VOL.17
1994年卒業
国際協力機構(JICA) マダガスカル事務所
ンジャイ林 恵美子さん

人と人をつなぐ国際協力〜アフリカが教えてくれること〜

“Un film n’est pas fait pour une promenade des yeux, mais pour y pénétrer, y être absorbé tout entier.”(Robert Bresson 1901-1999) 映画、特にヌーヴェルヴァーグの瑞々しく生々しい映像と言葉、そして沈黙の持つ力に心奪われ、その魅力を堪能したいとフランス語に没頭した日々。とにかく楽しくて、1、2年生の頃の週20時間近いフランス語の授業ももっと受けたい、と思うくらいでした。フランス語学科入学から既に四半世紀以上経ってしまった今でも、フランス語に触れれば触れるほど楽しいのは、あの頃のそれぞれ個性的で、魅力的な指導をしてくださった先生方のお陰だと確信しています。自然で活き活きとしたイントネーションの付け方、一つ一つの言葉のニュアンスを大切に理解し使うこと、そして時には概念を言葉だけで100%伝えるのには限界があること…様々なフランス語圏の国で生きて行くことになった私には、どんな新しい文化圏に身を置くことになっても、フランス語学科で学んだコミュニケーション術が自分の一部になっているのを感じます。

 フランス語学科で政治学、社会学に傾倒し、パリの大学院でも政治経済学を専 攻しました。その頃は、将来フランス語圏アフリカが自分の拠点になるだろうとは想像さえしていませんでしたが、パリで勉強したいと思った理由の一つが、コスモポリタン的で、出身地がどこであれ価値観を共有すれば自分らしく生きていける環境があったから、ということもありました。そしてパリにいながら異文化的特色のある地区を闊歩していたときの爽快感も良く覚えています。国籍を意識するよりも、同じ人間として、同じ地球上に生きる者として同じ方向を見るために何かしたい、という気持ちが強く、最初は国際機関(国際労働機関 International Labour Office)に勤務しました。私は中小企業の経営支援、零細起業支援に関連する業務に従事していましたが、世界共通の課題について、同僚たちと議論し、思考し、分析して新たなプロジェクトの理論的根拠を構築していく日々は刺激的でした。一方で、ジュネーヴ本部勤めだったこともあり、現場にもっと近いところで理論に基づいた実践の効果を実感できる仕事をしたいと思うようになり、日本に帰国し、JICA(国際協力機構)に就職しました。

マダガスカルのピンクペッパーの生産者組合から組合活動について話を聞く

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ILOでのフィールドは東南アジアでしたが、JICAでは仏語人材であることから、主に仏語圏アフリカ諸国を対象として、開発援助の実施に関わる様々な仕事に携わることになりました。国際協力というのは、一方的に協力する側が与えるものではなく、相互で与え合う関係であることは前提の考えとして持っていましたが、アフリカに頻繁に足を踏み入れるようになり、現地の人々から受ける人生観への刺激や生きる力、それまで自分の気付かなかった伝統的価値観の重み、といったものに圧倒されました。JICAの仕事では、これまで、セネガル、ブルキナファソ、マダガスカルの三カ国で在住する機会を得ましたが、 フランス語は人々の公用語ですので、一定の意思疎通は出来るものの、真に「理解し合える言葉」とは何なのか、同じ概念を持っているのか、言葉の背景にある 文化や社会事情はコミュニケーションにどんな影響を与えているのか、といったことにも敏感になりました。思いがけず、セネガルに家族も出来て、アフリカ大陸にも故郷が出来たことは、私の人生をこの上なく豊かなものにしてくれています。そして、日本やヨーロッパで学んだことも、アフリカに来て客観的に振り返ることで、時には認識を覆されたり、全く新鮮な視線で世界を見る、という発見にも繋がりました。

マダガスカルでは港の拡張事業など、経済インフラも支援

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人間の認識や行動において「絶対的」なものは少なく、人によって価値観が様々であるように、「相対的に」受け止めて行くことこそ、世界に寛容と平和をもたらすのではないかと思います。人生には紆余曲折あり、時には曖昧さに満ちた世界の中で自分を確立させていくことになるわけですが、「言葉によって思考する」そして「発信/コミュニケートする」ことが、どんな時も自分の足で立つために必要なのだと思います。フランス語学科で学び始めたフランス語はまさに私にそんな力を与えてくれた言葉でした。

 未来は混沌としているかもしれないし、一見今は明確に見えているように思える かもしれない。それでも何が起こるか分からないのが人生。何が起こっても自分が自分らしくいられるように、学生の皆さんには、自分の価値観が覆されるような体験からこそ学びを沢山得て欲しいと思います。フランス語学科はまさにそのような学びを豊富に与えてくれると思います。

 「L’homme est le seul remède de l’homme(Nit nit moy garabame人を救えるのは人のみ.)」という、私の心の拠り所としているセネガルのウォロフ語の諺があります。人と寄り添い、同じ目線で生きて行くこと、人を受け入れることに寛容であること、これこそ私たち人間が平和を守っていくための根幹だと思います。自分が幸せになれる人生を、そうすることで近しい人を幸せにすることを、一人一人が実現する世界となることを祈って。

セネガルで3人の義母と50人分の食事作り

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