研究会・出張報告(2008年度)

   研究会

日程:9月29日(月)~30日(火)
場所:KKR江ノ島ニュー向洋

*特集「スーフィズムの近代」

2008年9月29日(月)
13:00 現地集合・入室
13:15-13:30 開会の挨拶・趣旨説明・自己紹介等
13:30-14:40 文献発表1
 木下博子(京都大学)Julia Day Howell, “Modernity and Islamic Spirituality in Indonesia’s New Sufi Networks.”
14:50-16:00 文献発表2
 斎藤剛(東京外国語大学)Patrick Haenni & Raphael Voix, “God by All Means…Eclectic Faith and Sufi Resurgence among the Moroccan Bourgeoisie.”→報告②
16:00-16:10 チェックイン
16:10-18:00 研究発表1
 若松大樹(上智大学)「クルド系アレヴィー集団にみる聖者崇敬―ババ・マンスール系オジャクの構造と関連付けて」→報告③
 コメンテーター:東長靖(京都大学)
18:00-19:00 夕食
19:00-20:10  文献発表3
 高尾賢一郎(同志社大学)Itzchak Weismann, “Sufi Fundamentalism between India and the Middle East.”→報告④(準備中)
20:10-20:40 インド出張報告会
21:00-22:30 懇親会

2008年9月30日(火)
8:00-9:00 朝食、チェックアウト(各自)
9:00-10:10 文献発表4
 茂木明石(上智大学)Celia A. Genn, “The Development of a Modern Western Sufism.”→報告⑤
10:20-12:10 研究発表2
 朝田郁(京都大学)「タリーカ・アラウィーヤの特質と構造─現代ザンジバルの事例から」→報告⑥
 コメンテーター:斎藤剛
12:10-13:00
 総合討論

報告①:
 木下博子(京都大学)Julia Day Howell, “Modernity and Islamic Spirituality in Indonesia’s New Sufi Networks.”

 インドネシアにおけるスーフィズムは、20世紀初頭のイスラーム改革運動の中で批判の対象となった歴史を持つが、近年では都市部の新中間層の間でその人気が加熱している。当該論文はスーフィズムがどのように過去の批判を克服してきたのかという点について明らかにすることを目的としていた。
 著者によればインドネシアのスーフィズムは、精霊信仰などを伴う一神教を犯すものというモダニストからの評価と、イスラームにおける非文明的慣習という研究者からの評価により、その二重の周縁化を余儀なくされてきた。しかし1970年代から1990年代の間にスーフィズムは、モダニズムとの融合、ダッワ・カンプス(1980年代から活発化した大学キャンパス内のイスラーム主義運動)における大学生を中心とした再興、そして都市部の高学歴層、中間層を中心とした加熱化を見た。それをうけて著者は、スハルトの新秩序体制下(1968-1998)におけるインドネシアの行政と「モダン」という言説の変化とを考察することで、スーフィズム興隆の内実を読み解くことに努めた。
 インドネシアでは1970年代からの経済発展、および1980年代からの規制緩和を経て、都市部への人口流入やプラントレン(宗教省管轄)における世俗科目の導入が果たされ、高学歴による新しい中間層が形成された。そして1990年代からはテレビ、雑誌、インターネットにイスラームに関するコンテンツが誕生、増加し、それに伴いIntensive Course and Networking for Islamic ScienceやIndonesian Islamic Media Networkといった民間の宗教教育機関でスーフィズムを学ぶセミナーが開講され始めた。そしてそれらの手軽なセミナーをきっかけとして独自にスーフィズムを学ぶ人たちが増え、結果として都市部における新中間層を中心としたスーフィズム熱は、個人による経験的な霊性(spirituality)の修練へとその関心が向けられるようになった。総括として著者は、1970年代以降のインドネシアにおける政策の変化、それによる人口層の変化が当地に新しい「イスラーム」観、宗教観をもたらしたこと、そしてそれによって都市部ではタリーカへの所属を重視しない個人的な経験としての「スーフィズム」熱が高まっていることを指摘する。
 率直に言えば、文中でスーフィズムの定義がぶれていることや、クバティナン(ジャワの神秘主義)を容易にスーフィズムに加えていることなど、インドネシアの専門家を含んだ読み手を当惑させる点が当該論文には多々ある。またタリーカが都市部では機能していないという著者の見解についても修正の声があがった。但しこの論文の特徴は、斉藤氏の取りあげた論文、そして茂木氏の取りあげた論文と同様に、spiritualityをキーワードの一つとしていることである。そしていずれの論文においても、内実に細かな差異は見られるものの、各著者がニュー・エイジの産物、またカウンター・カルチャーとしてのスーフィズムの存在感をその「モダン」と想定し、考察を試みている。周知のように同語は宗教学や心理学の考察対象とされることが多い。そのような今日のスーフィズムの在り方は、研究者によって現地調査の際に何となくは感じられてきたものの、スーフィズム研究の文脈で実際に考察へと至るケースはそう多くなかった。その意味で当該論文による事例紹介とその考察は、「スーフィズムの近代」という当合宿のテーマを新しい方向から考えるための興味深い示唆を与えてくれた。
 (高尾賢一郎・同志社大学大学院神学研究科博士後期課程)