VOL.13
2006年卒業
日本貿易振興機構(ジェトロ)モスクワ事務所
島田 憲成さん

島田憲成 日本貿易振興機構(ジェトロ)モスクワ事務所勤務

Q1:現在はどこで、どのようなお仕事をしていますか。

2012年6月からジェトロのモスクワ事務所に勤務しています。ジェトロは日本企業の海外展開支援などを行う公的機関です。

モスクワでの業務は多岐にわたりますが、例えば日本の農林水産食品の輸出促進というのが仕事の一つです。ロシアの食品輸入業者(バイヤー)を日本に派遣して商談をしてもらったり、モスクワで開催される食品や花きの展示会でジャパンパビリオンを設置してオールジャパンで日本産品をPRしたりしています。

昨年10月の安倍総理の中央アジア歴訪の際、カザフスタン・アスタナでビジネスフォーラムを開催したことは最も強く印象に残っている仕事の一つです。

モスクワ国際食品見本市「PIR」でのジャパンパビリオン

モスクワ国際食品見本市「PIR」でのジャパンパビリオン


ウラジオストクで島根・大根島牡丹を売り込み<手前右が筆者>

ウラジオストクで島根・大根島牡丹を売り込み<手前右が筆者>

 Q2:なぜ、現在の職場を選んだのですか?

もともと飛行機が好きなので「飛行機と関われる仕事」か、「大学で学んだロシア語を生かせる仕事」の二つに絞って就職活動をしていました。残念ながら航空会社にはフラれてしまいました。中立的な立場で日ロの懸け橋になりたいと思い、今の職場を選びました。

 Q3:ロシア語学科で学んだよかったと思うことは何ですか。

学科の素晴らしさは、私もほかの卒業生のみなさんと同様に感じていますが、ここでは少し角度を変えて、「ロシア語を選んでよかったと思うこと」について述べたいと思います。

私は、幼少期をトルコ・アンカラで過ごしたこともあってか、小さい頃から海外駐在が夢だったのですが、20代のうちにその夢が叶いました。私の職場は海外勤務したい人が多く周りは皆ライバル(?)なので、ロシア語よりももっとメジャーな言語を専攻していたら駐在はまだ先だったかもしれません。

また、旧ソ連の国々で「ロシア語離れ」が進んでいると言われて久しいですが、それでも中央アジアはもちろん、コーカサス3カ国でもロシア語はまだ理解されます。あのジョージアでさえ、観光スポット、ホテル、レストランではロシア語が通じました。ロシア国内だけではなく周辺諸国ともコミュニケーションが取れるという点でロシア語は非常に便利な言語だと思います。

キルギス・ビシュケク郊外のブラナ塔にて

キルギス・ビシュケク郊外のブラナ塔にて

 Q4:在学中に一番印象に残っていることは何ですか。

2003年に休学をしてノボシビルスクに留学したことです。駐在を始めてしばらくして、同地を再訪し、かつて1年間ホームステイをした老夫婦をアポなしで突撃訪問してみたところ、ダーチャ(郊外にある庭付き掘立小屋)で串焼き肉を振る舞ってもらうなど、かつてと変わらない、とても温かなもてなしを受けました。留学時代の仲間が今はロシアのみならず、ウクライナやアゼルバイジャンなど各地で働いており、ユニークな友人ができたというのも留学の収穫です。

2013年に丸10年ぶりにバジム父さんと再会してダーチャでバーベキュー

2013年に丸10年ぶりにバジム父さんと再会してダーチャでバーベキュー

Q5:後輩へのメッセージ

留学はとても楽しかったですが、もっと勉強しておけばよかったと後悔しています。モスクワではロシア語力の不足を痛感する毎日です。偉大な諸先輩のおかげで、「上智のロシア語卒は話せる人が多い」という声を耳にします。先生方を信じて、勉強頑張ってください。