様に大変お世話になったのですが、特にロベルジュ先生には、本当に感謝してもし足りないとの気持ちで一杯です。
大学2年の終わり頃になって、そろそろ自分の進路を考え始めた時、やはりせっかく大学でフランス語を身につけるのだから、何らかの形でフランス語を使う仕事したいと思い始めました。それで外務省という選択肢があるということを知り、試験制度を調べました。試験科目として、外国語のウエイトが高く(一次試験での和文外国語訳と外国語和訳、二次試験での外国語会話)、こちらは専門だったのですが、その他、憲法、国際法、経済学等の科目もありました。幸い上智大学の外国語学部には、少なくとも当時は、他の学部の授業に出席して、それを自分の単位として充当するという制度がありましたので、私は、必修科目のフランス語以外の単位は、殆ど全て法学部、経済学部の授業を受けて単位を取得するという形で、これら法律・経済の知識を身につけ、外務省を受験しました。
私は、常々、外国語の習得は自動車の運転と一緒であり、仮にある人が自動車学校を無事卒業したからと言って、即、その人はうまく運転出来るということにはならないだろうと言っています。本当の運転は、自分でハンドルを握り、街に出たり、遠出したり、高速道路を走ったり、実地でなければ身につかないし、うまくならないのです。逆に自動車学校を卒業しなくても、自己流で運転を身につけ、免許を取得して運転している人もいるかも知れません。ただ自動車学校できちんとした運転とマナーを学べば、公道に出ても、きちんとした運転が出来ます。運転と一緒で、外国語がうまくなりたければ、実地でどんどん使うことです。外国語習得と自動車の運転が異なるのは、外国語は免許がなければ話しちゃダメと言われることもなければ、ちょっとぐらい変な事を言っても、事故を起こしたり、身体に危害が加えられるようなことはないという点です。フランス語学科には、このきちんと学ぶ学校としての機能とどんどん実地で果敢にトライするという機会の両方が兼ね備えられています。
左:フランス・アルザスのオー・クーニグスブール・ワイン騎士団にて、アルザス・ワインと和食のマリアージュについて語り、右:名誉騎士の称号が授与されたところ